ヌマンタの書斎

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「聖刻群狼伝」 千葉暁

2007-02-23 15:21:01 | 
私は十代の頃、やたらと権威なるものを嫌っていた。高校野球における高野連とか、相撲における横綱審議会などがそうだ。本の世界でいうなら、純文学賞選定者って奴が大嫌いだった。

だいたいに、日本の文壇は、男女の別れとか、社会の軋轢の中での苦悩とかをやたらとありがたがる傾向がある。でも、本って奴はそれだけじゃなかろうにと私は思う。それだけを至高の基準にしているかのごとき印象があって、どうも文学という奴が嫌いだった。お高くとまりやがって、この野郎!である。

だから、吉川英治や山本周五郎が、吾は大衆作家也と公言したときは、しきりと一人肯いたものだった。本には、大衆を楽しませる力があり、お高く留まって偉ぶるばかりが能じゃなかろうと考えていたからだ。

実際、私は本をTVや映画を観るのと同じ感覚で楽しんでいた。楽しくなければ本じゃない、とは言わないが、エンターテイメントに重きを置いていたのは事実だ。

十代の頃、私が夢中になっていたのは、大半が推理小説、冒険小説、伝奇小説、SF小説であった。どちらも日本の文壇では評価が不当に低かった分野であり、私はそのことに大いに憤慨していた。現在は、どちらもそれなりに高く評価されている。私からすると、ようやく文壇の常識が、世間に追いついた感が強い。遅れているんだよ、このタコ!である。

ところで、現在日本の文壇界から不当に低く評価されていると思うのが、ライト・ノベルの分野だと思う。実のところ、ライト・ノベルという表現自体、いささか不明確で、どこからどこまでなのか曖昧なようだ。少々漫画チックな挿絵や表紙が特徴的な、青少年向けの本だと定義できるかもしれない。

昨年、映画にもなりヒットした宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」なんて、私からするとライト・ノベルなのだが、作者のネーム・ヴァリューがそうさせないらしい。いかなる基準で区分されているのか、さっぱり分らない。

ライト・ノベルとして認知されたのは、おそらく角川スニーカー文庫と富士見ファンタジアあたりだと思う。ただ、私が十代の頃から読んでいたソノラマ文庫も十分、その資格はあると思う。率直に言って、青少年向けの娯楽ものが大半だが、けっこう力量があると思われる作家も少なくない。

現在、ベストセラー作家として著名な夢枕獏氏や菊池秀行氏もここの出身だ。ライト・ノベルの世界は、あまり知られてはいないが、可能性のある作家の宝庫だと私は考えている。そんな私が10代の頃から注目していた作家に千葉暁氏がいた。当時は不思議なロボットやら超能力者やらが活躍する「聖刻1092・シリーズ」が主で、これは今も時代背景などを代えて書き続けている、千葉氏のライフ・ワーク的作品となっている。

あれから20年以上経つが、作者の技量は確実に上がっていると思う。私は密かに、作者が歴史小説を書いてみたら、良い作品が書けるはずだと思っている。例えば織田信長を題材に、若いときからの成長物語を書けば、相当に魅力的な信長になると考えている。それだけの力量はあると思う。もっとも、現在は表題の作品に追われて、他のものを書く余裕はなさそうだが・・・

年配の文芸評論家諸氏は気に入らないだろうが、ライト・ノベルは若い人から支持されている。若い人は本を読まなくなったというが、その若者に売れているライト・ノベルの世界は、将来性のある作家の宝庫だと思う。
コメント (4)
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