ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

不払い給食費に思うこと

2007-02-05 09:35:06 | 社会・政治・一般
以前から違和感があった。学校へ通うことって義務なのか?いや、義務だけなのか?

ユーラシア大陸の東のはずれのちっぽけな島国が、世界に冠たる経済大国として豊かな暮らしを満喫している最大の要因は、教育錬度の高い国民にこそある。

資源は少なく、山地が多くて耕地は少ない。四季の移り変わりが激しく、台風の通り道でもあり、火山が多く地震も多い。降雨量も多く、場所によっては世界屈指の豪雪地帯でもある。ある意味、とても自然災害に恵まれた国であり、津波が「TSUNAMI」という言葉で世界に広まっているくらいだ。

だから、この細長い島国に住む人たちは、自然を観察し、学び、対処法を考え、力をあわせて住環境を整えてきた。開墾、雑草取り、水路管理と人々が協力して努力せねば、生きていくために必要な食料さえ十分に賄えない過酷な環境でもあった。

だからこそ、古くから教育には熱心な風土が育まれた。文明的には先進国であったイスラム、シナはもちろん、18世紀以降世界を席巻した西欧と比べても、格段に識字率は高く知識吸収力の高い国民を数多く有したからこそ、長年の風習、生活スタイルを大きく変化させる欧米化にも対応できた。

明治以降は学校こそ、日本の最大の財産である優秀な国民の育成の場であった。21世紀を迎えた今日でさえ、世界には学校に通えない子供達は数多くいる。貧しいから通えないのであり、通えないから学力が身に付かず、貧しいままでいる悪循環に陥っている。

学校に通い、言葉の読み書きが出来るようなり、知識を身につけ、新しい社会へ対応できる能力を身につけたものだけが、貧困から脱出できる。韓国や台湾、シンガメ[ルといった教育熱心な国々が、日本の後を追い経済発展を遂げているのが、なによりの証拠であろう。

学校へ通えることは権利でもある。権利と義務とは表裏一体のものなのだ。

以前から問題になっている、小学校の給食費の不払い問題ほど、戦後の平和民主主義教育の愚かさを物語るものはない。権利だけ教えるから、馬鹿な親が出来上がる。アメリカ軍に守られた平和のなかで、義務を忘れてヌクヌクと生きていける環境が、馬鹿な平和真理教徒を生み出した。

宗教(神)という倫理の柱石を持たぬ日本では、「恥」という概念が倫理の柱石の役割を果たしている。権利だけを主張し、義務を考えぬ「恥知らず」な馬鹿親の跋扈こそ、戦後の教育の見事な成果だと思う。

馬鹿親から、馬鹿な子供が増殖する恐ろしさを思えば、未来の日本は暗いと思う。愛国心の是非なんぞを議論している場合ではなかろう。議員の不明朗な事務所経費問題よりも、もっと重要な問題だと思わざる得ない。この馬鹿親達を処罰する方策こそ、早急にやるべきだと思うゾ。
コメント (2)
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