諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「安達ヶ原の鬼婆=瀬織津姫」説を考察する。その7

2016年04月09日 04時18分37秒 | 瀬織津姫

 続きます。

以上、「岩手・伊和手」の名から繋がる女神を探ってみました。

私は以前に「瀬織津姫はカモフラージュを目的に創られたのではないだろうか!?」と題してブログを書きましたが、瀬織津姫は隠された女神ではなく、瀬織津姫の名で本来の日本の地主神を隠したと考えています。そして「岩手・伊和手」の名から瀬織津姫の名前に隠された女神を推察してみました。

さて、この「安達ヶ原の鬼婆」伝説ですが、私のブログを長らく読んで頂いている奇特なお方はお気付きになられたでしょうか。この伝説にはモデルのストーリーがある事を。

これまた以前に「熊野の本地、五衰殿」と題して記事を書きましたが、この「安達ヶ原の鬼婆」伝説は熊野権現である五衰殿のストーリーに酷似しています。そして「安達ヶ原の鬼婆」伝説での瀬織津姫は「岩手・伊和手」だけではないのです。

五衰殿は大変醜い姿故、夫である善財王に愛されなかった。それで千手観音に願い千手観音そっくり美しく生まれ変わった。そして善財王に愛され懐妊。それを妬む999人の前妻の策略で腹の子は鬼子であり、産まれて来たら国を滅ぼすと吹聴。善財王も五衰殿の処遇を999人の妻たちに任せた。妻たちは五衰殿の処刑を部下に命じる。それて五衰殿は南山まで裸足で8日歩かされ処刑直前に、妊婦のままで死んでも苦しみ続ける「うぶめ鳥」になるとして、急遽王子を産む。そして産まれたばかりの王子にお乳を与えながら、首を刎ねられ処刑されます。

このストーリーから考えるともう一人の瀬織津姫が浮かんで来ます。岩手の娘の恋衣です。

五衰殿は処刑ギリギリで王子を産んで、日本独自の妖怪と言われる「うぶめ鳥」に成らずにすんだ。恋衣も母親の岩手に腹を裂かれて胎児を握られた。これは五衰殿同様、ギリギリで「うぶめ鳥」に成らずにすんだと言えるのではないでしょうか。胎児は死んでいますけど。

それに夫の「伊駒之助」と言う名前も気になります。特に「駒」の字が。

岩手県の奥州市に陸中一ノ宮・駒形神社が鎮座しています。祭神は天照大神。そして駒形とは金精様を表しています。やはり夫の方の道祖神と言えます。私は伊駒之助はそれを暗示する為に名付けたと考えます。

そして恋衣。「衣」の字が気になります。三途の川の奪衣婆を示していると思えます。そうなると伊駒之助は懸衣爺となる。「伊」は「衣」なのではないでしょうか。

道祖神は仲の良い夫婦であり兄妹です。つまり道祖神は国津罪を犯している国津神です。そして夫が駒であるならオシラサマも浮かびます。やはり道祖神に繋がります。

伊駒之助と恋衣は岩手によって殺された。その後どうなったのか。

五衰殿は蘇りましたね。私は恋衣も蘇ったと考えます。その蘇った姿が白真弓観世音菩薩です。

 これは「浅茅ヶ原の鬼婆」伝説とも共通しています。老婆が1000人目の旅人である稚児を石枕で叩き殺した。しかしそれは実の娘が母親の罪を命を持って諌める為に稚児の衣類を身に付け身代わりとなって殺された。稚児は観音菩薩であった。これは母親の罪を諌めて死んだ娘が観音菩薩に生まれ変わった事を意味すると思います。そして稚児の衣類を着用したという事は濡れ衣を意味します。つまり美しい娘は稚児の衣類を奪った奪衣婆。瀬織津姫と言う事です。

岩手に殺された恋衣も生まれ変わって観世音菩薩と成った。そして岩手を悲しみから救う為に矢を放った。殺す事で岩手の穢れを祓った。

これは何を意味するのか・・・・・・・・。

 

続く。

 

 

コメント (7)
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