上の写真、本文には関係ないです。ちょっといじっていたら取れなくなってしまったので、そのままにしときます。すんませんね。
さて、「天忍穂耳尊は、ニギハヤヒ尊、更には大国主ではないのか。」からでしたね。
天忍穂耳尊に付いては、奥州一ノ宮・塩竃神社を絡めればその姿が見えてくると思うのですが、これを書いちゃうともうサドンデスになりそうです。
今回のお題は「妖怪・手長と瀬織津姫」ですので、天忍穂耳尊と塩竃神との関連はまたの機会に掘り下げます。壱岐島に戻ります。
天手長比売神社の祀神は、タク幡千千姫尊、稚日女尊、コノハナサクヤ姫、豊玉姫命、玉依姫命です。ここで次に注目したいのは稚日女尊です。
スサノオ尊は天照大神とのウケヒで天照大神に勝利し、「そーら見たことか」と喜んで色々と乱暴を働いた訳です(天忍穂耳尊の正式名称??である正勝吾勝勝速日天之忍穂耳尊の名は、天照大神が男子を産んだ事で、女子を産んだスサノオ尊の方が心の清さを証明し、天照大神に勝った事から付けられた)。
そして稚日女尊が高天原の斎服殿で機織物を織っていたら、勝って暴れたスサノオ尊が剥がした馬の皮を斎服殿に投げた。稚日女尊はそのショックでホトを機織の棒??で突いて自害したとなっています。
っと言う事は稚日女尊も織姫である訳です。そして剥いだ馬の皮と、ホトを刺して稚日女尊の意味は・・・・・・・・。
これ、案外知られていないと思うのですが、縄文人の繊維技術は渡来した弥生人よりも上だった様です。坂上田村麻呂の蝦夷討伐の時代でも繊維の技術は蝦夷の方が上でした。
また、南部駒で知られている様に、奥州は名馬の産地でもあります。
蝦夷と言うとオシラサマが思い浮かびます。オシラサマはお蚕様です。つまり絹織物の神です。
そして蝦夷はオシラサマとして家に桑の木で出来た男女の人形を飾ります。その人形の中には馬の顔をしたのも有ります。
オシラサマの物語は福島県では「継母が娘をいびり殺す話」ですが、岩手県では「馬と娘の悲恋物語」となっています。
その内容は「馬を愛した娘は、馬と夫婦になった。それを知った娘の父親は馬を木に吊り下げて殺した。それを知った娘は、吊り下げた馬に縋り付いて泣く。その姿を見た父親は更に逆上して馬の首を刎ねる。娘は刎ねられた馬の首と共に空に上りオシラサマとなる。その後、オシラサマは両親の夢枕に立ち桑の木で蚕を飼う養蚕の方法を教えた」と言う事です。
私は馬と養蚕は古くからの東北の産業なので、誰かがその様な物語を作ったのだろうと思っていました。
しかし、福島のオシラサマは熊野権現のストーリーと酷似してますし、岩手のオシラサマは馬の皮を見てショックでホトを刺し自害した稚日女尊のストーリーと似ていると思うのです。
つまり稚日女尊はスサノオ尊に馬である夫を殺され、自害したのではないでしょうか。
ここでのキーワードはホトです。ホトは女性の性器です。何故、性器を突いて自害したのか・・・・・。
オシラサマの夫は馬とされていますが、馬は古来から男性の性器の象徴とされています。つまり馬の皮と稚日女尊は、男女の性器の神を表していると考えます。
男女の性器をアイヌ語の古語て表すと、男の性器は「クナト」。女の性器は「アラハバキ」となります。
自分の性器を突いて死んだと言う事は、稚日女尊はアラハバキ神である事を暗に示している。そして久那斗大神とアラハバキ大神はスサノオ尊によって殺されたと考えられます。
そして瀬織津姫はアラハバキ神の説がありますから、手長とタク幡千千姫尊、そして瀬織津姫と稚日女尊、アラハバキ神が繋がります。
「稚日女尊」を直訳すると「幼い太陽の女神」の意味合いになります。そしてスサノオ尊によって稚日女尊は死んだ。スサノオ尊はウケヒで天照大神に勝った。
つまりこれは、稚日女尊は最初の天照大神。天岩戸に入る前の本来の国津神としての天照大神だと考えます。つまり天岩戸に入ったと言う事は死んだ事を示している。
スサノオ尊によって天照大神は殺されたと考えられるのではないでしょうか。
つづく。