諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

妖怪・手長と瀬織津姫。 その4

2014年01月10日 03時37分47秒 | 瀬織津姫

今度こそ本当に「壱岐島に寄ったのです」からの続です。

っと言いながら、その前に神功皇后が三韓征伐の為に乗り込んだ船に掲げた旗に付いて記します。これも大事なキーワードですからね。

さて、その旗ですが、白と赤の生地に星、太陽、月のマークがあしらわれていたと言われています。「星、太陽、月」、これ三光信仰と考えて良いと思います。

「青麻神社と瀬織津姫」でも書いたのですが、宮城県岩切に鎮座する総本山の青麻神社は天御中主、天照大神、月読命を祀る三光信仰の社です。私は確信している訳じゃないですが、深田某氏の著作から瀬織津姫が非公式に祀られているとされている神社です。

そして神功皇后が掲げた三光信仰の旗の名称は、その名も「御手長」。これは「三光信仰=手長への信仰」と考えられると思います。

そしてそして神功皇后は壱岐島に寄って三韓征伐の必勝を祈願した神社がある。またまたその名も「天手長比売神社」です。

天手長比売神社の主祭神は「タク幡千千姫尊」。配神は稚日女尊、木花開耶姫命、豊玉姫命、玉依姫命。配神の四神は瀬織津姫との関連が指摘されています。

でも注目は大変美しいとされる機織の女神「タク幡千千姫尊」です。

私、思うのですよ。妖怪・手長、そして瀬織津姫の記紀での名前はこのタク幡千千姫尊ではないかと。

理由の一つとして田んぼを挟んだ近隣に鎮座する天手長男神社です。

元々、両神社に挟まれた田んぼには川が流れていた。つまり川を挟んで両神社が鎮座していた。それは七夕の織姫と彦星を指標して配置されていたからと言われてます。

瀬織津姫は織姫のモデルとの説も有ります。そしてタク幡千千姫尊も織姫として天手長比売神社に祀られている。瀬織津姫には「織」字が付くし、タク幡千千姫尊も織姫を表した名前です。共通点が多いのです。

天手長男神社の主祭神は「天忍穂耳尊」。配神は天手力男命、アメノウズメ命、仁徳天皇、仲哀天皇、日本武命、そして比売大神。それと天手長比売神社に祀られている神々が合祀されています。

実は700~800年前の蒙古襲来の時、天手長比売神社は蒙古軍により破壊。それで祀神を天手長男神社に移したそうです。

天手長比売神社の社は破壊された以来、再建はされてないようですが、慰霊碑??はあるようです(何分見た事ないもので・・・・・)。

さてタク幡千千姫尊は高皇産霊神の子、または孫とも言われています。そして天忍穂耳尊は天照大神の息子ですね。

天忍穂耳尊は天照大神とスサノオ命とのウケヒによって産まれてす。父親はスサノオ命なのかも知れませんが、そこんとこの神様の事情は私には判りません。色々想像はしてますけど、この件はまたの機会に考えたいと思います。

 

つづく。

 

コメント (2)
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