続きです。
私の店はバス通りとは言え、猫が暮らすには向いている場所と言えます。寝場所に適した隠れる場所が多いし、私以外に餌を与える人もいるみたいです。
でも近隣には猫が入らない様に、柵の下にプラスチックパネルを置いたり、、猫の通路に2リットルのペットボトルに水を入れて置いたりしていますから、猫に餌を与えてたりしたら色々注意を受けるのは確実です。判らない場所に食べきれる分だけ置くしかありません。
それでも猫に知られるようになり、しまいには私の姿を見たら猫なで声で寄って来る様にもなりました。
でも、やはり近所の方々は猫を嫌っている。追っ払ったりしている。だから猫も最初は私に中々慣れませんでした。それは当然です。野良猫なんですから。誰にでも懐いたら保健所に連れて行かれます。野良猫達もその点の事は判っている様です。
現在では私の姿を見つけると猫が寄って来て餌やり場まで猫が先導。そして餌を与えてそのままにしていました。その方が良いと思って。
浦安に住んでいた時、仲の良かった野良猫がいたのですが痛恨の出来事がありました。それから野良猫とは情を通じない方が猫の為にも良いと考えています。飼えないのであるならばね。
このように猫に餌やりを初めて判った事があります。猫は猫同士でかなりの内容まで会話できると言う事。そして自分より子供の事を考えている事です。
これまで代々の猫を見てきましたが、子供を連れて来ると親となった猫との別れの時期が来た事を意味します。子供に餌場を与えて親はいなくなるのです。これまで何度も見送ってきました。これは切ないです。人間より猫の方が子供に対する愛情を感じます。私、親である野良猫を尊敬する様になりましたわ。
そして見た事も無い猫が私を見て寄って来る。そして餌場に先導する。これは他の猫に「あの馬鹿面の人間は餌をくれるよ」と猫同士で会話しているとしか思えません。野良猫同士で助け合って生きている証拠だと思います。これも一部の人間よりは立派だと思いますね。
現在も猫は来ます。震災後店舗での商売は止めていますが、私の姿を見つけると猫撫で声でやって来るのです。ニャー(どこ行っていたの?)、ニャー(お腹すいた)、ニャー(餌頂戴)と言って。白と茶虎色の猫で尻尾が折れているヤツです。私はオレオ(折れ尾)と呼んでいます。
このオレオの前に来ていた猫は白地に灰虎色の猫でした。やっぱり尾は折れています。私はオレ(折れ)と呼んでいましたが、このオレから私が触っても逃げなくなりました。これで良いのか判りませんが、私も猫もお互いに慰め合う者同士になっていたのです。微妙な気持ちではありましたが・・・・・・・。
オレオもオレも多分雌だと思います。代々子供を連れて来て親は去って行きましたので、親猫は母親だと思います。
オレが最後に来た時、餌が切れていたので与える事が出来ませんでした。その後居なくなったので悪い事をした、失敗したと今でも思っています。
オレオはこれまで「子供なのか」と思える猫を三度程連れて来て、そろそろ別れの時期かと何度か思ったりしたのですが、何時の間にか子猫と思われる猫が来なくなる。まさか子猫を追っ払っているのか。そうだとしたらこれも微妙な気持ちになります。
多くの猫が来ても近所の手前困るし、だからと言って子猫が早死にさせるのは可哀想です。餌なんて2.7キロで500円程度の安いのですから餌代で困る程でもない。数匹で来るならそれにあわせて餌を与えます。成長するまで与えたいと思っていたのです。
うーん、子猫はどうなったのか。誰かに拾われて来なくなったら良いのですが、野良の子猫は中々生きられないから辛いものがありますね。切ないですね。
続く。