諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

末期の水と青笹不動尊。 その1

2014年01月16日 11時14分27秒 | 伝説

何度も言っていますが、私の家業は新聞販売業でした。

今だったら労働基準法違反だと思うのですが、「お前は出来が悪い」と親に言われ、小学生の低学年から自転車に乗って新聞配達させられていたんです。

その反面、出来が悪いから家庭教師を付けられてました。もう、訳判らん。

私には妹と弟が居るのですが、私だけ手伝わされました。不器用ですし、出来が悪いので。

出来が悪いという事は悲しい事です。親の口癖は「人の3倍努力しろ」でしたしね。人の3倍努力しなければ一人前にならないのなら、何もしない方がマシだと思いましたよ。

私、本当は知的障害があるかもと思ったりしています。人の意見が私には適合しない事が余りにも多いので。

人生ってマニュアルがあるのでしょうかね。あったとしても私にはこなせないと思います。仕方が無いので人様は見て見ぬふりして、自分のペースで自分の実感で歩いていくしかないと考えている次第です(キッパリ)。

さて、今回のお題と全然関係ない話をしてしまいました。私、新聞配達していたこともあり自転車が大好きでした(今はバイクばかり乗ってますけど・・・・・・・・・)。

私は出来が悪いという事で、中学からエスカレーターで大学まで入れる私立の学校に入学。

仙台市の中心部に位置している学校に通っていましたが、車酔いが激しくバスでの通学は困難で、結構遠距離から自転車通学してました。直線で7キロ以上はあったと思います。

自転車はブリジストンのロードマン。ドロップハンドルのスポーツ車です。朝は新聞配達を2時間以上こなし、朝食を取り、競輪選手よろしく時間に追われて通学してました。そのおかげで太腿の太かったこと。自分でも自慢でした。カッチンカッチンでしたし。

でも月日は残酷です。現在は悲しいかな皮肉の嘆になってますけどね(涙)。

まっ、そう言う訳で自転車少年だったのです。今もバイクでツーラツラと当てもなくバイクを走らせていますが、子供の頃はチーロチロと自転車を転がしていました。

自転車に乗って色々な場所に行きましたが、何故かこの地点に来ると寒気がするというか、イライラするというか、嫌ぁーな気分になる場所、いや道がありました。

それは仙台市の台原から八乙女駅にかけてのバイパスです。仙台駅側から走ってきて、仙台北郵便局が見えて来る頃から嫌な気分となり、それは今の地下鉄八乙女駅、いや七北田川を越す辺りまで続きます(実は今もその感じはしています)。

子供でしたからね。何故そう感じるかは判りません。霊感なんかも信じていませんでしたし・・・・。

ただ、八乙女駅の前は何故か交通事故が多発している場所で、大きな石碑が立っており、事故で亡くなった人の名前が数多く書き連ねていました。

八乙女駅の上空は高圧線が走っています。私は多分、高圧線の電磁波が自動車の機器に何らかの作用し、その影響で事故が多発しているのではと推察してました。子供心に。

そして月日は過ぎ、従兄弟の事故死で「呪い・祟り」と言うものを調べずにはおえない気持ちとなりまして、その通りも何らかの呪いや祟りが作用しているのではないかと考えました。

そして調べてみたら・・・・・・・・・・・・・・・・、

 

つづく。

 

 

 

コメント (1)
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