ヌマンタの書斎

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「三等重役」 源氏鶏太

2007-02-03 14:16:33 | 
普通の庶民であるなら、大概がエリートなるものに対する反感はあると思う。致し方ないと思うし、ある意味自然なことだとも思う。

私が気に食わないのは、そのエリート育成のシステムだ。本当にあれでいいのか?

日本の大学の頂点にあるのは東京大学であることは間違いない。東大を出て国家公務員上級試験を通ることが、日本のエリートの王道である。

日本のエリートの功罪は複雑だ。明治維新以来、欧米に追いつくことを国是として、一部の産業に集中して、世界に例を見ない高度軍事成長を遂げ、大国の仲間入りを果たしたのは良い。しかし、その後の選択を誤り、結果的には第二次世界大戦の敗北という大失敗を主導したのは、隠せない事実。

その後、米国の保護下で経済に極端に偏った国策を実施して、経済の高度成長を遂げて、世界に冠たる経済大国化したことは良しとしよう。しかし、バブルの崩壊により第二の敗戦とまで言われた稚拙な政策の立案実施の責任はどうした?

実のところ、明治維新後の国家政策の立案実施を担ったエリートたちは、薩摩長州らの下級武士出身であり、必ずしも高度教育の成果であるエリートとは言いがたい。しかし、明治末期から昭和にかけてのエリートは、間違いなく高度教育の申し子たるエリートであった。

そして、そのエリートたちが日露戦争の勝利に舞い上がり、シナ大陸への侵略にはまり、挙句に米国との戦争に突き進んだことで敗戦を迎えた。要するに失敗に終わったわけだ。

戦後の経済の高度成長も実は似たようなかたちとなる。GHQによる占領下での命令で、従来のエリートは排除された。その結果二等エリートに過ぎなかった東大出身者らが登用された。

忘れられているようだが、戦前のエリートは陸軍中野兵学校と海軍江田島兵学校の2校が頂点で、今の東大なんぞ、この2校に入れない落ちこぼれの受け入れ先扱いであった。

この江田島出身の政治家では、中曽根と後藤田が有名だが、彼らは霞ヶ関の官僚操縦の名手と言われた。大概の政治家は、東大出のエリート官僚に気後れするようだが、中曽根も後藤田も東大なんて落ちこぼれだと思っていたから、まったく気後れすることなく使いこなした。

ところが、この落ちこぼれエリートであった東大出の官僚たちが、戦後の高度成長の企画立案実施に力を発揮したから面白い。そしてその数十年後、真のエリート校の頂点となった戦後の東大出身者たちが、バブル経済を招き、崩壊させたというから興味深い(さすがに面白いとは言い難い)。

日本のエリートって、何様なんだ?エリートを育成するシステムを再考すべきではないのか?

実のところ、落ちこぼれエリートの活躍は民間企業でも同じ。GHQによりB級C級戦犯として会社の高級幹部を収監された企業は、止む無くエリートでない社員たちを幹部に据えて、生き残りを賭けて活動を再開した。そんなエリートでない社員幹部たちを、作家の源氏鶏太は「三等重役」と呼んだ。けだし慧眼であると思う。この三等重役こそが、日本の戦後の高度成長を担う実戦部隊として活躍したのだから面白い。

ところで、日本のエリートって、なんなんだ? 東大というブランドに惑わされず、彼ら東大出身者に代表される、日本のエリートが何をしたのか、もう一度考えてみるべきだと思う。
コメント (2)
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