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断ち過ぎた「しがらみ」・・・現代社会

2012-04-07 | 雑記
隣近所との近い距離でも、挨拶すらしない現代社会・・・

私の近所でも同じなのだ・・・「おはよう御座います」と挨拶しても無視して去って行く人・・・何なんだろうねぇ~・・・


今朝も新聞のコラムから転載してみます。

~以下、4月7日読売新聞朝刊より抜粋~

 「しがらみ」と聞いて、嫌な感じを受けない人はまずいないだろう。
 別の言葉に換えるなら、因縁、腐れ縁、束縛、邪魔・・・・といたところか。世事の煩わしさが凝縮されているようで、口にするだけで重たい気分になる。

 ところが、この言葉、大昔は全く違った意味で使われていたようだ。
 漢字では「柵」と書く。水流にくいを打ち並べて竹や木を横に渡したもので、田んぼに水を引く時や橋をかける工事の時、水の流れを止めるために造られたという。大雨の際は、流木や土砂が橋にぶつかって壊れるのを防ぐ役割も果たした。
 せきとめるもの、まといつくもの・・・・
 つまりは、そうした意味が転じて、「浮世のしがらみ」などと、多分な嫌悪を含みつつ例えられるようになったらしい。

 小倉百人一首にもある。
山川やまかわに 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉もみぢなりけり>(春道列樹)

 作家の田辺聖子さんが著作の中で次のように訳している。
<山道をゆけば 川の急流にひとところ 秋風がかけた しがらみができている 
 風が作った しがらみって 何だか、わかるかい、きみ もみじなんだよ 深紅のしがらみなんだ・・・・>

 この場合の「柵」は風雅でみずみずしく、浮世のそれのうっとうしさは感じられない。

断ち過ぎた「しがらみ」

 佐伯啓思・京都大教授の『反・幸福論』(新潮新書)に次のような一節がある。
 <とにかく「縁」や「しがらみ」という面倒なものを断ち切ろうとしたのが戦後日本だったのではないでしょうか。戦後の民主主義にせよ、個人主義にせよ、都市化にせよ・・・・「近代市民社会」なるもののしごく当然の結果が「無縁社会」なのではないでしょうか>

 最近、誰にも知られずに亡くなる「孤立死」が後を絶たない。今年1~3月、全国で少なくとも6家族計13人が、民家やアパートで亡くなっているのが続けざまに見つかった。
 札幌市で死後ひと月ほどが過ぎて発見された姉(42)と妹(40)は、姉が脳内血腫で急死した後、知的障害のある妹が頼る人もなく凍死したとみられている。部屋は電気が止まり、暖房具も使えない状態で、二人とも極度に痩せて胃の中は空っぽだったという。
 遺品の携帯電話には「111」など3ケタの番号の発信履歴が複数あった。妹が姉の異変を察して、110番や119番に助けを求めようとしたようだ。

 物言わぬ姉を「おねえちゃん、おねえちゃん」と何度も呼んで、体を揺すったかもしれぬ。窓を閉め切った部屋で、1人大声を出して助けを呼んだかもしれぬ。ドアノブを力の限りつかんでも、カギが開かなかったのかもしれぬ。飢えと寒さをこらえながら、日が昇っては落ち、真っ暗な闇が繰り返しやってくる。その中で、来てはもらえぬ誰かを待ちながら孤独に過ごす月日とはどんなものなのか。

 翌2月には東京・立川市で母(45)と、知的障害のある男の子(4)が死後1~2ヶ月もたって見つかった。やはり先に亡くなったのは、世話をしてきた母の方だという。
 せきとめるもの、まといつくもの・・・・
 佐伯教授が指摘するように、私達の社会は「面倒なもの」を断ち切ってきたのだろう。隣人の顔さえ知らない都市生活は、もはや冷たく怖いものだというほかない。

 震災後、盛んに「きずな」とか[つながり]とかがいわれているが、人が手を取り合うと、風がもみじを運ぶように「柵」も現れるかもしれない。隣人愛にしろ、家族愛にしろ、手に入れたいなら辛抱や不自由を甘受する覚悟もいりそうだ。

 政争に敗れた菅原道真が九州に流される時、同志に向けて読んだ歌にも「柵」は出てくる。
<ながれゆく われは水屑みくづと なりはてぬ 君しがらみと なりてとどめよ>
 この歌を一読して、道真を素直に気の毒だなあと思えないのは、窮地に助けを求める人がいたからか。


私の老母の妹も、昨年亡くなってから2日後に発見された・・・叔母の場合は、二日だからまだ幸せな方だと叔父は云ってた・・・

しかし・・・私には何か割り切れない気持ちが漂っている・・・

私は、いまだ隣近所と交友を持つようにしているが・・・やはり、鬱陶しく感じている人はいるのだろうな・・・
コメント
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