諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「真田丸」、一先ず安心したぁー。

2016年01月26日 04時09分49秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画

今回の記事は1月10日に初回の大河ドラマ「真田丸」を見て直ぐ書いたものです。今頃出したのは前の記事が長引いたからです。現時点で視聴率20%台を達成したと聞いてます。チョット話が古いですが、すまんです。それでは読んで見てください。

 

NHKの大河ドラマ「真田丸」、見ました、見ました。一先ず安心しました。まずまずでしたわ。

視聴率は19.9%ですか。まっ、最初はそんなもんでしょうね。何か大河の威厳が薄いし、軽い感じの仕上がりとなっていますからね。それに近年は駄作が多かったし。

でも視聴率はこれ以上下がらないのではないでしょうか。期待出来そうな感じではありますので。

一番良かったのは仮名の幸村ではなく、本名の信繁でストーリーを進めていたところですね。

幸村なんて人はいないので信繁で進めるべきです。この点は三谷幸喜を褒めてやりたいです。あの人、私みたいに変なところで拘りますけど、これは真田信繁本人の供養になったと思います。

ただ、チョットおちゃらけが入っている事が気になります。真田親子の悲壮感を演出するのにおちゃらけは興ざめです。ふざけ過ぎないで欲しい。

三谷幸喜が演出した大河ドラマ・「新撰組」はギリギリでマズマズでしたが、監督した映画の「清洲会議」は最低でした。天下分け目の会議だと言うのに詰まらない笑いを取るなんて馬鹿げています。あれは酷かった。あれの二の前だけはやって欲しく無いですね。

役者のキャスティングでも正直、私のイメージと合いませんでした。信繁役の堺雅人も、信幸役の大泉洋も、昌幸役の草刈正雄も。全員が心配でした。

正直、堺雅人ってニヤニヤ顔じゃないですか。信繁ってチョット穏やかながらも気難しい人間の様に思えるのです。「鬼の様な・・・・」と形容されていますし。

視聴率が取れる俳優だと思いますが、どうなるでしょう。半沢直樹のイメージで演じて欲しくない。今後に期待です。仙台の街を走り回ったゴールデンスランパーの時の迫真の演技を見せて貰いたいもんです。

大泉洋の信幸役も心配でした。清洲会議の秀吉役が最悪でしたからね。勿論、演出の通りに演じたのでしょうが、あんな悪ふざけはイカンですよ。でも今回の信幸役は信幸に見えます。不思議です。大泉洋の俳優としてのポテンシャルって意外に高いのには驚きました。チョット安心しました。

そして昌幸役の草刈正雄。私、実は草刈正雄のファンなんです。「センチメンタル・シティー」だって全部歌えます。彼の雰囲気が好きなんです。鞍馬天狗なんて良かったと思います。だから準主役の昌幸役を演じてくれるのは大変嬉しいです。

でも昌幸って家康以上の狸親父です。余りにも草刈正雄のイメージに合わない。それに草刈正雄は昨年、息子をビルからの転落事故で亡くしています。心情的に辛いだろうと思っていたのです。しかし、草刈正雄、大した役者です。過去に役者で一番の所得を得ていただけの事はあります。昌幸になっています。昌幸に見えます。執念で演じています。これは楽しみです。

私、正直、草刈正雄が可哀想で可哀想で見てられないと思っていました。息子を亡くす事は自分の死よりも親の死よりも辛い筈です。しかし草刈正雄は執念を見せて役者の仕事に打ち込んでいる。これは私も見習いたいです。

今回の大河ドラマ・「真田丸」は昌幸役の草刈正雄が一番の見所だと思います。これは想いの外楽しみになって来ました。

今回は通して見たいと思いますね。少なくても昌幸が亡くなるまでは。後半はストーリーが想像付いちゃうので、いい意味で裏切って欲しいです。

 

ではでは。

 

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手長足長と八岐大蛇の共通点。そして猿田彦尊。その9

2016年01月25日 10時03分14秒 | 神道

ここまで長くなるとは・・・・・。続きます。

話を八岐大蛇に戻します。八岐大蛇には別名と言いますか、神としての名も存在します。

先ずは伊吹山の神ゆえ伊吹主。そして多々美彦命です。多多美彦命に付いてチョット説明しときます。

滋賀県の琵琶湖に多多美彦命の山である夷服岳、その姪の浅井姫の浅井の岡、浅井姫の姉である比佐志姫の久恵(くえ)の峰があります。

この多多美彦命の夷服岳と姪の浅井姫の浅井の岡が背比べ対決をしまして、浅井姫が勝利。それに怒った多多美彦命が浅井姫の首を切り落とした。その落とされた浅井姫の首が琵琶湖に浮かぶ竹生島となったと言うのです。つまり浅井の岡の天辺が落ちて竹生島となったと言う事ですね。勿論、伝説ですけど。

ここでまたまた脱線します。浅井姫とその姉の比佐志姫です。アサイ姫とヒサシ姫。「サイ、サ」が付きます。そして大神神社の摂社・狭井神社(主祭神・大神荒魂)が鎮座されている。こちらも「サイ」。そして私が警告されたとしか思えない伊豆佐比売神社、そして謎の湯津佐姫。

私は闇雲に探っていましたが、コメントいただいている柚子房さんから幸神信仰の話を聞いて、どうも鬼渡神の流れにある信仰だと思えます。賽の河原の女神・瀬織津姫も含めて。

幸神信仰については新たに考えが練りあがったら書きたいと思います。

多多美彦命に戻ります。多多美彦命が八岐大蛇。多多美彦命の名は「大変美しい太陽の子」の意味がありますが、「美」を「巳」に変えたらどうでしょう。「太陽の子である多くの蛇」と言う意味合いになります。「多くの蛇」は八岐大蛇。「太陽の子」は猿田彦命と考えられます。「彦」は「日子」ですので。

多多美彦命が八岐大蛇なら、殺された姪の浅井姫も蛇神。そして八岐大蛇の生贄になったのは手名稚命・足名稚命の娘たちです。つまり浅井姫は奇稲田姫の七名の姉妹ではないでしょうか。

手名稚命・足名稚命もその名前から蛇神と判ります。山神の流れですから娘達も蛇神の筈です。チョット苦しいですが何とか繋がります。

浅井姫の首は竹生島になった。そして竹生神社には浅井姫、宇賀福神、そして市杵島姫が祀られています。全て蛇神です。そして竹生島は弁才天発祥の地です。弁才天も蛇神。生贄にされた七姉妹との共通点が多いのです。

最後に八岐大蛇と猿田彦命の共通点です。猿田彦命はニニギ命の天孫降臨の時、ヤチマタの地に立ち、高天原から葦原中国まで照らしていた。身長210センチ(諸説あり)、鼻の長さは110 センチ。目は八尺鏡(やたのかがみ)、ホオズキの様に輝いていたと記紀で記述されています。この記述から猿田彦命は天照大神よりも前の太陽神だと言う事が判ります。

そして八岐大蛇。目がホオズキの様に真っ赤に輝いていると書かれています。猿田彦命の目と同じです。それに猿田彦命もヤチマタに立っていた。つまりヤチマタ神です。そして八尺鏡と「8」がキーワードとなっている。

以上の理由から「手名稚命・足名稚命」、「八岐大蛇」、「猿田彦命」の三組は同神じゃないかと思うのです。

残念ですが、これ以上は幸神信仰が鍵を握っていると思われます。いまの私の知識ではこれまでです。

機会があれば幸神信仰に知識を得てから、また書きたいと思います。

 

ではでは。

 

 

 

 

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手長足長と八岐大蛇の共通点。そして猿田彦尊。その8

2016年01月23日 11時22分36秒 | 神道

最後にしたいと思いながら続きます。

私、八坂刀売神は女神である手長だと思うのですが、どうでしょう。

夜刀神と言う神が常陸国に存在します。蛇神です。蛇は夜行性ですし刀は蛇の意味合いがありますし。八坂刀売神も蛇神なのは間違いない。そうなると諏訪の地主神である蛇神・手長しか考えられないのではないでしょうか。

そうすると建御名方神は足長となっちゃいます。これはどう言う事か。

済みません。判りません。一つ考えられることは敗神の祟りを恐れる為に一方では持ち上げ、また一方では蔑む考えから同神を上下に分けてしまうのではないでしょうか。

諏訪神はミシャグチ様と呼ばれています。実際のミシャグチ様は赤蛇です。シマヘビの幼体や高地の蛇は赤みがかっているのですが、その蛇をミシャグチ様と呼んでいます。諏訪大社の境内にたまに出現した時は「ミシャグチ様のお通りぃー、ミシャグチ様のおなぁーりー」と神職は叫ぶそうです。でも諏訪神・建御名方神は蛇神の表記は記紀には無いです。「ミ」の発音がありますけど。それがまだ判りません。これ以上は何とも言えませんわ。

次いで日本神道の最高神・天照大神の場合はどうか。

天孫降臨で天照大神の道案内と言うか、先導をしたのは猿田彦尊です。先導ですから従事でもないし給仕している訳でもないです。天照大神の給仕をしている神は豊受大神です。猿田彦尊と関連があるのか。

私、以前「豊受大神の御神体」と題してブログを書きました。暈して書いたので評判悪かったです。あえて暈さず語ります。豊受大神の御神体は「木製の男性器、女性器」です。木製とは限らないと思いますが、神社に奉納されている御神体は木製です。石の御神体は神社に置けない理由からだと思われます。

男女の性器の御神体ですが、神道に詳しい方ならご存知だと思いますが道祖神と同じです。猿田彦尊であるとされています。

っと言う事は、豊受大神は猿田彦尊夫婦になります。そして嫁神はアメノウズメ尊。これはどう言う事になるのか。

猿田彦尊は国津神です。国津神は聖婚。つまり近親婚です。道祖神も夫婦であり兄妹です。そうなるとアメノウズメ尊は猿田彦尊の妹。天津神ではなく国津神となります。だからこそアメノウズメ尊は「猿女」と呼ばれているのではないでしょうか。

では何の為に天照大神と豊受大神が関係するのか。私は天照大神は国津神であり最初の太陽神だったと考えています。そして大陸から渡って来たスサノオ尊に敗れた。支配された。

そこに天孫族がまた大陸から渡って来てスサノオ尊の家系である大国主に国譲りを迫った。そして国を安定的に統治する為に日本本来の太陽神である国津神・天照大神を天孫族の象徴として迎えた。天照大皇神としたと考えています。

天孫族に取って天照大神が自分達の祖霊ではなく国津神である事はトップシークレットです。国津神・天照大神の血筋の女性と結婚しただけでは説得力が無い。その事を指摘されて騒動が起きては困る。だから天照大神も上下に分けられた。

つまり下の天照大神は猿田彦尊・アメノウズメ尊であり豊受大神。上は天照皇神となるのではないでしょうか。少々シドロモドロですが。

 

続く。

 

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手長足長と八岐大蛇の共通点。そして猿田彦尊。その7

2016年01月22日 01時11分02秒 | 神道

シドロモドロになってきましたので、そろそろ終わりたいと思いながら続きます。

「手長は従者・給仕者である」に話を戻します。

先ずは出雲の手名稚命・足名稚命とスサノオ命との関係。手名稚・足名稚は手足が長いとは記紀には書かれていません。理由は何でしょ。出雲の祟りを恐れているのか。

手名稚命・足名稚命を手長足長と表記したら、出雲はスサノオ尊に侵略されたのがバレバレになっちゃうからのどちらかだと思います。

 塩竃の志波彦神の場合。志波彦神は塩竃神・塩土老翁に協力して塩竃の国を造ったとされています。志波彦神は塩土老翁の給仕・従者の神であるお手長様の役割を果たしていると言えます。私は志波彦神と塩土老翁は同神だと思っていますけど。

諏訪の手長足長の場合は完全に建御名方神の従者となっています。今の季節、諏訪湖は氷結します。氷の厚さは10センチ以上になるようです。そしてマイナス10℃の寒さが続くと氷結した氷が道の様に盛り上がる。それが御神渡りです。諏訪神社上社に祀られている建御名方神が、同下社に祀られている八坂刀売神に会いに行く時に御神渡りが生じると言われています。

この御神渡りは人間に見られてはなりません。そこで建御名方神は部下である手長足長に命じて諏訪湖を見張らせ、人間が見ていない時に渡るのです。

諏訪神・建御名方神は鹿島神・タケミカヅチ神との戦いに破れ、諏訪に逃げて来た神です。そして諏訪の地主神である盛矢神と手長足長を破り、諏訪の支配者に君臨してます。手長足長は建御名方神に敗れた。そして従者に落とされています。つまり手長足長は負けた神の意味合いがあるのです。

ここで疑問なのが建御名方神の妻神である八坂刀売神についてです。八坂刀売神は記紀に載っていません。この女神は誰なのか。

八坂と付きますからスサノオ尊の家系をイメージします。八坂神社の祭神はスサノオ尊ですからね。それと八上比売の存在も気になります。何で「8」なのか。

八岐大蛇をイメージする「8」。そして「刀」の字が付いている。これは尻尾から草薙剣が出てきた八岐大蛇をイメージいます。

私、思うのですが、「八坂」は元々八岐大蛇の土地であったのがスサノオ尊に支配されてしまったから八坂神社にスサノオ尊が祀られているのではないでしょうか。チョット自信は無いけど。この話は難しそうなので又の機会にしますけど。

そして八坂刀売神の情報は極めて少ないです。記紀に載ってないのでは瀬織津姫以上に難しいです。大綿津見神の娘であると言われてます。それしか知られてないみたいです。難しい。

ただ一言では言えませんが「大綿津見神=大山祇神」と言って良いと思います。海では大綿津見神、山では大山祇神と呼ばれている。そう考えています。

大山祇神は大山津見神とも表記されます。そして別名・和多志神。つまり「渡神」。海や川を渡る鬼渡神です。そして大綿津見神も「ワタ」が入る。そして共に蛇を意味する「ミ」が入ってますし。つまりどちらも同じ蛇神。だから同神だと思います。取り合えず今日の所はそう思ってください。

その娘となれば手長が浮かびます。諏訪の地主神は手長足長なので。

これは一体何を意味するのでしょうか。

 

続く。

 

 

 

 

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手長足長と八岐大蛇の共通点。そして猿田彦尊。その6

2016年01月20日 00時04分39秒 | 神道

うーん、もっと話を単純に書きたかったのですが、膨らましし過ぎているようです。何とかしなければと思いながら続きです。

占部氏が猿田彦尊の家系ではないかと思った理由はもう一つあります。占部氏が変な話をし出したのです。

その内容は「私の先祖に松尾某と言う武将がいた。武田家の家臣だった。高天神城の戦いで討ち死にしたが、どんな感じでしたか??」と聞いて来たのです。訳が判りません。

高天神城の戦いは確か1580年代です。武田勝頼と徳川家康が戦ったのです。「討ち死にしたが、どうだったか」なんて聞かれても私が判る訳無いじゃないですか。見ていた訳でもないので。何を言ってるのだろう。もしかしたら私の祖先が殺したと言ってるのか。まさか。

私の家系は知多半島・大浜の長田氏に繋がります。徳川家に仕えています。宗家の永井直勝は当時11歳の筈。戦いには加わっていない筈。

否、まてよ。その父の長田重元・重吉兄弟は出ていたかも。特に重元は織田信長の初戦の相手です。七度退けて領地の知多半島・大浜を守っています。知略と武勇そして仁義は信長を軽く上回ります。もしかしたら高天神城の戦いに出ていたかも。占部氏の先祖である松尾某を討っているのかも。もしかしたら私が長田重元の生まれ代わりで、お前が殺したんだと言ってるのかも。

私は「東北出身なもので高天神城には行った事はありません。全然判りません。どう思って私に聞かれたのでしょう」と返信。そしたら「私なら知っている筈だと思った」と言って来ました。私を霊能力者だと思った様です。そんな訳無いのに。

私は鬼渡神を通しての知識で月読命に付いて質問したのですが、思いの外当たっていたみたいです。だから霊能力者だと思ったみたいです。私が霊能力者だったら今の体たらくな人生送っていないだろうに(泣)。

そして続けて占部氏は言いました。「松尾某は武将兼神職の一族で、全国の松尾神社の建立に尽力した。松尾氏が神職を勤めるから松尾神社である。祭神の大山咋主は占部氏・松尾氏の祖先の神」だと。

大山咋主は大歳神と天知加流美豆姫との子です。10人兄弟です。その中には鬼渡神・阿須波神・波比岐神がいます。大山咋主とは兄弟なのです。

阿須波神は旅立ちの神です。鹿島の地主神であり、塩竃では志波彦神とされてます。塩竃神社の主祭神は塩土老翁だが、元塩竃神社と言ってよい鼻節神社の祭神は猿田彦尊。阿須波神は猿田彦尊の可能性が高いのです。

っと言う事は大山咋主も猿田彦尊とは言いませんが同系の神である。そして手長足長、大山祇神にも繋がっていると思います。

しかも大山祇神も大山咋主も酒の神。そして鼻節神社は昔、コノハナサクヤ姫を祀っていました。コノハナサクヤ姫も酒の女神です。その点からも占部氏は月読命の家系と言うよりも猿田彦尊の家系であると考えます。

そして鼻節神社からコノハナサクヤ姫と猿田彦尊の関連も指摘できる。細い糸かも知れませんが、猿田彦尊、大山咋主、コノハナサクヤ姫、手名稚命みと手長、そして鬼渡神・阿須波神は繋がっていることが判ります。

 

続く。

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