昭和40年代から50年代にかけて、日本の山々に木霊した「ドウシ~!」という叫びには凄みがあった。下町の社会人登山会である「山岳同志会」のメンバーの雄たけびだ。
カブスカウトからボーイスカウトを経て、ワンダーフォーゲル部で長閑に山を登っていた私には、あの黒いカッターシャツの大人たちは、異様に迫力があって近づきがたかった。同じ登山をやっているとは思えなかった。いったい何者なんだろう。この私の疑問に応えてくれたのが、表題の一作だ。
明治以来、日本の山岳会は大学山岳部が中心であった。かつては大学に行くこと自体、限られた者だけであったから、ある意味エリートの遊びであったようだ。その大学山岳部員及びOBを中心として、ヒマラヤ遠征などの華々しい海外遠征が行われていた。
そのエリートたちに牙を剥く、下町の工場勤めの若者たちがいた。学校を卒業して、夜行列車に揺られて東京の地を踏み、毎日工場と下宿を往復する日。鬱屈した気持ちの発散の場として、山にのめり込んだのが、これらのエリートとは程遠い若者たちだった。
週末の上野駅に集まり、谷川岳の岸壁に喰らいつき、新ルートを開拓し、大学出のエリートたちに歯向かうが如く、激しい登山を繰り返す社会人山岳会。そのなかで一番先鋭的と言われたのが、山岳同志会だった。
その同志会でめきめき力量を発揮して、抜きん出たリーダーとして頭角を現したのが表題の作品の主人公、小西政継だった。
十代の頃、何度か見かけたことがある。下界で、つまり街の登山具店などで見かけた時は、普通のさえないオジサンだった。ところが、山で見た小西氏は別人だった。威厳が違う、迫力が違う。近づくのを躊躇うほどの怖さがあった。集団登山はリーダー次第だ。リーダーが獅子なら、子羊の群れでさえ、勇猛果敢な戦士となりうる。小西氏は強烈なリーダーだったと思う。
登山といってもワンゲル育ちの私とは畑違いの人だったから、あまり関心はなかったが、あの迫力は忘れられない。その功績は無視できない。先鋭的アルピニズムの実践者であり、口先だけの理論家にはない、現場で叩き上げられた者独特の風格があった。昭和50年代にかけて、小西率いる山岳同志会の功績は、日本の山岳史上に燦々と輝く。
ルポライター本田靖春の改心の一作だと思う。
カブスカウトからボーイスカウトを経て、ワンダーフォーゲル部で長閑に山を登っていた私には、あの黒いカッターシャツの大人たちは、異様に迫力があって近づきがたかった。同じ登山をやっているとは思えなかった。いったい何者なんだろう。この私の疑問に応えてくれたのが、表題の一作だ。
明治以来、日本の山岳会は大学山岳部が中心であった。かつては大学に行くこと自体、限られた者だけであったから、ある意味エリートの遊びであったようだ。その大学山岳部員及びOBを中心として、ヒマラヤ遠征などの華々しい海外遠征が行われていた。
そのエリートたちに牙を剥く、下町の工場勤めの若者たちがいた。学校を卒業して、夜行列車に揺られて東京の地を踏み、毎日工場と下宿を往復する日。鬱屈した気持ちの発散の場として、山にのめり込んだのが、これらのエリートとは程遠い若者たちだった。
週末の上野駅に集まり、谷川岳の岸壁に喰らいつき、新ルートを開拓し、大学出のエリートたちに歯向かうが如く、激しい登山を繰り返す社会人山岳会。そのなかで一番先鋭的と言われたのが、山岳同志会だった。
その同志会でめきめき力量を発揮して、抜きん出たリーダーとして頭角を現したのが表題の作品の主人公、小西政継だった。
十代の頃、何度か見かけたことがある。下界で、つまり街の登山具店などで見かけた時は、普通のさえないオジサンだった。ところが、山で見た小西氏は別人だった。威厳が違う、迫力が違う。近づくのを躊躇うほどの怖さがあった。集団登山はリーダー次第だ。リーダーが獅子なら、子羊の群れでさえ、勇猛果敢な戦士となりうる。小西氏は強烈なリーダーだったと思う。
登山といってもワンゲル育ちの私とは畑違いの人だったから、あまり関心はなかったが、あの迫力は忘れられない。その功績は無視できない。先鋭的アルピニズムの実践者であり、口先だけの理論家にはない、現場で叩き上げられた者独特の風格があった。昭和50年代にかけて、小西率いる山岳同志会の功績は、日本の山岳史上に燦々と輝く。
ルポライター本田靖春の改心の一作だと思う。