諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

事故物件に住む感覚。その2

2023年10月26日 18時57分12秒 | 人生
回りくどい事を書いてしまいました。続きます。

兄が自殺した。その家に弟家族が住む。その目的はもしかしたら心理的瑕疵の帳消しだったのかも知れません。

でも、勘違いした可能性がある。

賃貸物件の部屋で自殺者が出た。その後に新しい賃貸人が住んだ。そして3年間住み続けた。そうすれは自殺の告知義務は無くなります。

しかし、売買物件は違うのです。基本的に期間は問わず告知義務があるのです。

それを弟夫婦は後々知ったのかなぁー。だから諦めて低価格で売りに出したのかなぁー。

実は私の住む家の周辺は自殺者が多いです。斜め向かいのマンションでも自殺者が出ていますし、同じマンションで殺人事件もありました。

私が以前住んでいた家の隣は畳屋でしたが、同じ通りの自殺者が出た物件に引越ししました。

当時、2600万円の価値はあったと思いますが、1900万円で購入しています。自殺者が出たから700万円のディスカウントです。

その家に暫く住んでいましたが、畳屋を畳んて娘夫婦の家に同居。古屋は更地にして売却。

土地購入者が新しい家を新築しましたが、それならそれほど気にしなくても済むか。私は実感できないが。

私の家の近くに袋小路の家がありました。火事になって全焼しました。

その跡地に貼り紙がありました。

「うちの息子は精神を病んで長年苦しみ、自宅に火を付けて亡くなりました。ご近所の皆様方には大変なご迷惑をおかけしました。謹んでお詫び申し上げます」と書かれてあった。

この文章は効きましたねぇー。物凄い悲しみが私を襲いました。ずっとその貼り紙を見てました。親が気の毒で仕方が無かったです。親の悲しみに涙も凍り付きました。

その土地は今もそのままになっています。道路に2メートル以上接していないと、家は再建築出来ないからです。

その親は息子と自宅を失った。土地の価値もゼロに等しくなった。

私が自殺した息子なら自宅を放火なんてしない。親を憎んでいてもそんな迷惑はかけない。人に知られず山の中で自殺する。

それが自殺のマナーだとは思うのですが、それは私の心にまだ、余裕があるからそう言えるのでしょう。

でも火災では無く自宅での首吊りで息子が自殺した場合、親は家に住み続けられるだろうか。私が親だったらどうするか。

死んだ息子の想い出を置いて他の家には移れない。他人からは噂されるだろうけど住み続けると思う。

でも、それって辛いだろうなぁー。

更に鬱は深まりそうだが、息子の霊は家に残っている。やっぱり移れない。

息子の後を追ってしまう可能性もあるが、それは仕方がないと思う。自殺した息子の霊に寄りそう責任が親にはあると思う。やっぱり居るべきだと思う。

そう言えば或る地元の大学教授の娘が、自宅の風呂で寝てしまい亡くなった事件があった。父親である大学教授のブログでそれを知った。

大学教授は福祉を教えていた。震災復興にも力を入れていた。実家はお寺だった。善なる人だった。その人は大荒れに荒れた。

「仏を信じていたのに、復興に力を入れていたのに」とブログで荒れ狂っていた。

私もその出来事を知り、世の中が分からなくなった。仏教を熱心に信仰していても不幸は訪れる。善行を施しても同様。人生は理不尽だと思った。

娘は銀行員で資格試験の勉強を深夜までしていた。そして翌日、試験を受けて同期社員と試験の打ち上げで酒を飲み、職場からはなり離れた自宅に深夜になって戻った。そして午前1時頃、風呂に入って亡くなった。

この場合もキツイ。娘は23歳。人生これからだった。

家族は自宅の風呂に入る度に娘を思い出す。悲しみが襲ってくる。でも、誰も恨むことは出来ない。

恨むとしたら娘を飲みに誘った銀行の同期社員か。試験を受けさせた銀行か。職場から遠い場所に自宅を建てた父親の自分か。頑張り過ぎた娘か。

資格試験は97点で合格。そんな合格に、そんな点数に何の価値があるのか。私なら気が狂います。

でも、やはり自宅には娘の霊が残っている。辛い思いをしたとしても娘を置いて別の家には移れない。残るしかない。

さて、前に住んでいた人が自殺した家に自分は住めるか。

何の所縁も無い他人が自殺した家には私は住めません。無理でしょう。怨念を残しているのだから。

前言撤回しちゃいますが、やっぱり家の中での事故で亡くなっていたとしても住みたくはないかなぁー。

家で安らかな死を迎えたのであるならば、大丈夫かも知れないけど。

そう言えば我が宗家の永井直勝は、自分が討った池田恒興の鎧を寝所に祀っていた。自宅敷地には池田恒興の頭蓋骨をご神体とした池田神社を建立していた。

永井直勝は神仏習合で曹洞宗のお寺で生まれた。家は熊野権現の神社も兼ねていた。だから自分が殺した池田恒興の霊をそうやって弔ったのだろう。

自殺した人の霊と向き合って生活する覚悟があるのであれば、事故物件に住んでも大丈夫か。

その信念があるのであれば、良いのかも知れない。

っとは言え、心が弱っている今の私には無理な相談だ。その家には安らぎを求めてはいけない気がする。

うーん、やっぱり今の私には答えは出せそうもありません。難し過ぎる。

私は重度のHSP。自殺者の気持ちを過剰に享受してしまう。タレントの後追い自殺をする人もHSPだと言える。

やっばり私は住めない。私は住まない方が良いと思う。


ではでは。


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事故物件に住む感覚。その1

2023年10月26日 00時28分13秒 | 人生
私、終の棲家は私の故郷、福島県のいわき市で過ごしたいです。

しかし、放射能の問題で地価がとんでもなく上昇した。

面積だけは巨大な「いわき市」の中心地・平を、ちょっと離れれば部落なのです。それなのに地価が高い。部落なのにちょっと豪華な中古物件が5000万円以上していた。

平の普通のファミリー向け中古マンションでも4000万円近い。バカ高です。仙台市の中心部のマンションよりも高い。それで諦めていました。

しかし、帰宅困難地域の閉鎖が解除された。私的にはもう放射能の問題は無いと考えています。それで地価も下がってきた。

私はその昔、私の家系の者が移り住んだであろう三和町の永井に住みたいのです。

ここ、何にもない所。過疎も過疎。店舗と言えば土日営業の「いこいの学校 長居小」と冬場と平日は営業していない「農家蕎麦屋」があるだけです。生活する上では大変不便です。

でも、良いのです。私が気に入っているのですから。

この地には旧鬼渡神社である永井神社を参拝しに、何度も通っています。この永井神社の両脇には家がありますが、どちらも空き家です。空き家だらけです。それなのに売り家が殆ど出ないのです。

多分、一度大幅上昇したのでまた上がると思っているのではないでしょうか。

確かに中国経済が崩壊し、日本の工場が中国から引き揚げてきた場合、福島県の浜通りに工場を建設するケースが増えると思います。

特に小名浜は一級の港です。輸出企業にとって好都合の場所です。また、地価も上がる可能性が高いです。

でも、三和町永井は山の中。工場は増えるかどうか。三和町には高速道路のインターチェンジがあるから増える可能性はあるが、どうなのでしょうねぇー。

浜通りは震災で空き家だらけ。否、津波で更地だらけです。広大な更地があります。

また津波の危険性はありますが、津波避難地を多く設けているので命は助かると思います。

やっぱり工場なら高速道路も通っている浜通りを狙う筈。やっぱり三和町は廃れる一方だと思います。それでも良いですから三和町永井に住みたいですね、私は。

そう言う事で、いわき市の中古一軒家の物件を良く見ています。

そして発見しました。割と豪華で真新しい家なのに、400万円台で売りに出ている中古物件を。

うーん、地価が下がり切っていない「いわき市」で、この価格は安い。でも、場所は私の土地勘が無い勿来周辺。

勿来なら工場が多い小名浜からも近い。地価もそれほど下がらないと思うが、400万円台は安過ぎる。それでしっかりと資料を見たら「心理的瑕疵有り」とあった。

私は爺様が正月に餅を喰って窒息死した程度なら問題視しない。家で亡くなる人は多い。津波の被害者が1万人を超えている宮城県に住んでいるのである。そこまでは気にしない。

孤独死も気にしない。人間、孤独に死んで何が悪い。病院で病で死ぬよりよっぽど良い。

昨年、私の父が主に誤嚥性肺炎で亡くなったが、コロナのせいで誰も見舞いには行けなかった。病院から呼び出された時はもう意識が亡くなっていた。約3か月会えなかったが、別人の様に痩せていた。

三か月間、食事もできず点滴のみで生きていた訳だが、この死に方は地獄だと思う。それならポックリと孤独死した方が何倍も幸せだ。

っとは言うものの、腐敗していたら流石に嫌だな。

そう思って物件の写真をしっかりし見たが、その形跡は無い。問題はなさそうだ。

それで冷やかしで、物件を扱っている「いわき市」の不動産屋へネットで資料請求し、心理的瑕疵の理由を質問してみた。

帰って来た答えは自殺だった。自殺者の弟家族が暫く住んでいたが、売りに出す事を決意したようだ。

うーん、自殺か。うーん。

私も世の中の理不尽さを恨んでいる。禍を運んで来た肉親も恨んでいる。

でも、不思議な事に私に禍を運んだ者は皆、不幸になった。大喧嘩した腐った根性の同級生がいたが、ふと思い出して友人に聞いてみたら20年前に亡くなっていた。

父母に対しても恨みがあった。だから父母とも不幸な晩年になった様に思える。

人を恨む。呪う。そしてその者は祟りを受ける。それって本当にあるのではないか。

否、稀代の悪党であるジャニー喜多川は、罰を受けずに幸せな人生を送って死んでいった。奴を恨んでいる者は大勢いた筈。それなのに良い人生を送った。やっぱり人生は理不尽だ。


続く。


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