続きです。
木花咲耶姫は大山祇神の娘だから国津神。神功皇后は天津神の家系。二人の時代は大きくかけ離れていると考えられます。でも神道は多くの伝承がある。どれを信じていいのか判らない。これが話を難しくしています。
実は大山祇神は百済から遣って来たとされる伝承が多くの神社で残っているのです。
大山祇神は酒を振舞ったことから酒の神ともされています。酒は縄文時代にも唾液で発酵させた果実酒が有ったそうですが、記紀を書いた人は米で造ったドブロクのつもりで書いている筈。
私は日本に米を持ってきたのはスサノオ尊だと考えています。大月姫を殺して発生した稲を持って出雲に降臨した。更に妻の名前が奇稲田姫。そして舅の足名稚尊がスサノオ尊から「稲田宮主」に任命され、「稲田宮主須賀之八耳神」と名乗っています。足名稚尊の父である大山祇神が稲を持っていたのかが疑問です。
大山祇神が百済より来日した話は「伊予国風土記」にも書かれています。その内容ですが「三島鴨神社に祀られる大山祇神は亦の名を和多志の大神と言い、仁徳天皇の時代に百済より渡来。津の国の御島(三島)に鎮座した」となってます。
仁徳天皇がどんな人かは知りませんが、313~399年まで在位していたそうですから、時代を調べると祟神天皇と重なります。
そして三島鴨神社の伝承されている系図によると「大山祇神ー三島溝咋耳命ー三島溝咋姫」となっている。大山祇神は恵比寿様である事代主と結婚した三島溝咋姫の祖父となっているのです。
ここで注目なのは「三島溝咋耳命」ですね。大山祇神の息子であり奇稲田姫の父親の「足名稚命」は「稲田宮主須賀之八耳神」との別名を持っていますので。
耳つながりで「三島溝咋耳命=足名稚命」と考えると、その娘たちは「三島溝咋姫=奇稲田姫」とも考えられます。そうなると恵比寿様である事代主はスサノオ命になってしまう。うーん、何がなんだか。
それよりも「耳」とは一体何を意味しているのでしょう。私の様に恵比寿様並に耳が大きい人だから名前に「耳」が付いているとは思えない。それに天津神・国津神関係なしに「耳」の字が名前に入っている神々が大勢いる。これはどう言う事なのか。
当たり前の話ですが、古来の日本には文字は無かった。発音が全てだった。だから「ミミ」や「ミ」で考えるべき。そうなると「ミ=巳」。つまり「蛇」とも考えられるが時代が下るに至って神格を表す尊称となった。だから大山祇神も「ミ」の発音が入っている。
そして「ミミ」は「ミ」を重ねた事でシャーマンと言うが呪術師の長。更には宗教的・政治的首長を示しているそうです。つまり「巫女(ミコ)」の長であるから「耳(ミミ)」と成ったみたいです。
私は神の言葉を聞くから「耳」。巫女やシャーマンの長の意味だと考えていましたが、考えは違っていても結果は同じでしたね。
そう考えると足名稚命の「稲田宮主須賀之八耳主」の意味は、「須賀の多くのリーダーの代表である稲田宮の主」。「三島溝咋耳命」なら「三島の灌漑工事の最高責任者であり、その土地のリーダー」と言う意味になるのでしょうか。
単純に「耳」が付いているからと言って同一人物とは言えません。「大山祇神」も「その山の代表の神」との意味にもなると考えられますので。
私は大山祇神と綿津見神は同神。山で祀られると大山祇神。海でなら綿津見神と呼ばれるのだと思っていましたが、その山の代表者。その地域の海の代表者とも考えられる。その代表者は元々は縄文時代からの国津神だったが、時代が下り天津神に代表者が変わったと考えます。
その事例を挙げるのは流石に難しいので、もう少々考えを練ってからまた考えたいと思います。
続く。