「音質アップ」に拘って、機器の選定やSPユニットにも拘って、そしてケーブル類にも拘って来ました。それなりに成果は得て、「情報量の増加」や「音のバランスの正常化」等、極々「普通の音」になって来ました。
「生の雰囲気の音」と云うのは、そこら辺に転がっている「生活の音」を音楽で表しているに過ぎない。要するに「ただの音」である。ただ「電気仕掛けの作られた音」とはチョッと違う。「電気仕掛けの音」を感じてしまうとチョッとゲンナリしてしまう。出るべき音が出て来ないからだ。
私の場合、メインシステムクラスを2セットも持っているのに、サブシステムを作る事に情熱を注いでいる。どこか矛盾している所が有る。「音楽」はメインシステムで、「オーディオ遊び・実験」はサブシステムで・・・と割り切る様にしている。SP作りや、機器の内部を触ったり、修理したりと「機械を触っている」時間を楽しく感じる。あっという間に時間が過ぎて行く。時間を持て余しているゆえんかな?
最近の「低能率」のSPは敬遠している。何故ならアンプシステムに非常にお金がかかるからだ。一般的に「重いコーン紙で低能率」だと、ドライブ力の足りないアンプでドライブすると「ろれつ」が回らない。「ろれつが回らない」と云う事は、「出るべき音が出ない事」を意味する。実際に意識して体験された方は少ないだろう。
「生の雰囲気の音」と云うのは、そこら辺に転がっている「生活の音」を音楽で表しているに過ぎない。要するに「ただの音」である。ただ「電気仕掛けの作られた音」とはチョッと違う。「電気仕掛けの音」を感じてしまうとチョッとゲンナリしてしまう。出るべき音が出て来ないからだ。
私の場合、メインシステムクラスを2セットも持っているのに、サブシステムを作る事に情熱を注いでいる。どこか矛盾している所が有る。「音楽」はメインシステムで、「オーディオ遊び・実験」はサブシステムで・・・と割り切る様にしている。SP作りや、機器の内部を触ったり、修理したりと「機械を触っている」時間を楽しく感じる。あっという間に時間が過ぎて行く。時間を持て余しているゆえんかな?
最近の「低能率」のSPは敬遠している。何故ならアンプシステムに非常にお金がかかるからだ。一般的に「重いコーン紙で低能率」だと、ドライブ力の足りないアンプでドライブすると「ろれつ」が回らない。「ろれつが回らない」と云う事は、「出るべき音が出ない事」を意味する。実際に意識して体験された方は少ないだろう。