諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

魔王神社の魔王とは誰なのか!? その6

2016年10月11日 01時06分52秒 | 第六天魔王

何か何時もの様にしどろもどろになって来ましたが続けます。

これまで書いてきましたが、ちょっと困っています。実は現在進行中で魔王天神社を調べながらこの記事を書いているのです。

それて前回書いた第六天魔王である面足尊については私の頭に入っていた知識だけで書いたのですが、今調べたら私の考えと違っていました。私、間違っていました。面足尊は女神でした。

第六天と掲げる神社を調べると祭神は「面足尊・あやかしこ根尊」となっています。だから男女の順だと思っていたのです。

それと実は第六天魔王は手長足長と考えていて、「足」が付く方が夫。ウキペディアでも面足尊は男神、あやかしこ根尊が女神となっています。多分、そう思っている人が大部分ではないでしょうか。

でも魔王天神社の伝承は違ってました。経津主を祭神としているが、やはり面足尊とあやかしこ根尊との説があります。そして面足尊は「見目麗しい女神」、あやかしこ根尊は大変言いづらいのですが「崇拝すべき立派な陽根を持っている神」と言う意味らしいのです。

私、魔王天神社の伝承の方が正しいと思います。「根」の字はやっぱり男根と言いますか、男性器を表すと思います。それに美しいと言う形容はやっぱり女神に対してのものだと思います。

そして美しい女神と立派な男性器を持つ神のカップルと言えば和合の神である塞ノ神しか考えられません。しかも魔王天神社の第六天魔王は猿田彦尊であるとも伝わっているのですから。

魔王天神社には摂社があり疱瘡神と風神が祀られています。この二神は産鉄の神の性格も持っています。

そして剣が魔王天神社の御神体である事を考えますと、経津主の剣、そして猿田彦尊の長い鼻。これらは男性器を示す。つまり立派な男性器を持つ「あやかしこ根尊」と同神。更には男の塞ノ神と言えるのではないでしょうか。

また「あやかしこ根尊」が猿田彦尊であるなら、面足尊は「アメノウズメ尊」となります。実は「ウズメ」とは「珍女」。これも大変言いづらいのですが、「気高く立派なものを具えた女」の意味です。つまり「立派な女性器」の意味なのです。

アメノウズメは猿田彦尊と出会った時、そして天岩戸で裸踊りをした時、女性器を露にしています。女性器を印象付けている。つまりアメノウズメ尊と猿田彦尊で男女の塞ノ神となります。

魔王天神社では戦時中、戦勝と徴兵逃れのご利益があるとされていました。戦勝と言うと神風。猿田彦尊は風神でもありますから、そのご戦勝のご利益は理解できます。

しかし徴兵逃れと言う事は国家に服従しない意味が考えられます。昔では朝廷に逆らうことになる。つまり朝廷からは敵視されていた。恐れられていた神だから徴兵逃れのご利益がある。それは大陸から渡ってきた朝廷から見て日本本来の地主神であるからと考えられます。

申し訳ない。まだまだ考えの練りが足りませんが、以上から魔王神社、魔王天神社の魔王とは「塞ノ神」と私は考えます。

そして「塞ノ神」は本来の日本の神でありながら、天照大神の従神である猿田彦尊とアメノウズメ尊にされてしまった。その源流は久那戸大神とアラハバキ神に辿り着くと思います。

最後ですが南三陸の二社の二渡神社と魔王神社は戸倉長清水、戸倉水戸辺、戸倉波伝谷に鎮座しています。「戸」の地名からしても境界線の神がイメージされる。つまり二渡神、鬼渡神も魔王であると考えます。

南三陸の魔王神社の祭神がスサノオ尊なのは、祟り神には乱暴者の考えからスサノオ尊が配神として祀られ、真の魔王が忘れ去られたのではないかと思います。それは私の故郷・福島県いわき市三和町の旧・鬼渡神社である永井神社に摂社としてスサノオ尊が祀られているのと同じ理由です。

以上、もうグダグダになっちゃいました。もうチョット考えを練ってから書くべきでした。今回は未消化ですがここまてです。

また機会があったら書きたいと思います。本当に申し訳ないです。

 

ではでは。

 

 

 

 

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魔王神社の魔王とは誰なのか!? その5

2016年10月08日 22時51分45秒 | 第六天魔王

続きます。

またまた脱線してしまいました。話を魔王天神社に戻します。戻しますけど魔王天神社に付いて調べるのが難しいですねぇー。

ネット検索してみてもヒーラーみたいな人が「なんて恐ろしい程のエネルギー・・・・」とか言ってますけど、実際行って見ないと実感が湧きません。多分、このヒーラーみたいな人も「魔王」と言う字に恐怖した点はあると思いますし。

それでもネットで調べた結果、魔王天神社は以前は別の場所に鎮座していた。社中に古太郎坊(小御嶽太郎坊正真)と言う小詞があり、道開きの神として富士山の中腹である小御嶽に遷座。小御嶽権現と称し、現在の小御嶽神社の元となったそうです。

 更に魔王天神社は魔王の山を御神体とするため拝殿は無し。古来から近隣の村人は魔王大六天(おだいろーさま)と呼んでいて、台風の季節になると風の神として農作物の無事を祈願していた。戦時中は出兵した者が無事に戻ってこれるようにと祈願で賑わったそうです。

まっ、これて魔王の正体は大体お分かりになったと思います。私の予想通りでした。お終い。

っと、ここで終わってしまうと折角読んで頂いている奇特な皆様に失礼です。しょうがないので私がデーターを集めて考えを述べたいと思います。

先ず、魔王天神社は神仏習合時代は小御嶽権現と言われていた。この「小御嶽」とは噴火を繰り返し現在の富士山になる前の富士山です。

判りますか。昔は麗しかったであろうと想像した富士山と言う事です。そして魔王の山とは富士山で間違いありません。

因みに現在の富士山の五合目には冨士山小御嶽神社が鎮座。主祭神は磐長姫。そしてそま辺りは昔、「天狗の庭」と呼ばれ天狗の小御嶽太郎坊正真も祭られています。

魔王天神社の名が「第六天魔王」から来ているのは前にも述べましたが、当時の人々は第六天魔王をどう思っていたのか。実はこれ、二通りの想いが見られます。

謡曲「第六天」では「第六天魔王は群魔従えており、煩悩、悪魔、障碍を掌握する魔王であり、戦乱を引き起こす魔業の神。厄神であり牛頭天王が婆利菜女を后として産まれた八王子の1人」との事です。これは仏教から見た第六天魔王の姿です。

牛頭天王はスサノオ尊の事ですから、南三陸の魔王神社にスサノオ尊が祀られているのも納得ではありますね。魔王はスサノオ尊の子供なのに何時の間にか父親のスサノオ尊と間違って祀られたとか。想像ですけど。

民間信仰では第六天魔王は、大いなる魔力で人々をもろもろの災難から守ってくれる魔除けの神として信仰されています。これは神道での考えだと言えます。神道と仏教は反目しあっている部分があるのです。

朝廷は仏教を日本に浸透させ民衆の統制を謀ろうとした。その為に仏教の妨げとなる日本の神々を魔とする必要があった。しかしながら民衆は古来からの神々に対する信仰を捨てなかった。

それで朝廷側は民衆に取り入ろうと日本古来の神々を仏教の神として習合。その過程に第六天魔王が誕生した。

恐ろしい存在だが恐ろしいが故にその力は強大。その強大な力に縋り魔を魔で祓って貰いたいとする新たな形の信仰が生まれた。それが第六天魔王だと思います。

 

続く。

 

 

 

 

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魔王神社の魔王とは誰なのか!? その4

2016年10月06日 09時20分26秒 | 第六天魔王

続きです。

今度こそ本当に富士山の魔王天神社に戻ります。魔王について一番データーが残っているのは魔王天神社しかありませんので。

魔王天神社の御神体はおびただしい数の鉄剣と鉄矛です。これは理解出来ます。経津主は人を剣でフッツと切り殺すからフッツ主。漢字で書いて経津主です。罪人を切り殺す事で祓い清める神です。剣や矛が御神体であるのは当然と思います。

私、以前は塩竃神社はどうしても好きになれませんでした。武神である鹿島神・建御雷神、香取神・経津主を祀る事で日高見国を侵略し、蝦夷を殺した事を正当化している神社だと思っていました。

蝦夷なんて蛮族は生きているだけで罪。生きているのが可哀想な存在。だから蝦夷を殺して生きる辛さから開放してあげよう。蝦夷を殺すのは蝦夷を救うことだとの意味から、塩竃神社に武神である建御雷神・経津主が祀られているのだと考えていました。

しかし、神道をチョット学んで考えを改めました。確かにその要素は否定出来ませんが、神道の神々は人の罪を自分が実践し、人の代わりに罪を受ける存在だと知り、もしかしたら殺された蝦夷達が建御雷神と経津主なのではないかと思い始めたので。

実は経津主や瀬織津姫の「津」の字が気になっていました。「津」は「○○の」の「の」。つまり間接詞。そして「天然の港」の意味です。しかし「津」の文字の形の意味は違います。「体中から血が噴出す姿」から「津」の文字が出来た。つまり「人が切り殺された姿や死体」か「津」なのです。

そう考えると経津主は「剣で切られて血が噴出しているリーター」。瀬織津姫は「切り殺された者を背負い黄泉の国に運ぶ姫」、或いは「切り殺された者の穢れを背負い黄泉の国に運ぶ姫」。否、神道の考え網羅すれば「人の代わりに切り殺され死んで行く姫」となります。人の代わりに切り殺されるのであれば大変尊い神です。

神道は日本語ではありません。イエズス会が名付けた国際語です。神道の以前は神祇と呼ばれていた。そして元々は「神祇」と書いて「タツ」と発音していた。

建御雷神の「建」、経津主の「経」も「タツ」と読める。神道は「タツ」の信仰であるならば、この両神は神道の要となる神々である可能性が高い。

その考えから鹿島神宮や香取神宮、そして塩竃神社は神道の本流を行く神社である。だからこそあれだけの信仰を集めているのだと思います。

話を魔王天神社に戻します。多くの鉄剣と鉄矛が御神体。私、この光景を見ています。多賀城市の「あらはばき神社」で。

「あらはばき神社」は足の神様なので草履とかも奉納したのか吊るされていましたが、錆びたハサミや包丁、鉄の輪なども奉納??されていました。

「あらはばき神」は産鉄の神でもあるので鉄のハサミや鉄輪があるのは不思議とは思いませんが、魔王天神社の剣や矛も鉄です。「あらはばき神」と「魔王」には共通点があると思います。

 

続く。

 

 

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魔王神社の魔王とは誰なのか!? その3

2016年10月05日 12時16分24秒 | 第六天魔王

続きです。

魔王天神社の外に魔王神社はないのか。

南三陸レベルの小さな魔王神社はありました。伊豆の三宅島に。しかし祭神は不明。

地元の人の話では「誰も祭られている神の名前は知らないが、昔から大変恐ろしい神様と伝えられてきた。境内の石ころ一つ、落ち葉一枚拾って帰っても祟りがある」との事です。

これって伊豆左比売神社と似ている。怖さを感じます。

共通点は「伊豆」。伊豆は古来から流罪の地とされている。それなのに格式が高い神社が多い。それは何故なのか。

答えは単純。大変怖い神様が祀られているから。そしてその怖い神々の血筋の者が住んでいる地だからと考えられます。伊豆は蝦夷、つまり現在の東北の様に軽蔑される土地であり、酷い目にあわせた神々の土地。祟りが恐ろしい土地。だからしっかりし鎮座して頂く為に格調高い神社が集中しているし、流刑地として蔑していると思えます。

伊豆に付いては恐ろしさもありますが、簡単には説明できそうもありません。また機会があったら語りたいと思います。

さて困りました。魔王神社が少なくて。仕方ない、前出の魔王天神社に戻ります。

この魔王天神社。「天」の字が入る訳ですから、仏教の考えが入っているのは確実です。まっ、「魔王」だけでもそうですけど。

そうなるとやっぱり第六天魔王となります。この「第六天」、あるいは「大六天」を冠する神社は割と多くあります。東北においては。

祀られている神は「面足(オモダル)尊」と「あやかしこ根尊」。この神々は夫婦の様です。

「面足」とは「顔が足りている」。つまり美男子と言う意味です。何であえて美男子を強調するのでしょう。そういえば大国主も美男子だったとされているけど、今だって美男子がチヤホヤされる。古代でもそうなのか。それだけの理由なのか。

外に「足」は女垂らしの「タラシ」で、本当の意味は「養育」。「面足」だと「顔を整える」、「化粧する」、「整形する」に成っちゃうけど、これは関係ないか。

キーワードは「面」と「足」。そのまま「顔」と「脚」を強調するのであれば、思い浮かぶ神がいます。「両面宿禰」です。

この神様は超強力な武神です。何たって二人の神が背中を合わせるようにくっ付いていて、手足が四本づつあるのですから。四本の腕で剣を持ち、四本足で歩くならそりゃ最強でしょうね。

しかしそのルックスは8本足の蜘蛛の如くです。土蜘蛛をイメージします。何者なのでしょう。

考えてみれば最強の武神であり呪いの神である弁才天も本来の像は8本腕に剣等を握っています。千手観音もそうですが仏教では複数本腕があった方が強い・万能との考えなのでしょうか。

もう一人、否、二人、蜘蛛のイメージする神々がいます。手長足長です。手長足長は貝を拾う時、漁をする時、足長が手長をおんぶして行うとされています。その姿はやはり蜘蛛です。私は同神、または同じ一族だと思っていますが、これも難しくてどう説明したら良いのやら。

ただ、特異な人物は昔は信仰の対象とされていました。例えば日本でも見つかっていますが頭が長い人。わざと頭を紐で縛って長くしたのです。通常の人間との違いを示す為に。その人はシャーマンだった。シャーマンとして育てられたと考えられます。卑弥呼ももしかしたら頭が長かったかも知れません。

更に目が見えない人も信仰されてます。恐山のイタコも昔は目が見えない人が多かったのもその為です。シャーマンとしてイタコになったと言えます。

更に更に知的障害者もシャーマンであります。仙台では実在した「仙台四郎」が福の神として来訪を歓迎されましたが、彼もまたシャーマンの要素があります。

神道の神々は人間の代わりに罪を犯し罰を受ける存在です。特異な人、異形な人も人々の代わりに罪を背負ってくれている。だから信仰されていたと思われます。「両面宿禰」はその究極と考えられます。

「両面宿彌」は何故か円空も好んで像を彫っています。そして出身地や能力から風神と思える節があります。

両面宿禰はまだまだ長くなりそうです。考えを練って、またの機会に語りたいと思います。

 

続く。

 

 

 

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魔王神社の魔王とは誰なのか!? その2

2016年10月03日 08時04分46秒 | 第六天魔王

続きです。

魔王神社の魔王がスサノオ尊では無い事を証明するにはどうしたら良いのか。こりゃもう他の魔王神社を調べるしかないですけど他にあるのでしょうか。魔王神社が。

実はありました。山梨県の富士山の近くに魔王天神社が。「魔王」と「魔王天」の違いがあるが、同じ系統の神社と考えます。そして魔王天神社の祭神は経津主神です。

経津主神は天照大神の天孫降臨に追従した武神です。武神故に魔王のイメージがあります。全国に祭られているメジャーな神様です。でも何故に富士山周辺で魔王として祭られているのか。

私、天照大神はスサノオ尊よりも古い国津神だと考えております。そして千葉県香取市に香取神社の総本社である香取神宮が鎮座していますが、出身地はその周辺と考えます。つまり大陸から渡って来たのではなく、天照大神同様国津神だと思います。

その証拠とするには少々弱いですが、経津主神の別名は斎主神と伊波比主神。どうしても被って見えるのです。塩竃に祭られている志波彦神と。

志波彦神は鬼渡神・阿須波神であるとする説があります。私もそう考えています。

鹿島神と香取神は同神。そして鹿島の地主神は阿須波神である。そう考えると「タケミカヅチ神=経津主神=阿須波神」が成り立つ。

そして阿須波神は万葉集の防人の歌の「庭中の 阿須波の神に 小柴刺し・・・・・・」から庭神、柴神とされていますが、「柴神」と書いて「サイノカミ」と読むのです。そうなると経津主神の別名・斎主神と重なります。

塩竃では志波彦神社と塩竃神社が同じ場所に鎮座しています。志波彦神は塩竃神の塩竃の地の国づくりに協力した神であるとされています。私はその説には納得していません。

塩竃神社には塩土老翁を主祭神とし配神として鹿島神・タケミカヅチ神と香取神・経津主神を祭っています。そして塩土老翁は猿田彦尊とされている。

今はまだ詳しく説明出来ませんが、猿田彦尊は道祖神である幸神信仰が伺われる。そして「幸=斎=柴=佐比」であるとしたら、塩竃神、鹿島神、香取神、そして阿須波神である志波彦神は同神。若しくは同じ系統の神々と考えられます。

塩竃神は知恵。鹿島神・香取神は武。そして志波彦神である阿須波神は旅。もしくは足。全て戦いに必要なものです。

そして鹿島神・香取神は北関東に本拠地がある。阿須波神も同じく鹿島。昔なら蝦夷の地。

そして塩土老翁が「東に良い土地がある」と言った事で、神武天皇が東征を決意したとされるが、それは塩土老翁が蝦夷の国を知っていた。更には旅して来た。そして出身者だとも考えられます。その事から考えてもこの四神は同神ではないかと思われます。

 

続く。

 

 

 

 

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