ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「ベロニカは死ぬことにした」 パウロ・コエーリョ

2007-02-15 09:35:22 | 
2年ほど前のことだと思うが、けっこう話題になった本だと思う。

ただ、私は半分も読まないうちに、結末が見えてしまったが故に、少々辛口の採点にならざる得ない。主人公と似たような経験があるゆえに、共感よりも反感のほうが先立ったせいでもある。

反感の情は、むしろ近親憎悪かもしれない。不思議なもので、人間は肉体的苦痛よりも精神的苦痛で死を選ぶ。外から訪れる苦痛よりも内面的苦痛から死を選ぶ。これが私の反感の第一の根拠。死を自ら選ぶほどの悩みといえるのか?

自ら死を選ばざる得ないほどの悩みではあるが、しょせん悩みは相対的なものでしかないと思う。そして人間は大概の場合、自分を基準に考える。だから、主人公の悩みも、傍から見ればそれほどのものとは思えないのはいたし方ない。それでも正直、恵まれた者の悩みであるのは否定できない事実だと思う。

だから、自殺に失敗した後、予期しないかたちで自らの人生に制約を設けられて、そこで初めて生きることを強く意識したのだろう。恵まれた人生から転落して、失って初めて気が付いたのだと思う。

私自身そうだったが、健康にも仕事にも友人にも、普通に恵まれているうちは、その幸せを強く実感することはなかった。難病で多くのものを失い、人生に制約をかけられ、出来たはずのことが出来なくなって初めて、かつての幸せを存在を強く意識した。

その意味では、主人公に共感できる。それでも反感が消えうせないのは、私の妬みだと思う。あの程度の苦しみで、新たな人生を踏み出せるのなら楽なものだと思う。

私はかつての自分にこだわり、難病と寄り添う新しい人生になかなか馴染めなかった。今でこそ、病気があることを日常的なことだと、割り切っているが、その心境に至るまでの艱難辛苦は思い出すのも嫌だ。だからこそ、似たような境遇を経験しながらも、素直に共感できないのだと思う。

どうも、私は人間の器が小さいようだ。


コメント (6)
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