諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

遮光器土偶を考察する。 その4

2013年11月23日 20時33分01秒 | 神道

ここでチョット遮光器土偶に詳しい、梅原猛さんの説を掻い摘んで書いときます。

「先ず、アイヌ人は鏡を嫌う。写真はもっと嫌う。呪いをかけられる恐怖から。だとしたら縄文人はもっとその恐怖が強かったと考えられる。

遮光器土偶だけでなく、猪や熊の土偶にも線状の紋様が施されているが、それは呪術と関係がある。ましてや遮光器土偶は人間を模している。しかし、人間の像を作ることは縄文時代はタブーであった。アイヌ人同様、呪いをかけられる心配から。

だから遮光器土偶は人間の筈は無い。おそらくは死霊。

死霊は何はらかの鎮魂を必要としてる。それは子供を妊娠したまま死んだ女だから。お産で死んだり、妊婦のまま死んぬ事は穢れた死霊を意味する。穢れは祓う必要がある。

それで遮光器土偶が作られ、祭りが行なわれた。土偶の殆どが女性で乳房が付いているのは祖の為。そして穢れた死霊を遮光器土偶に移し、墓のように土偶を石と共に埋められた。

遮光器土偶は必ずどこかが壊されている。とくに片足が無い。完全体は存在しない。

何故壊されるのか。死霊が再び蘇るのを阻止する為。

遮光器土偶の目に付いてはよく判らないが、アイヌ人の考えでは死んだ人間は、目のある死体と目の無い死体に分けられる。

目のある死体は東の空に昇天して再び蘇る。目の無い死体は西の空に消えて、再び復活する事は無い。

つまり遮光器土偶が大きな目をして深く閉じられているのは、目のある死体を表現している。何か不幸な死に方をした女である。

その女の死霊を鎮め黄泉の国に永久の闇に閉じ込めるのではなく、明るい東の空に返して再生させたいが為に遮光器土偶が作られたと思う」っと言う事です。

私の低い読解力では「遮光器土偶の片足が無いのは死霊が蘇らない為で、遮光器土偶は死霊を再生させる為」と言うのがワケワカメです。どういう意味なんでしょう。

私、何度読み返しても判りません。もしかしたら梅原猛さんもワケワカメになっていたのかも知れんですね。

ただ一つだけ判った点があります。この梅原猛さんの考察は熊野権現の信仰と同じです。

女性が子供を宿して死ぬ事ほど不幸は無い。そしてその死に方をすれば、妖怪・うぶめ鳥(人の乳房がある鳥の妖怪)になってしまう。

熊野権現はそれを避ける為、直ぐに子供を産んだ。産んでから殺された。それだけ重要事項である。それは何としても避けなければならない。その考えから遮光器土偶が存在する。

それも一つの考え方だと思います。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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