諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

遮光器土偶を考察する。 その2

2013年11月20日 01時28分54秒 | 神道

続きです。

毛皮で着膨れたエスキモーの人、つまりイヌイットが遮光器を付けていたら遮光器土偶に似てますよね。

でも、遮光器が必要な人物は東北より寒い地方にいた人の筈。マイナス50度を経験している可能性も十分あると思います。だとしたら細目になっている筈です。

アイヌ人は色白で毛深く目もパッチリしています。宇梶剛士や高倉健みたいに。やっぱりイヌイットとは人種が違います。

もしかしたら、遮光器付けた人達が、「コンチワ」と東北に来て短い間しか滞在せず、「サイナラ」っと言って南下して行ったら、遮光器は東北に残らなかったと思います。そして南下して遮光器を使う必要もなくなり、廃れたとも考えられます。

まぁーこれ、可能性は低いでしょう。まっ、ありえない事はないと言うだけですね。一応、一つの説として挙げときます。

更に考えられる説としては、遮光器土偶は目を誇張してデザインされていると考えられる事です。ピカソや岡本太郎の様に。特に岡本太郎は縄文土器を見て「芸術は爆発だ」と言ったとか、言わなかったとか言われてますしね(関係ないけど・・・・)。

っとすると、あの目は何を意味しているかです。

1.目が細い事を表している。

2.目をつぶっている。

3.寝ている

4.死んでいる。

5.目が見えない。

考えられるのはこの位でしょうか。

「目が細い」はカムチャッカ等、寒い地域から来た人を表している可能性があります。先に述べた説と同じですね。

「目をつぶっている」、「寝ている」との考えは正直、何を意味しているか分かりませんし、意味も無いと思います。

「死んでいる」。これは恐山がある青森県は地蔵信仰、更には祖先信仰の地ですから関連があるかも知れません。遮光器土偶は亡くなった祖先を模して作られた可能性も有りだと思います。

最後の「目が見えない」。これはちょっと難しいですね。

東北で目が見えない人と言うと、私はイタコの方々を思い浮かべます。現在は福祉も充実し、目が見えない方々も十分生活していける時代ですから、目が見えないからイタコになる人は少ないと思いますが、昔は目が見えない方々が主に修行してイタコになっていました。

現在は「神に追われて」と言うか、神に「人助けをしろ、何時するんだ、今でしょ、しばくぞ、酷い目に合わすぞ」とか言われて、イタコなる人が多いようです。あの木村藤子さんも確かそうだったと記憶してます。

そんな理由から、今のイタコには、20代の女の子がイケイケファッション(古いかも)でイタコやっているなんて話も聞いています。

私はこの「人を追い立てる神」は神では無く眷属と考えています。眷属は良し悪しが有ると思いますが、今の処、どう考えていいのか判りません。ただ、眷属は場合によっては悪に働くのは確かだと思います。この件に付いては、もっと考えが練り上がったら書きたいと思います。難しいですけど・・・・・・。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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