諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

事故物件に住む感覚。その1

2023年10月26日 00時28分13秒 | 人生
私、終の棲家は私の故郷、福島県のいわき市で過ごしたいです。

しかし、放射能の問題で地価がとんでもなく上昇した。

面積だけは巨大な「いわき市」の中心地・平を、ちょっと離れれば部落なのです。それなのに地価が高い。部落なのにちょっと豪華な中古物件が5000万円以上していた。

平の普通のファミリー向け中古マンションでも4000万円近い。バカ高です。仙台市の中心部のマンションよりも高い。それで諦めていました。

しかし、帰宅困難地域の閉鎖が解除された。私的にはもう放射能の問題は無いと考えています。それで地価も下がってきた。

私はその昔、私の家系の者が移り住んだであろう三和町の永井に住みたいのです。

ここ、何にもない所。過疎も過疎。店舗と言えば土日営業の「いこいの学校 長居小」と冬場と平日は営業していない「農家蕎麦屋」があるだけです。生活する上では大変不便です。

でも、良いのです。私が気に入っているのですから。

この地には旧鬼渡神社である永井神社を参拝しに、何度も通っています。この永井神社の両脇には家がありますが、どちらも空き家です。空き家だらけです。それなのに売り家が殆ど出ないのです。

多分、一度大幅上昇したのでまた上がると思っているのではないでしょうか。

確かに中国経済が崩壊し、日本の工場が中国から引き揚げてきた場合、福島県の浜通りに工場を建設するケースが増えると思います。

特に小名浜は一級の港です。輸出企業にとって好都合の場所です。また、地価も上がる可能性が高いです。

でも、三和町永井は山の中。工場は増えるかどうか。三和町には高速道路のインターチェンジがあるから増える可能性はあるが、どうなのでしょうねぇー。

浜通りは震災で空き家だらけ。否、津波で更地だらけです。広大な更地があります。

また津波の危険性はありますが、津波避難地を多く設けているので命は助かると思います。

やっぱり工場なら高速道路も通っている浜通りを狙う筈。やっぱり三和町は廃れる一方だと思います。それでも良いですから三和町永井に住みたいですね、私は。

そう言う事で、いわき市の中古一軒家の物件を良く見ています。

そして発見しました。割と豪華で真新しい家なのに、400万円台で売りに出ている中古物件を。

うーん、地価が下がり切っていない「いわき市」で、この価格は安い。でも、場所は私の土地勘が無い勿来周辺。

勿来なら工場が多い小名浜からも近い。地価もそれほど下がらないと思うが、400万円台は安過ぎる。それでしっかりと資料を見たら「心理的瑕疵有り」とあった。

私は爺様が正月に餅を喰って窒息死した程度なら問題視しない。家で亡くなる人は多い。津波の被害者が1万人を超えている宮城県に住んでいるのである。そこまでは気にしない。

孤独死も気にしない。人間、孤独に死んで何が悪い。病院で病で死ぬよりよっぽど良い。

昨年、私の父が主に誤嚥性肺炎で亡くなったが、コロナのせいで誰も見舞いには行けなかった。病院から呼び出された時はもう意識が亡くなっていた。約3か月会えなかったが、別人の様に痩せていた。

三か月間、食事もできず点滴のみで生きていた訳だが、この死に方は地獄だと思う。それならポックリと孤独死した方が何倍も幸せだ。

っとは言うものの、腐敗していたら流石に嫌だな。

そう思って物件の写真をしっかりし見たが、その形跡は無い。問題はなさそうだ。

それで冷やかしで、物件を扱っている「いわき市」の不動産屋へネットで資料請求し、心理的瑕疵の理由を質問してみた。

帰って来た答えは自殺だった。自殺者の弟家族が暫く住んでいたが、売りに出す事を決意したようだ。

うーん、自殺か。うーん。

私も世の中の理不尽さを恨んでいる。禍を運んで来た肉親も恨んでいる。

でも、不思議な事に私に禍を運んだ者は皆、不幸になった。大喧嘩した腐った根性の同級生がいたが、ふと思い出して友人に聞いてみたら20年前に亡くなっていた。

父母に対しても恨みがあった。だから父母とも不幸な晩年になった様に思える。

人を恨む。呪う。そしてその者は祟りを受ける。それって本当にあるのではないか。

否、稀代の悪党であるジャニー喜多川は、罰を受けずに幸せな人生を送って死んでいった。奴を恨んでいる者は大勢いた筈。それなのに良い人生を送った。やっぱり人生は理不尽だ。


続く。


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ホツマツタエが偽書であると言われる所以。その3

2023年10月24日 08時05分27秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
続きです。

イタコ芸人の変形もあります。日月神示です。これも「ののさん」が知ったかぶりして得意げに話してました。

この日月神示は、教祖??の神典研究家・岡本天明に国常立尊なる高級神霊から啓示を受けて、自動筆記をすると言うものです。書物にもなっています。

この日月神事は漢数字や独自の記号、そしてカナ文字、抽象的な絵で描かれています。書いた岡本天明も何が書いてあるのか分からなかった。

その日月神事を岡本天明の死後、仲間の神典研究家、霊能者、天明の妻の岡本三典によって、ある程度は解明されたそうです。

でも、私には不審点があります。ここで登場する国常立尊は日本神話の根源神です。古事記では神代七世の最初の神とされています。もっとも古い神なのです。

そして日本には元来、文字が無かった。漢字が日本に入って来たのは五世紀頃とされています。

何で国常立尊は漢数字やカナ文字を知っていたのか。国常立尊は五世紀頃に日本に現れて漢数字やカナ文字を勉強したのか。神だから何でも分かるのか。

この点が矛盾しています。

私は人が癲癇など精神的におかしくなって、狂乱状態になり書くことは有り得ると思います。

っと言うより、癲癇を装ってそれらしく書くことは私でも可能です。

私で出来る事ですから、神典研究家の岡本天明にも可能な筈です。

岡本天明やその妻、そして仲間の神典研究家も、自働筆記の書を神典とした新興宗教の設立を計画していた。私にはそう思えます。

そして最後にホツマツタエです。

縄文時代、日本の人口は現在の鹿島神宮・香取神宮周辺、仙台市周辺、弘前市周辺に集中していました。

私が追っている鬼渡神からその本質が証明できるのですが、それは置いときます。

ホツマツタエの舞台は仙台市、岩切町、利府市、多賀城市周辺と言えます。

だから私も若い頃、読んでいたのです。鬼渡神でもある瀬織津姫も出て来ますので。

このホツマツタエは、神代文字とされる「ヲシテ文字」なるもので書かれています。

でも、何度も言いますが日本には文字は無かったのです。

文字ほど便利なものはない。それなのに「ヲシテ文字」があるのに何で日本語として採用されなかったのか。

しかもです。この「ヲシテ文字」ですが、私には漢字がベースとしか思えません。漢字の変形と言えます。

漢字は中国から伝来したのです。元々日本に「ヲシテ文字」があったのなら、何で漢字に似ているのでしょうか。

日本の「ヲシテ文字」が何時の日か日本では忘れ去られ、日本から中国に渡り、漢字として日本に戻って来たと言うのでしょうか。

流石にそれは私、考えられませんね。

そしてホツマツタエの中心の神と言えるアマテル神。

瀬織津姫がその正室、若しくは第一側室だとか言われていますが、その下級の側室??に「麻子」なる女性の名が書かれています。

「麻子」って今でも普通に見られる名前ですよね。

日野富子とか北条政子とか今でも使われている名前がありますが、「麻子」と言う名も古くても鎌倉時代や室町時代の名前の様に思えます。とても神代の時からあった名前だとは思えません。

そしてホツマツタエは1700年代後半に出版された。それ以前にはホツマツタエの伝承は皆無です。急にホツマツタエが出現したのです。

聖書だってハムラビ法典まで遡る事が出来るのです。急に1700年代に現れるのはおかしいです。

偽書とされる東日流外三郡誌も1970年代に和田家の屋根裏から急に落ちて来たそうですが、その伝承は歴史的に遡れない。だから偽書に認定されています。

ホツマツタエは古事記・日本書紀の原本だと言う人もいますが、遡れない以上、偽書であるとしか言えません。

誰かが古事記・日本書紀や日本の伝承を通じて1700年代後半に創作した書物だと言えます。

古事記や日本書記の伝承は見つかっています。ホツマツタエはそれらの伝承に大祓祝詞を重ね、誰かが物語調に書いた空想神話スペクタクルだと私は断言します。

ホツマツタエが古事記・日本書紀の原本になったのであるならば、ホツマツタエはその時代からあった筈。その原本が無いのであれば、その答えしか出て来ません。

以上です。

宗教はお金と権力、そして人々の信仰を生みます。其れ欲しさに神をでっち上げる人が今も昔も大勢いる。

現在は宗教法人の設立は難しい。だからスピリチュアルヒーラーとして神を語り霊感商法で人を騙して生きている悪人が大勢いるのです。

宗教に走る人は哀しい想いをして神に縋る。否、神を語る教祖やスピリチュアルヒーラーに縋る。そして気が付く。教祖が語る神よりもお金の方が万能である事を。

姉妹でアナウンサーをしていたが、妹の方が禍を振り撒く歌舞伎役者と結婚した。子供は出来たが、自分は病に侵された。夫は医学では無くスピリチュアルで治そうとした。それで手遅れとなり、妹の女子アナは亡くなった。

姉の女子アナもスピリチュアルに走った。元ソープ嬢が教祖の子宮教に入信した。結婚した夫もスピリチュアルな人間だった。

そこから彼女も自分の知名度を生かして、霊感商法と言えるスピリチュアルヒーラー商売を開始します。訳の分からない石などを売っていると聞いています。

最初は神を信じていても宗教のシステムを学び、金を生む方法に気が付く。自分でも出来ると思う。そして霊感商法に歩みだす。それが大半のスピリチュアルヒーラーの実態です。

人から神を語るヒーラーとして崇拝される喜びを知ってしまった。自分を信じ切った信者は、自分の思いのままになる。操れる。喜んで自分にお金を捧げてくれる。

人は宗教を一度知ってしまうと、中々抜け出せなくなります。人を騙し惑わし操る楽しみを覚えてしまったので。

宗教で人を操る喜びを知ったら、スピリチュアルヒーラーが改心するのは難しいと言えるでしょう。神様商売は一度やったら止められないのです。

人間は生きて行く上で信じられるものが必要です。そこに目を付けて騙す悪人が教祖であり、スピリチュアルヒーラーです。

だから「神と自分」。それで宗教を完結すべき。

自分で神や宗教とそり歴史を学び、自分の神を探し辿り着くべきです。そしてその神を実感すべきなのです。

神を信じなければ生きられない人は大勢います。信じるなら神を語る者では無く、神のみを信じるべきです。自分が信じられる神だけを探すべきだと思います。

それが自分にとっての真実の神なのですから。


ではでは。











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ホツマツタエが偽書であると言われる所以。その2

2023年10月23日 07時07分06秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
続きです。

さて、良く言うと新興宗教。悪く言えばカルト教団が発生したのは江戸時代後期から明治時代にかけてです。それが今でも続いています。

仏教系、キリスト教系、神道系、色々あります。

代表的な教団名を上げれば、天理教、宗教・大本、生長の家、天照大皇神宮教、立正佼成会、創価学会、世界救世教いずのめ会、PL教団、真如苑、GLAと言ったところが有名です。まだまだあるのですが、覚えきれないです。

これらの新宗教では上記、仏教、キリスト教、神道の変形。或いは合成と言えます。

教祖の考えから創りかえたと言うか、大元とは違い独自の解釈となってたりします。

先の「ののさん」は出口王仁三郎、岡田茂吉の本を読めと私に言いましたが、宗教・大本の出口王仁三郎はイタコ芸人なのです。

先日亡くなりましたが幸福の科学の大川隆法も同じイタコ芸人です。彼の息子は父親をイカサマと言ってましたが。

神が憑依した、死者の霊や生霊が憑依したと言って、変な口調で騒ぎ立てる感じで話す。一昔前なら狐憑きだと思われます。

私、アルツハイマー&パーキンソン病を発症していた精神疾患の者と対峙したことがありますが、彼も訳の分からない事を言ってました。

宗教・大本の出口ナオは精神疾患だとされていますが、婿養子の出口王仁三郎と不仲で、ナオは天照大神、王仁三郎は素戔嗚尊を憑依してイタコ芸人同士で口論をしたことがあるそうです。

これってイタコ漫才ですね。私も観てみたかった。通常の漫才よりも笑えるかも。

イタコと言うと恐山のイタコが有名ですが、本来のイタコは盲目で、生きる術がイタコしかないからその職に就いたと言えます。

彼女たちは目が見えない。それでも生きて行かなければならない。それで客の先祖の霊を自身の身体に降ろして、客と会話させる。

以前は瀬織津姫だとも言われているオシラサマを降ろすイタコも存在していたそうですが、2000年で途絶えたそうです。

彼女たちの力は本当なのか。

極論を言えばメンタリズムだと言われてます。本当に霊が降りて来る訳ではないようです。ですが、ただのメンタリズムではない。

彼女たちは目が見えない。苦難の人生を送っている。その者が先祖の話だとして、客に人生のアドバイスをする。

神道には受代苦の考えが有りますが、イタコも盲目と言う苦しみの中で生きている。その言葉には心理が宿っている。客はイタコの苦しみに生きる姿と話に感動し、襟を正して生きて行ける様になる。

一つのカウンセラーと言いましょうか、それで客が納得して人生を歩いて行けるのなら、イタコの存在価値は大いにあると言えます。

しかし、他の拝金主義のイタコ芸人が創った教団はどうか。

完全に金と権力にまみれている。それで宗教・大本の信者だった岡多茂吉は脱会。「いずのめ会」を立ち上げています。

岡田茂吉も交霊によって神託をしていました。彼もイタコ芸人です。

多分、出口ナオ、出口王仁三郎のイタコ芸を見て、「これにはワシにも出来るわい」とでも思って大本を離脱して、いずのめ会を創設したのでしょう。

岡田茂吉は病弱で医学に疑問を持っていたことから、自然農法と「手かざし療法」で人を癒していました。それで巨万の富を得て芸術品の収集ばかりしています。この男は物欲の塊です。

更には仏教、キリスト教、神道をごっちゃにして訳ワカメ状態となり、何度も教団内で分裂を繰り返しています。

新興宗教と言うのは、どこもこんな感じになっちゃいます。幸福の科学もそうです。教団内の権力者や幹部達が揉めるのです。

現在の「いずのめ教団」は岡田茂吉がやっていた交霊は止めています。

手かざし療法でも治らずに人を死亡させた事例が発生し、内科、精神科、心療内科を併設して「手かざし療法」を続けている様です。

岡田茂吉は西洋医学医学を否定していましたが、現在は西洋医学と併用で「手かざし」の療院を運営しています。

私、家から近かったのでこの「いずのめ会」の心療内科・精神科に通院しようと考えたことがありますが、サイトを見たら割と奇麗めのお姉さんが、死んだ魚の様な目をして患者に「手かざし」をしていました。

通院するか迷いましたが、「貴方の心の病は薬では治らない。手かざしで治す」とか言われ、高額な治療代を請求されるのではないかと危惧して行きませんでした。

やっぱり、たかが人間がイエス・キリストの真似して「手かざし療法」しても、私の心の病は治らないと思いました。

現にキリスト教でさえ、イエス・キリストが用いた「手かざし療法」は施行されていない。あれは治癒神・イエスだからこそ出来る技。

岡田茂吉はイエスを真似て「手かざし療法」を考案したと思えますが、西洋医学では救えた命を「手かざし療法」に固執した為に死者も出ている。

私は岡田茂吉の「いずのめ教団」は信じられませんね。


続く。



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ホツマツタエが偽書であると言われる所以。その1

2023年10月22日 13時41分16秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
暫くの期間、「ののの備忘録」と言うブログ主から長文コメントが届いていました。

宗教・大本の出口王仁三郎の本を読めとか、いずのめ教団の岡田茂吉の本を読めとか言われました。

私、カルト教団やスピリチュアルヒーラーによって不幸になった人を何人か知っています。だから私のブログではスピリチュアルやカルト教団の悪行を告発しているのに、それを読めって言うのですから呆れました。

でも、10代、20代の私はそれらを読んでいました。

宗教・大本の「出口ナオ」と婿養子の「出口王仁三郎」。

出国ナオは不幸な生い立ち、子供たちの不幸から精神を狂わせていたと言われてます。精神を乱しているから宗教に走る。その面は多くの人に見受けられます。

っと言うより、人は信じるものが必要です。

私も鬱病ですが、何度も挫折した。失望した。親兄弟にも裏切られた。肉親にも禍を振りかけられた。何も信じられにい。だから神に縋りたいと思った部分は確実にあります。

多くのカルト教団の教祖やスピリチュアルヒーラーも、最初はそうだったと思います。

しかし、彼らは神より信じられる物。そして大いなる喜びを見付けた。それは「お金」。

神を語り自身が信者に信仰される優越感。信者は何でも自分の言う事を聞く。自分を神として見てくれる。自分を好きになってくれる。献金までしてくれる。

人を操る楽しさ。これを知ったら抜け出せません。

昔の戦国武将もそう。今の出世したいサラリーマンもそう。起業する者もそうです。人を自由に操る喜び。お金を自由に得られる喜び。これを知っちゃうと神なんかどうでもよくなると思えます。それはカルトやヒーラーだけではなく、大半の宗教者にもその意思が見れます。

だから私は「神と自分」。「それで完結せよ」と言っているのですが、霊感商法をしている者にとっては歯痒い存在だと思います。

私は以前、「本来の水神である天知迦流美豆姫は、瀬織津姫の名によって隠されたのだと思う」と題してブログを書きました。その理由も分かり易く書いたつもりです。

そのせいかネットでの瀬織津姫のトーンが下がった。天知迦流美豆姫に付いて語りだした人が増えた感じがします。

それによって瀬織津姫を語る教祖や瀬織津姫のスピリチュアルヒーラーは、霊感商法がしにくくなったみたいです。

そして私は更に「天知迦流美豆姫を祀る大鏑神社に付いて考察する」と題してブログを書きだした。

それに困った「ののの備忘録」のブログ主は私を自分のブログに誘導して、書くのを止めさせようとしたように思えます。

そうなると「ののの備忘録」のブログ主は、「瀬織津姫の神名を商標登録した一派ではないのか」と直感。

そのブログ主もそれを察知したのか、最初は女性らしい丁寧な口調だったのに急に「ボケナス、ウザイ、俺は男だ」と聞いてもいないのに自分は男だとした。それで確信しました。

そして「ののの健忘録」と言う名のブログも発見。

「ののの備忘録」と「ののの健忘録」。同じ「ののさん」が書いているとしたら、書いている人も特定出来ました。

私、重度のHSPだから丁寧な文章であってもその人の本質が分かります。或る意味、心の名探偵なのであります。

やはりビンゴだったみたいで、そのブログ主は私のブログから去りました。私から見たら他愛もないです。


続く。






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背中に龍の刺青を彫っている者は、「俺は中国の皇帝だ」と言っている馬鹿に思える。

2023年10月20日 15時15分06秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
私、刺青を入れる者は嫌いです。心から軽蔑しています。

っとは言え、外人はファッションで手軽に刺青を入れますよね。最近は日本語の刺青を入れるのがクールなのだとか。

でも、その日本語の意味も分からずに刺青を入れている外人も多いです。

笑ったのは「便所」、「台所」の文字の刺青を入れた外人。

その刺青の意味を日本人のレポーターが刺青外人に教えたら、「オゥッ、シット。キッチン?  トイレット? オウッ、ノー」と叫び、頭を抱えて蹲しました。

そりゃそうです。恥ずかしいもん。私、大笑いしちやいました。知らない事とは恐ろしいものです。

知らないと言えば龍神に付いてです。あんな格好をした神がいると信じている。

瀬織津姫の神名を商標登録したY氏のCDに、「私は龍になる」とか言う曲がありますが、龍の意味が全然分かっていない。中国人に大笑いされてしまう。日本人として恥ずかしいです。

それだけではない。彼の曲には確か「饒速日 参上」と言う曲も合った筈です。

私、彼を日本人じゃないのではないかと疑った理由の一つに、この曲がありました。文法的に間違っているので。

藤子不二雄のテレビアニメで忍者ハットリくんがあります。曲の出だしで「服部半蔵、ただいま参上!!」と流れています。

これは問題ないですが、「饒速日 参上」はスーパーウルトラ罰当たりな発言です。

意味、分かりますか。「参上」と言うのは格下の者が主君や役職の上の者に出会い、挨拶に使う時に「参上仕った」とか言うのです。

饒速日尊は神ですよ。神は「参上」なんて言いませんよ。言うとしたら「降臨」でしょうか。

これ、神道の知識と言うより、日本人の常識ですよ。

Y氏は瀬織津姫だけではなく、饒速日尊にも大変な不敬を働いている。そんなことも分からない、彼の信者の知的水準の低さには呆れますね。

「小学校から国語の勉強しなおせ」と言いたいです。

まっ、そんなレベルの人達だから、彼の信者を続けているのでしょうけど。

龍の話に戻します。

テレビゲームに格闘シミレーションゲームに「龍の如く」と言うものがあります。ヤクザの主人公が格闘になる時、上着を脱いで龍の刺青を見せて戦います。

刺青業界の事はよく知りませんが、「ヤクザの刺青=龍」のイメージです。多分、一番人気があるのだと思います。

でもねぇー、知っているのでしょうか龍の意味を。

私、何度も龍について書いていますが、龍は装飾のデザインであり、権威の象徴として用いられています。

五本指の龍は中国皇帝用、四本指の龍は皇帝の臣下や中国民衆用、三本指の龍は中国の属国用です。

昔、日本のラーメン屋のどんぶりに三本指の龍が描かれていましたが、その理由は日本は中国の属国と蔑まれているからです。

私、そんな器でラーメン出されたら、喰わずに帰りますね。日本人としての屈辱ですから。

お題に戻ります。龍の刺青を身体に彫っているヤクザ。これって「俺は中国の皇帝なんだぞ」と言っているようなものです。

チャイニーズマフィアが彫っていたらギリ、自分を誇張しているのだなと思いますが、日本人のヤクザがしていたら情けないです。どんだけ中国が好きなんかい。夢は中国の皇帝か。バカで有名な習近平にも苦笑されますよ。

そんな龍の刺青を彫るのなら、中国にでも行けと言いたいです。

もっとも中国に忖度して三本指の龍を彫っていたとしたらどうか。

日本人として情けない。中国へ行って臓器を取られて死んでしまえと言いたくなります。

以上です。

龍神系のスピリチュアルヒーラーが、「龍神レイキだ、ビィビィビィビィビィー」とか言っているのか知りませんが、スピリチュアル関係でも龍神で霊感商法をしている輩だけでなく、仏教者までいます。彼らは龍について全然知らないのです。

そして信者も知らないから騙される。

だから私、言っているのです。宗教は歴史的側面を知る必要があると。歴史を知らなければ宗教は語れないと。

無暗に信仰していたら馬鹿な人生を送ってしまった、騙されたと、死んでから大変後悔しますよ。

少しは勉強してくださいね。ヤクザの人とスピリチュアルの人。


ではでは。


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