諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「安達ヶ原の鬼婆=瀬織津姫」説を考察する。その4

2016年04月06日 00時02分47秒 | 瀬織津姫

続きです。

旅の嫁の懐から落ちたものは錦織のお守り袋だった。岩手は怪訝そうな表情で手にする。どこかで見た事が・・・・・。

岩手はお守り袋を開けた。そこには臍の緒が入っていた。その瞬間、岩手は自分の娘が産まれて自分の手でそのお守り袋を縫い、自分と娘を繋いでいた臍の緒を入れたことを思い出した。

腹を裂かれた嫁は息も絶え絶えに「幼い頃に別れた母を捜しに夫の伊駒之助と陸奥まで来たのに、この地で母に会えぬまま命を落とすのは口惜しい」と呟き息を絶えた。

岩手は全てを理解した。この旅の嫁は赤子の時に別れた自分の娘・恋衣であると。

岩手は慙愧の念に駆られるも既に精神は崩壊。泣き喚き、そして笑い、大絶叫と共に心身とも鬼女となった。

鬼女となった岩手は薬を手にして戻ってきた夫・伊駒之助をも殺害。更に塩漬けにしていた肝を喰らう事で鬼女としての神通力も身に付け、度々村を襲っては妊婦をさらい生き胆だけでなく人肉も喰らうようになる。そして岩屋や古屋には人骨の山となり、殺された妊婦達の怨念が立ち込めていた。

岩手の神通力からか安達ヶ原は昼でも薄暗い。鬼婆の噂から旅人も寄り付かなくなり、草深い地となった。周辺の村々も鬼婆の到来を恐れ、仕事には出られず戸窓も締め切ったままとなっていた。

そこに旅の僧が現れる。名を東光坊あじゃり祐慶。熊野那智の修験者であった。神亀三年(726年)のことである。

祐慶は旅の途中に安達ヶ原の鬼婆の噂を聞いて、岩手の古屋に一晩の宿を乞うた。

鬼女となった岩手だが常時鬼の状態である訳ではない。正気に戻り人間の心を取り戻す時もある。岩手は人恋しさもあり優しく祐慶を古屋に招き入れ、囲炉裏の側に座らせた。

岩手は「囲炉裏にくべる薪を持ってくる。暫くここを動かず、囲炉裏で暖まっておれ。隣の部屋は散かっておるゆえ、決して覗くでないぞ」と祐慶に言い聞かせて外へと出た。

祐慶も修験者である。隣の部屋の異様な妖気を直ぐに感じだ。そして岩手との約束を破り、隣の部屋の戸を開けた。そこには岩手に喰われた妊婦や胎児の髑髏が山のように築かれていた。妊婦達の髑髏は胎児とともに岩手に喰われた悲しみで泣いていた。そして現世への未練、殺され喰われた恨み呪いで部屋が充満し、祐慶に覆い被さるように襲ってくる。

祐慶は悲鳴を上げて古屋の出口に走った。そして戸を開けたその場所には、出刃包丁を手に持ち、白髪を総毛立ちにした鬼女と化した岩手が立っていた。

岩手は「あれほど見るなと言ったのに、見たなぁー」と呟き、憎しみの青い炎を目に宿して祐慶に襲い掛かる。

恐怖に駆られた祐慶は懐から如意観世音菩薩像を取り出し、一心にお経を唱えた。それと同時に菩薩像は天空に舞い上がり、辺りを明るく照らした。そこには巨大化した観世音菩薩が破魔の白真弓に金剛の弓矢を番え放った。

矢は岩手の胸を貫き、岩手は絶叫を上げ息絶える。祐慶は死んだ岩手の首を刎ね塚を造り埋めた。更に古屋・岩屋で無残な死を遂げた妊婦や胎児をねんごろに弔い、供養の塚を建てその地に留まり、死ぬまで弔い続けたと言う。

 

続く。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする