諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

末期の水と青笹不動尊。 その4

2014年01月20日 00時08分44秒 | 伝説

私、ボケてしまいました。

前回の「末期の水と青笹不動尊。その3」で、「ではでは」とピリオドを打ちました(直しましたけど・・・・)。

そしてノートパソコンを閉じ、ふと考えたら、タイトルの「末期の水」についても、「青笹不動尊」に付いても書いて無いではないですか。うわぁーん。

もー呆れてしまいました。しょうがないので、まだ続けます。どーもスミマセン。

さて、評定河原同様、七北田刑場の場合も米ヶ袋にあったとされる牢屋敷から、七北田刑場まで市中引き回しされる訳です。馬に乗って。長い警棒の様な武器??を持った役人に困れて。

その行列には処刑される罪人の親族も付き添っていたそうです。民衆の好奇の目で見られて引き回されるって辛いでしょうねぇー。付き添う親族の心情もいたたまれないと思いますよ。

そして罪人が途中寄る場所があります。末期の水を飲む為に。その場所が現在の青笹不動尊です。っと言っても本来の場所は100メートル北側に有ったようです。今より手前ですね。

道路の拡張工事で現在の場所に移されたみたいです。

現在の青笹不動尊には井戸がありますが、本来あった場所にも井戸があったのでしょう。

七北田刑場からは1キロ強手前にその井戸はあったと思いますが、人生最後の水をそこで飲んだとすると、これまでの人生が走馬灯のように感じられたと思います。怨念、執念、残念無念、色々念じられたと思います。

そしてその念の強さはいかばかりでしょうか。物凄い念が練られたと思います。そんな念を抱いた罪人が6000人以上いたとしたら・・・・・・。

私が仙台北郵便局が見える地点から変な違和感を感じていましたが、この末期の水の井戸が有ったと思われる地点とほぼ同じ場所です。

私は幽霊を見たことは有りますが、霊感があるとか守護霊が見えるとかの能力が有る訳ではないです。

そんな私でも違和感を感じる。多分、私に限らない筈です。それだけの念がこの通りに残っているのは確かだと感じます。

末期の水を飲めば、否が応でもこれから訪れる処刑を実感せざるおえないでしょう。その思いを抱き馬の背にゆられ1キロ強の道程を行く訳ですから、それは凄まじいものが有ると思います。

うーん、そんな罪人の思いを考えてこの通りを走ったら、私じゃなくても事故を起こしそうです。

七北田刑場の隣は普通の住宅でしたが、こんな場所にはとても私は住めないです。

正直、字念仏の七北田刑場跡の付近に、大成パルコンで造られた中古住宅(敷地は50坪程度)が500万円で売っていて、倉庫として買おうか考えた事がありますが、いやーいや、怖くて怖くて諦めました。

そんな私ですから、この場所には年間500万円、いや1000万円貰っても住みたくないですわ。

ちょっと前、コメントでもご意見頂きましたが、処刑に関しての伊達藩の所業を考えると、伊達武将隊で復興を叫ぶのは複雑な思いがします。都合の悪い過去を消し去って何が伊達武将隊だと思いますね。

何かしらの供養を仙台市主導で毎年やっていただきたいです。これは仙台市の為にもなると思いますので・・・・・。

 

ではでは。

 

コメント (7)
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