暫くの期間、「ののの備忘録」と言うブログ主から長文コメントが届いていました。
宗教・大本の出口王仁三郎の本を読めとか、いずのめ教団の岡田茂吉の本を読めとか言われました。
私、カルト教団やスピリチュアルヒーラーによって不幸になった人を何人か知っています。だから私のブログではスピリチュアルやカルト教団の悪行を告発しているのに、それを読めって言うのですから呆れました。
でも、10代、20代の私はそれらを読んでいました。
宗教・大本の「出口ナオ」と婿養子の「出口王仁三郎」。
出国ナオは不幸な生い立ち、子供たちの不幸から精神を狂わせていたと言われてます。精神を乱しているから宗教に走る。その面は多くの人に見受けられます。
っと言うより、人は信じるものが必要です。
私も鬱病ですが、何度も挫折した。失望した。親兄弟にも裏切られた。肉親にも禍を振りかけられた。何も信じられにい。だから神に縋りたいと思った部分は確実にあります。
多くのカルト教団の教祖やスピリチュアルヒーラーも、最初はそうだったと思います。
しかし、彼らは神より信じられる物。そして大いなる喜びを見付けた。それは「お金」。
神を語り自身が信者に信仰される優越感。信者は何でも自分の言う事を聞く。自分を神として見てくれる。自分を好きになってくれる。献金までしてくれる。
人を操る楽しさ。これを知ったら抜け出せません。
昔の戦国武将もそう。今の出世したいサラリーマンもそう。起業する者もそうです。人を自由に操る喜び。お金を自由に得られる喜び。これを知っちゃうと神なんかどうでもよくなると思えます。それはカルトやヒーラーだけではなく、大半の宗教者にもその意思が見れます。
だから私は「神と自分」。「それで完結せよ」と言っているのですが、霊感商法をしている者にとっては歯痒い存在だと思います。
私は以前、「本来の水神である天知迦流美豆姫は、瀬織津姫の名によって隠されたのだと思う」と題してブログを書きました。その理由も分かり易く書いたつもりです。
そのせいかネットでの瀬織津姫のトーンが下がった。天知迦流美豆姫に付いて語りだした人が増えた感じがします。
それによって瀬織津姫を語る教祖や瀬織津姫のスピリチュアルヒーラーは、霊感商法がしにくくなったみたいです。
そして私は更に「天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社に付いて考察する」と題してブログを書きだした。
それに困った「ののの備忘録」のブログ主は私を自分のブログに誘導して、書くのを止めさせようとしたように思えます。
そうなると「ののの備忘録」のブログ主は、「瀬織津姫の神名を商標登録した一派ではないのか」と直感。
そのブログ主もそれを察知したのか、最初は女性らしい丁寧な口調だったのに急に「ボケナス、ウザイ、俺は男だ」と聞いてもいないのに自分は男だとした。それで確信しました。
そして「ののの健忘録」と言う名のブログも発見。
「ののの備忘録」と「ののの健忘録」。同じ「ののさん」が書いているとしたら、書いている人も特定出来ました。
私、重度のHSPだから丁寧な文章であってもその人の本質が分かります。或る意味、心の名探偵なのであります。
やはりビンゴだったみたいで、そのブログ主は私のブログから去りました。私から見たら他愛もないです。
続く。