ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

アフリカ国際会議(1)

2008-06-10 17:14:37 | 社会・政治・一般
現代の文明が欧米を中心としたものであることは間違いない。だから、どうしても欧米の価値観で判断されてしまう。

別にこれは間違いではない。間違いではないが、時として、余りに一方的に過ぎると思うことは少なくない。当たり前のことだと思うが、現在の在り様は、過去に原因がある。過去を無視して現在を正しく捉えることは出来ない。

現在、貧困に苦しむアフリカを正しく捉えようと思えば、過去になにがあったかを把握しなければ、分るわけもない。ここで気をつけねばならぬのは、過去の捉え方だ。

最近はあまり聞かれなくなったが、かつてはアフリカを暗黒大陸と呼んでいた。欧米の探検家の冒険録を読んだ方には、分りやすい表現だと思うが、実はその背後にある思想にこそ問題がある。

暗黒という言葉から連想されるのは、未開の地への恐れであったり、未知の世界への畏浮ナあったりするが、ヨーロッパの白人が連想するのは、キリスト教の布教がされていないという意味での暗黒だ。

キリスト教は、その布教にあたり奇妙なロジックを展開してきた。キリスト教徒=人間であり、異教徒を蛮族と見下すことで、信者に優越感を与えて勢力を拡大してきた。イエスがこのようなことを述べたことは聖書には書かれていないことからして、おそらくは、イエスの死後弱小教団に陥った教会の生き残りをかけた戦略だったと推測できる。

ローマ帝国において、当初キリスト教は社会の下層階級に広まったとされる。この逆差別ともいえるキリスト教徒の優位性は、その布教に大いに貢献したらしい。ユダヤ教の選民思想から由来しているようにも思えるが、同じ経典を使うイスラム教徒にも、同様の志向は伺えるから、一神教に共通のエリート思想だとも言える。

いずれにせよ、ヨーロッパの白人がアフリカを侵略する際の根っ子には、この非キリスト教社会=未開の地という偏見があったことは是非とも銘記しておきたい。

余談だが、ヨーロッパの宣教師らがシナの清王朝や日本を訪れて、一番驚いたのがキリスト教が布教されていない蛮族の地が、立派な文明をもっていたことだった。当時の日本は、同時代のヨーロッパと比べてもはるかに清潔で、識字率も高く、どう考えても文明の地であった。清に至っては、その碁盤目のように整備された都市は、パリ・ロンドン・ローマと比べても明白に優れた都市計画の下に築かれたものであった。

一方、アフリカの地はヨーロッパ人の優越感をくすぐる蛮族の地としての混乱を呈していた。世界史に詳しい人なら知っているはずだが、アフリカにはマリ王国やソンガイ王国など、数多く王朝が繁栄を極めていた。しかし、16世紀には、イスラム商人の暗躍もあり、多くの王国で分裂や内乱が頻発していた。

政治的に混乱していなければ、アフリカの大地はヨーロッパと比べても遜色のない豊かな大地であった。事実アフリカからもたらされた交易物資が、イスラム経由でヨーロッパにもたらされインフレを引き起こしたこともあった。暗黒大陸どころか、本当は豊穣な物資を産出する大陸が、本来のアフリカであった。しかし、このことは歴史教科書からは抹殺されている。

このアフリカを困窮と混迷に追いやったのが、欧米の奴隷貿易だ。(長くなるので、次回に続きます)
コメント
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