続きます。
これは何を意味するのか・・・・・・・の前に肝心なことを書くのを忘れていました。何故に白真弓観世音菩薩が五衰殿である熊野権現、つまり瀬織津姫であるかをです。
まっ、注意深く呼んで頂いているのであれば特に指摘する程でもないと思ったのですが、念の為書いときます。
観世音菩薩増像が天空に上がり辺り一面を照らし巨大化した観世音菩薩が出現。そして弓で岩手の胸を貫き殺した訳ですが、その観世音菩薩像を持っていた東光坊祐慶は熊野那智の修験者です。那智の滝で修行していた。そして熊野の那智の滝といえば瀬織津姫が祭られている。だったら祐慶が持っていた観世音菩薩像は瀬織津姫と考えて良いと思います。
岩手も恋衣も観世音菩薩も瀬織津姫であるなら、瀬織津姫である岩手が瀬織津姫である恋衣を出刃包丁で裂き殺し、その瀬織津姫である岩手を瀬織津姫の観世音菩薩が弓で射殺した事になります。もう何がなんだか分からないと思います。
私もこの点を説明するのは中々難しいのであります。思案に思案を重ねていたのであります。そこで行き着いた結論が宗教的解釈の違いです。
この「安達ヶ原の鬼婆」伝説は熊野那智修験者が持ってきた観世音菩薩が解決した。これは神道に対する密教・仏教の優位性を示した。つまり岩手が神道の瀬織津姫。そして恋衣と観世音菩薩が密教・仏教の瀬織津姫。神仏習合の考えからこの様な伝説が生まれたのではないでしょうか。
分かりやすいので仏教系から説明します。恋衣と伊駒之助は十王教の奪衣婆と懸衣爺であり、恋衣が殺され観世音菩薩が登場したまでは熊野権現である五衰殿です。
恋衣は何も罪を犯していません。母親である岩手に誤解されて殺された。そして観世音菩薩として復活した。
「安達ヶ原の鬼婆」伝説では岩手の心情については詳しく書かれていない。それは神道の考えに普及していないからと言えます。
しかし熊野権現の五衰殿は999人の前妻から嫉妬をされ、濡れ衣を着せられ無実の罪で殺されます。ここがキーポイントだと思います。
つまり岩手は五衰殿のストーリーに登場する999人の前妻の様に、自分の娘の恋衣に対して嫉妬していた。そして実際に罪を犯した。それが神道の瀬織津姫の特徴です。
岩手の心情を入れて「安達ヶ原の鬼婆」伝説を考えてみます。先ずは夫と娘を設けていた。愛する家庭があった。次に公卿の娘の乳母を命じられた。春日の局と言う訳ではないですが、これは大変名誉な事であった。岩手は乳母を引き受けた。家庭よりも仕事を取った。家族との幸せよりも名誉を取った。
しかし公卿の娘は声が出なかった。公卿の娘を哀れむ気持ちもあるが、それ以上に公卿の娘の乳母としての名誉欲が満たされなかったのが辛かった。自分の権威を守りたかった。それで妊婦と胎児の生き胆を取る事を決意した。
決意はしても最初は中々実行に移せなかった。そして月日は経ち美しかった自分の容姿が衰えた。老婆となって幸せだった昔の自分に戻れない事を悟った。愛する夫と娘を置いて乳母になった事を悔いた。そして自分が昔掴んでいた幸せを享受している妊婦に対し嫉妬するようになった。そして妊婦・胎児の肝を奪う行為を決行した。
もう十分に妊婦・胎児の生き胆は集まった。愛する夫と娘のいる京の都に帰る事を決意した。そこに恋衣と伊駒之助の娘夫婦が現れた。
岩手は最初、昔の自分を見る様で恋衣夫婦を微笑ましく思った。生き胆は十分ある。恋衣が妊婦であっても殺すつもりは無かった。しかし恋衣を懸命に看病する伊駒之助を見て、夫に愛されている恋衣に嫉妬を感じだ。それに恋衣は昔の美しかった自分に良く似ている。子供が産まれる幸せの絶頂期にある。その姿を見て自分が失ったものを全て恋衣がもっている事で更に岩手の嫉妬の炎が燃え広がった。そして恋衣を殺す事を決意した。
続く。