諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

末期の水と青笹不動尊。 その3

2014年01月19日 10時04分43秒 | 伝説

続きます。七北田刑場跡に戻ります。

この七北田刑場跡、八乙女駅の斜め向の高台にあります。

私、一度行って見ました。驚きましたよ、普通の住宅地に普通にあるんですから。100坪も無い敷地に石碑やお地蔵さん等が置かれていますが、何もかも普通にあります。

隣は普通の住宅です。住宅地にただ一箇所の更地にただ置かれている感じです。ここで少なくても6000人以上が処刑されたとは信じられません。それだけ普通の場所にあります。

七北田刑場は主に庶民が処刑されていたみたいです。罪人は主に殺しが多いのですが、不義密通も処刑されていたみたいです。女性だけ。今だったら何万人が処刑されるか検討も付きません。

そして字念仏の八乙女駅の石碑。石碑が立つ前は10年間で20件の死亡事故があったようです。勿論、石碑の前でです。死亡事故が20件ですから、怪我とかだったらその数倍あったでしょうね。そりゃ、石碑は建てるべきです。

幸い石碑建ててからめっきり死亡事故が少なくなったそうです。でも、めでたし、めでたし・・・・・・じゃすまないですよね。

何故それ程事故が起こっていたのか。

伊達藩は処刑した者達の供養を認めなかったそうです。つまり処刑された遺体は墓にも入れなれず、どこかに埋められたと伝わっています。

しかし、何処に埋められたか伝わっていないんですよ。こんな事ってあるのでしょうか。6000人以上の遺体が埋められた場所が判らないなんて信じられませんよ。

いい加減なのか、訳あって隠しているのか判りませんが、これでは処刑された人たちが浮かばれません。

七北田刑場跡に伊達の殿様の奥方様が慰霊塔を立てていますが、こんなもんじゃ全然足りないと思います。

それと広瀬川の評定河原で処刑された人たちも何処に埋めなれたのでしょう。どこかを掘り返せば遺骨がザクザク出てくるのでしょうか。

字念仏の八乙女駅周辺は再開発されましたが、遺骨は出ていません。でも、この周辺は霊道があるそうで、当たり前の様に幽霊が出るそうです。何かしら大々的な供養が必要に思いますね。少なからず無実で処刑された人たちも居ると思いますし・・・・・・・。

話を処刑された遺体に戻しますが、評定河原刑場と七北田刑場の共通点は川です。評定河原刑場が広瀬川で、七北田刑場は七北田川。

もしかして遺体はそれぞれの川に流されたのではないでしょうか。

広瀬川には橋姫の祠があり、瀬織津姫を祀っていた滝澤神社とその瀧である三居澤不動尊がある。そして「広瀬」の名も瀬織津姫との縁を感じます。広瀬大社に瀬織津姫が祀られているとの話もありますしね。

七北田川はその昔は冠川と呼ばれていた。鬼渡神・阿須波神とされる志波彦神が白馬で川を渡っている途中、冠を落とした事から冠川と名付けられている。

そして七北田川には処刑された者の血で赤く染まった伝説が残っています。

どちらもあの世とこの世を行きかう境界線の神。どちらも川の神です。処刑された遺体はあの世に流す形で川に流されたのではないでしょうかねぇー。

それならそれで言い伝えがあってもよいと思うのですが、そんな話は聞きませんし、何とも判りません。

伊達藩は何を考えていたのか、聞いてみたいもんです。それにしても人の死を軽んじていますよね。

そんなところが障りとなり、仙台人の気性を荒くしているのかも知れませんね。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする