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「母なる国」を離れて生きる孤児たち・・・

2012-05-27 | 雑記
私達の子供の頃・・・親のいない子供達を擁護する施設を"孤児院"と云っていた・・・

現在は"児童養護施設"というのだが・・・


私が中学生だった時・・・同じクラスに男子生徒2人ほどその施設から通っていた生徒がいた・・・

ある日、その内の1人の友達が別のクラスの男子生徒に殴られた・・・と云って来た

私は、殴った生徒の名前を聞き出し、話を付けようと校内を探し歩いた・・・が

殴った当の本人は、逃げ隠れてしまったのか、見つからなかった・・・

しかし、そのグループのリーダーは私が子供の頃、一緒に遊んでいた知人でもあった為、

彼と話し合い・・・二度とこの様な事をしでかさない様にと頼み込んだことを想い出します・・・


当時は、施設からきている子達に対し・・・そのようなイジメをやる生徒もいたのだが

私は、そういうことが大っ嫌いだった・・・

ただ、全体として・・・決していじめる生徒は殆んどいなかったと想っているのだが・・・


1970年代まで英国は孤児たちを児童移民としてオーストラリアなどに送り出していたという・・・

今朝はこの件に関したコラムを転載してみたいと思います。

~以下、5月27日読売新聞朝刊より抜粋~

 編集手帳 
19世紀から1970年代にかけて、英国は児童養護施設に入所していた多くの孤児たちを児童移民としてオーストラリアなどに送り出している。移住後、施設で性的虐待を受けたり、過酷な労働を強いられたりした事例も少なくなかったようだ
その実態を描いた映画「オレンジと太陽」が都内で上映中だ。英豪両政府は児童移民の事実を認め、ようやく2年前に公式謝罪した。人権を無視した移民事業が、20世紀後半まで続いていたことに驚かされる
日本や韓国からも戦後、多くの孤児が国際養子として海外に渡っている。こちらは欧米の家庭に温かく迎えられたケースも多かったようだが、自分の()って立つ場をめぐる葛藤はいかばかりだったろうか
フランスのオランド新政権の閣僚に就任したフルール・ペルラン氏も、国際養子の一人だ。73年、ソウルに生まれ、間もなくフランス人夫婦に引き取られた。「捨て子」という過去に一時は苦しんだ彼女だが、「養子は不幸中の幸いだった」と韓国メディアに力強く語っている
「母なる国」を離れて生きる孤児たちが織りなす様々な物語にも思いを寄せたい。


私の知人にも、施設で育ち・・・今では子供二人の父親となり家も購入し、幸せに暮らしている人がいます・・・

彼は施設で育ったことをあっけらかんと話してくれました・・・

私の息子と同年齢の彼・・・此処までには色々とあったと思いますが今は幸せな現実があります。
コメント
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