ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「空手バカ一代」 つのだじろう・影丸譲也

2008-06-13 12:27:02 | 
あのぶっとい腕が邪魔だ。

とにかく届かない。いくら殴りかかっても、あの腕でブロックされてしまう。当たったと思っても、筋肉が分厚い胸のあたりだったりして、まるで効いていない。

おまけに拳が堅い。私はあまり打たれ強い方ではないから、必死でディフェンスして、打撃を避けていたが、払いのけるこちらの腕が痛くなる。

寝技に持ち込めばと思うが、下段蹴りが飛んでくるので、うかつに飛び込めない。組み合って、立ち関節でも狙うかと思った矢先だった。なにかが耳の上に当たった感触を最後に意識が飛んだ。

気がついたら、自転車置き場の隅で寝かされていた。起き上がろうとしたら、ふらついて友達に止められた。どうやら脳震盪を起こしたようだ。相手の姿は既になく、完敗だった。

事の起こりは、中二の時のクラスメイトの一人が極真空手の道場に通いだしたのだと吹聴していたのが気に食わず、だからどうしたと問答無用でしばいた。弱いくせに、虚言ばかり吐くのが不快だったので、いい機会だったからだ。

その週末の土曜日に、いきなり公園に呼び出され、出てきたのが道場のお友達だった。いつのまにやら私が極真空手を弱いと言ったことにされていた。同学年とのことで、背丈も私と変わらない。こりゃ、仕方ねえと思い、やり合う羽目になった。

結果は見事な完敗。私は空手を蹴り技を主体とした遠距離攻撃だと思い込んでいた。ところが実際は近距離でこそ怖い。私が食らった蹴り技は、内回し蹴りとかいうらしい。おでこと、おでこがひっつくぐらいの至近距離から放たれる回し蹴りがあることを初めて知った。全然、見えねえから、蹴りが放たれたことさえ気づかなかった。

私が十代の頃は、空手とりわけ極真カラテが流行していた。寸止めではなく、実際に当てる空手ということで恐れられていた。その流行の大きな力となったのが、表題の漫画だった。

当初は極真空手の道場にも実際に通っていた、つのだじろうが作画していた。何故か途中から影丸譲也が書き出したが、原作が梶原一騎なので、虚実入り混じった根性ドラマとなっている。私と同世代の男の子だったら、絶対に読んでいるはずだと断言できる。これを読まない奴は男じゃない!

その後、グレイシー柔術や総合格闘技が出てきて、空手は一時期ほどの勢いをなくしたが、それでも私は空手を浮「格闘技だと考えている。街で強そうな奴を見かけると、ついついその拳を注視してしまう。空手をやっている奴の拳は、拳ダコがあるからすぐ分る。

君子危うきに近寄らずだわさ。
コメント (5)
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