諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ドラマ「ハヤブサ消防団」のラストに、大騒ぎとなった瀬織津姫騒動の顛末を見た。その20

2023年10月05日 23時39分31秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
ここまで長編になるとは・・・・。続きます。

教祖の奇跡の演出で最も分かり易かったのは「甘い香り」です。

私も教祖と二人で岩手県の神社に行った時に経験しました。綿飴の様な甘い香りを。

その神社は主祭神として天照大神を祀っています。その神社の次女が教祖のファンだったのです。

その神社の境内でベール状に甘い香りが漂っていました。

漂っている範囲は幅1メートル以内。それを外れると香りは消える。その範囲にだけ甘い綿飴の様な香りが漂っていた。

教祖は「自分が瀬織津姫を祀る神社に参拝すると甘い香りが漂う。「瀬織津姫に歓迎されているからだ」とか言ってました。

私も驚きました。本当にこんな事があるか。教祖は「自分は瀬織津姫を宿している」とか言ってましたが、本当にそんな事があるのか。

後日、その絡繰りが分かりました。

「甘い香り」、正確には「甘い薫り」なのですが、私の家付近の公園や台原森林公園でも同じ綿飴の様な甘い香りがしたのです。

それでネット検索で調べました。甘い香りの正体を。

その甘い香りの正体は、「桂の木の枯葉」でした。

甘い香りの絡繰りですが、桂の木は水辺を好む。水辺に生えています。

桂の葉が枯れ地に落ちる。そこに朝露が落ちて湿る。そして太陽が昇り湿った枯葉の水分が蒸発する。その時にマルトールと言う甘い香りが発生するのです。綿飴と同じ香りだそうです。

つまり天日で桂の枯葉が乾燥するので、香りでは無く薫りです。この程度の話は山登りをしている人は大抵経験しているそうです。

考えてみれば植物は糖分を有しています。桂の葉は特にです。

瀬織津姫は水神です。故に瀬織津姫を祀る神社は水辺の近くにあります。

桂の木は生命力が高いそうで、よく公園に植えられている樹木です。だから公園でも甘い薫りがした。瀬織津姫とは直接には関係なかったと言う事です。

教祖は瀬織津姫が甘い香りを発していると言っていましたが、神道の根底に根付いている陰陽五行の考えでは全く逆です。

瀬織津姫は水神。だから水。甘い薫りは土に分類されます。桂の枯葉は最早土なのです。

土は水を濁す。水を堰き止める。つまり水よりも土は強い。

甘い薫りは瀬織津姫が発しているのではなく、水神である瀬織津姫を調伏している薫りだと言えます。

私の故郷である福島県と新潟県には「川渡餅」と言う儀式があります。川に甘い「あんころ餅」を投げ入れるのです。

これは川の神である水神に「あんころ餅」を捧げるのではなく、洪水を防ぐ為に土に分類される甘い「あんころ餅」で水神を調伏するのが目的です。

私の住む宮城県の荒雄川では度々川が氾濫していましたが、死者が出れば氾濫は収まると言われています。

それは死者は土に戻る。つまり死者も陰陽五行では土に分類される。つまり土である死者により水神は調伏されるとの考えから、その様に伝わっているのです。

それで私、思いました。教祖が瀬織津姫が甘い香りを出していると言うのは完全なる間違い。神道の観点からも反対の意味になる。山歩きをしている人なら、甘い綿飴の絡繰りは知っている。何れバレる。

それで教祖に言いました。「もう甘い香りの話はしない方が良いですよ」と。

そしたら教祖、「何で。甘露も発現したんだよ」と言います。

私は何の事かは分かりませんでしたが、信者間の話によれば神社のパンフレットか何かにに小さな水滴が付いていた。舐めたら甘かった。それで甘露、甘露と言っていたそうです。

その甘露、教祖しか経験していない筈です。それを信じろと言うのは流石に無理があると言うものです。


続く。


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ドラマ「ハヤブサ消防団」のラストに、大騒ぎとなった瀬織津姫騒動の顛末を見た。その19

2023年10月05日 11時08分36秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
続きます。

瀬織津姫教教祖が次に得意としている奇跡は、「ぞろ目、自分の誕生日」の数字です。正直、笑っちゃいます。

クルマで走っていて「ぞろ目」のナンバープレートや、自分の誕生日の日付のナンバープレートを見ると、「姫様、有難う」と言いながら写真に撮ります。それが奇跡だと言うのです。

私、クルマを運転していて対向車等のナンバーフレートなんかに興味はありませんが、教祖は「ぞろ目」等のナンバープレートを探しながら走っている感じの様です。

空を見上げれば龍雲を探し、対向車のナンバーを見れば「ぞろ目」を探す。それが自分の誕生日だったら大歓喜です。

何でそれが瀬織津姫のメッセージなのか。「何時も見守っていますよ」とでも言っているのか。

そんな話を周りの信者か聞いて喜ぶのか。バカじゃなかろか。私には分からない世界です。

私、クルマを運転していて対向車等のナンバーフレートなんかに興味はありませんが、教祖は「ぞろ目」等のナンバープレートを探しながら走っている感じの様です。

それが瀬織津姫のメッセージなのか。「何時も見守っていますよ」とでも言っているのか。

あっ、そう言えば日蓮宗の住職をやっている「〇〇ちゃん住職」と言うユーチューバーがいますが、この人も「ぞろ目」が好きですねぇー。

日蓮は「ぞろ目」は幸運が訪れる吉兆だと教えているのか。お釈迦様がそんな事を言っているのかは知りませんが、仏教もスピリチュアル商売に乗り出したか感じがして引いちゃいます。

この「〇〇ちゃん住職」、神道と仏教をごっちゃにしている話もしているし、日蓮宗ってどうなっているのだろ。

確かにスピリチュアル女性の人気を集めている様ですが、日蓮宗の格が落ちた感じがします。

まっ、仏教も商売で宗派間で競い合っている。日蓮宗はグレーゾーンにも手を出した感じがして、嫌な感じがしますね。


続く。
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