諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

私は高層マンションには住まない。或いは高層マンションに住む怖さ。

2016年11月19日 04時53分39秒 | 人生

私、現在、3階建てマンションの自宅3階フロアに住んでいます。最近も震度4の地震が有りましたが結構揺れます。東日本大震災の時の震度6強の時はぶっ壊れそうでした。

RCマンションだから地震に強いとばかり思っていたのですが、地震に強くても地盤が弱い土地ではどうにもなりません。大変でした。あと1分、否、30秒地震が続いていたら崩れ落ちていたかも知れません。バキバキ言ってましたから。

事実、私の住んでいる街のマンションの多くは多大な被害にあいました。盛り土ばかりですからマンションは建てられない土地だったのです。

だから近くに3階建ての老人ホームも木造で建てられました。鉄筋鉄骨セメントの建物なんて重くて無理だからです。私の家も重さで強圧縮地に指定されています。やっぱり建物は軽いのが一番。

もうあんな恐怖は懲り懲り。地震の多い仙台はマンションは向いていない。結構最近建てられたマンションも震災で傾いたりして建て直しになっています。出来るなら木造平屋建てに住むべきだと思いますね。

実は東京で働いていた時、高層マンションでの生活を夢見たりしていました。成功してね。都会の夜景を肴にジンライムを飲む。そんな姿に酔いしれたものです。

でも東京の中心地は物価も高いし逆に不便。

私は東京と言っても千葉県浦安市に住んでいましたが浦安は物価が安い。新橋で秋刀魚が200円なのに浦安では30円。でこれだけ違うとやっぱり浦安が良いです。海もあるし平坦だし。立派な図書館はあるし。

でも浦安市も埋立地ですから地盤が悪い。やっぱり高層マンションは無理か。浦安の地盤沈下は酷かったし。

それ以上に50歳を過ぎた現在、自分の人生に疑問を持つ私は高層マンションに住むべきではない。高層マンションが怖くで仕方がなくなっています。自分が信じられないから。

どう言う事か。

高層マンションは死と隣り合わせ。あの世とこの世の境界線だと言う事に最近気が付いたのです。

ベランダから見る景色。それはあの世の景色です。ベランダを飛び越えれば死が待っている。死と隣り合わせの生活。それが怖い。

死ぬ事への恐怖もあるが、死に安らぎも感じられる。心の弱い者、心を乱した者にはベランダの外は全てを解き放つ楽園に見えるかも知れない。そう考える自分が恐ろしい。

私がベランダに立つと、死の魅力に負けて吸い込まれてしまうのではないかと言う恐怖を感じるのです。

仮に私の前に大麻がある。幸福感が味わえるのなら吸ってみようか。そんな思いと似たものが高層マンションのベランダに感じられる。そう思う自分が怖いのです。

私と同じ想いの者は少なからずいると思います。そんな者が高層マンションのベランダに立ってはいけない。酒でも飲んでいたなら自身の心がブレ魔が刺して、ベランダと言う境界線を飛び越える可能性がゼロではない。そんな荒んだ者は近寄るべきではないと思います。

昨年、草刈正雄さんの息子が事務所にしていたマンションのベランダから落ちて亡くなる事件が有りました。手摺を持って落ちたそうなので事故だと私も思います。でも何故そんなところに座っていたのか。変な話ですがもう1人の自分に引っ張られたから座っていたと思えるのです。だから怖いのです。

どんなに自信があっても心はぶれるもの。朝の気持ちと夜の気持ちは違う。人の心は瞬間瞬間に変わるもの。それが人なのではないだろうか。だから誰にもそうなる可能性があるのではないか。

以上、私は高層マンションには住みたくない理由を語らせていただきました。

もし今回の私の記事に共感を覚えた方がいらっしるのでしたら、悪い事は言いません。高層マンションには住まない方が良いです。家相的にも良くないです。やはり人は地に足を付けて生きるべきだと思います。

都心で平屋は贅沢かも知れませんが。

 

ではでは。

コメント
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