続きます。
考えてみれば、遺体を川に流して埋葬するやり方は、インドのガンジス河で古来から現在まで行われています。
「三途の川」の考え方は中国の十王教からの流れですが、そうなると元々はインドのガンジス河が発祥かも知れません。
「弁才天=瀬織津姫」とされていますが、仏教伝来とともにインドから中国、朝鮮半島を通って「本来、遺体は川に流すもの」と言う考えが日本に伝わった可能性もあります。
でも、大国主の末裔とされる「富當雄氏」の口述の書である「謎の出雲帝国 吉田大洋著」によると、古代出雲の埋葬は、死者は汚れた物とする考えから、しばらくの間、木の上で風葬にされ、骨皮と化してから宍道湖に捨てられていたと伝えています。
これ、案外正しいのではないかと思うんですよ、私。
だって、「宍道湖」の「宍」の字は「人間の肉」と言う意味です。「人間の肉の道」と書いて「宍道」です。「人間の肉」と言う言い方は、死んだ人間を意味していると考えられます。その死んだ人間の道の湖ですからね。川と湖の違いはあるにせよ、日本では古来から死者を川や湖、更には海に流していたと考えても可笑しくはないです。
まさかとは思いますが、「全ては水に流して・・・」と言う言葉も、ここから出ているかも知れませんわね。
そう考えると「ショウリツ姫」の「ショウ」が「葬」であっても、川の神であり、瀧の神でもある「瀬織津姫」と関連しますよね。これも一つの回答の様に思います。
さて、ここで、更にもう一つ問題提起したいと思います。
「塚=頭河」であるなら、「瀧」は一体何を意味しているのか。元々は「垂水」と呼ばれていた「瀧」ですが、何故、「瀧」と変える必要があったのか。
この考えは瀧に・・・・・じゃない、多岐に渡って考えられるのですが、次回、アイヌ語で考えたいと思います。
チョット今回、短いですけど、ではでは。