剣の修行に10年励むと、自分の強さが実感出来る。
そのまた10年修行に励むと、相手の強さが判る様になる。
更に10年修行を積むと、自分の弱さが見えて来る。
更に更に10年修行を続けると、何が何だか訳が分からなくなる。
by 秋山小兵衛。
この秋山小兵衛って人は池波正太郎原作・剣客商売の主人公です。モデルはいると聞いていますが、実在の人ではないです。上記の言葉は池波正太郎が考えたのだと思います。
っとは言っても池波正太郎が剣の道に生きていた訳ではない。これは剣の道ではなく人生について語った言葉でしょう。
私も若い頃はチョット株で儲かっただけで自分を優れている。才能があると思った事があった。そして社会に出て世の中には私なんか足元にも及ばない凄い者がいる事を知った。その者と比較して自分の弱さも判った。
そして現在、震災もあってか人生と言うものが判らなくなった。否、判っていたのではなく、間違っていた事に気付いたのか。否、子供の頃から人生に付いて考えて来た。その時は間違いでは無かったが、現在は通用していないと言うべきか。否、通用していたのかも判らない。こんな事は考えてはいけないのかも。答えなんか出ないのかも。何を頼りに生きて行ったら良いのだろうか。
うーん、判らない。判っている事があるとすれば、こんな事ばかり考えては前に進めない。死にたくなって来ると言うだけでしょうか。
これからの人生は無の境地がテーマなのかも。それがどんなものなのかも判らないけど。
まっ、それはどうでもいいですが、瀬戸内寂聴さんの「殺したがるバカどもと戦って」発言には考えさせられました。この発言は1ヶ月以上前に日弁連のシンポジュームで瀬戸内さんがメッセージしたものですが、私、1ヶ月ズッーと考えていました。人は人を殺して良いのかを。
日本の法律には人を殺して悪い理由が書かれていません。そして「人を殺して何故悪い」との質問に答えられる人も少ないと思います。だって国だって人を殺すのですから。
人を殺してはいけない理由としては「殺されたくないと思っているから」が有力な回答になると思います。自殺を考えている人以外は生き続けたいと思っている筈。そんな人の生命を奪って良い筈がありません。こんなの当然です。
でも何人も人を殺して死刑判決が出た人間も殺されたくないと思っている者が多い筈。その人達を殺して良いのか。
戦争だってそう。相手が自分を殺そうと襲ってくる。その襲ってくる人物は行き続けたいと思っている。その者を殺して撃退しないと自分が殺される。そう言う場合、どうすれば良いのか。
この疑問を瀬戸内さんに聞いてみたいです。仏教の考えを知りたいです。
続く。