泥の急坂を登るのは辛い。
東京は新宿から小田急線で西へ一時間。神奈川県の北部に広がる山塊を、丹沢山系と呼ぶ。都民にとっては、奥座敷である奥多摩と並んで、登りやすい山だ。休日ともなれば、季節を問わず、登山者が列をなす。
丹沢は秦野平野から急激に盛り上がるため、その登りのきつさは関東屈指だと思う。とりわけ塔の岳山頂へ続く稜線は、一気に1000メートルあまりを登りきるため、よく歩荷(ボッカと読みます)訓練に使われた。
登りだす前に、河原で石をザックに詰め込んで、わざわざ重くして登る歩荷訓練はきつかった。でもまあ、よく整備された登山道なので、足を確実に前へ進めれば必ず頂上まで辿り着く。
ただ、天候によっては、この登山道は地獄の登りと化す。雨が降り出すと、この登山道は流れる雨水の通り道となるため、歩きづらいことこの上ない。泥に足をとられて、いっこうに前に進めない。一歩進んで、3歩滑り落ちる。こりゃ堪らん。泥はバカに出来ないと、つくづく思い知らされたものだ。
ここ最近、CS放送のディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルで、戦争の特集番組を観たのだが、そこで取り上げていたのが「泥」だった。
日露戦争時に、野戦砲を馬に引かせた日本軍が泥にはまって、野砲の配置が遅れたことや、第二次大戦時のドイツ軍が泥に難儀してソ連の反抗を許したことが取り上げられていた。ヴェトナムの昼なお暗いジャングルに広がる泥沼にはまり、高性能な武器が駄目になったアメリカ軍の悩みも興味深い。
また第一次世界大戦時の塹壕戦における泥との戦いの壮絶さも、私には印象的だった。表題の本を読んだのは、高校生の時だと思う。例によって毛語録の読書会で薦められてのもので、戦争の最前線で、怯えて苦しむ若き兵士たちが忘れ難い。泥にまみれて兵士たちが死んでいったとしても、遠く安全な首都にこもる政治指導者たちは、戦線が膠着していることを知り、異状なしと判断するのだろう。その冷淡さに身震いしたものだ。
実はこの本は再読していない。そのかわり、たまたまレンタルビデオ店でみかけた映画「西部戦線異状なし」を30年ぶりで見直した。当時は三茶の名画座で観たはずだが、名画の名に相応しい映画であった。白黒で画像に細かい傷がある、古臭い映像だが、そこに描かれる若き兵士たちの姿には胸を打たれる。
多分、本当の戦場では、もっと埃っぽく、泥まみれ、血まみれだったのだと思う。私は反戦論者ではないし、必要とあらば戦争も必要な手段だと考えている。それでもだ、このような映画を観ると、つくづく平和のありがたみを実感する。
戦後の日本が平和なのは、戦場に武器弾薬食料を供給する兵站拠点としての役割に安住していたからだ。その拠点を守る強力なアメリカ軍の保護下にあったからこそ、日本は平和でいられた。
もし朝鮮戦争時に北朝鮮及び中国軍に海を渡る兵力があったのなら、日本は戦場と化したであろう。もし、北ベトナムに渡海して在日米軍基地を攻撃する力があったのなら、当然に襲われただろう。
太平洋を越えてユーラシア大陸や中東に出向くアメリカ軍にとって、日本は大事な中継地点だ。だからこそ、日本を守ってくれる。それゆえ日本は半世紀にわたり平和を享受できた。ありがたいことに、アメリカの敵は、遠く海を渡ってアメリカの兵站基地を攻撃する余裕はなかった。間違っても憲法9条は、日本の平和とは関係がない。
私は日本が平和であってほしいと思う。だからこそ、憲法9条は改正し、自らの平和は自らの努力で守る意思を明らかにしてほしいものだ。
東京は新宿から小田急線で西へ一時間。神奈川県の北部に広がる山塊を、丹沢山系と呼ぶ。都民にとっては、奥座敷である奥多摩と並んで、登りやすい山だ。休日ともなれば、季節を問わず、登山者が列をなす。
丹沢は秦野平野から急激に盛り上がるため、その登りのきつさは関東屈指だと思う。とりわけ塔の岳山頂へ続く稜線は、一気に1000メートルあまりを登りきるため、よく歩荷(ボッカと読みます)訓練に使われた。
登りだす前に、河原で石をザックに詰め込んで、わざわざ重くして登る歩荷訓練はきつかった。でもまあ、よく整備された登山道なので、足を確実に前へ進めれば必ず頂上まで辿り着く。
ただ、天候によっては、この登山道は地獄の登りと化す。雨が降り出すと、この登山道は流れる雨水の通り道となるため、歩きづらいことこの上ない。泥に足をとられて、いっこうに前に進めない。一歩進んで、3歩滑り落ちる。こりゃ堪らん。泥はバカに出来ないと、つくづく思い知らされたものだ。
ここ最近、CS放送のディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルで、戦争の特集番組を観たのだが、そこで取り上げていたのが「泥」だった。
日露戦争時に、野戦砲を馬に引かせた日本軍が泥にはまって、野砲の配置が遅れたことや、第二次大戦時のドイツ軍が泥に難儀してソ連の反抗を許したことが取り上げられていた。ヴェトナムの昼なお暗いジャングルに広がる泥沼にはまり、高性能な武器が駄目になったアメリカ軍の悩みも興味深い。
また第一次世界大戦時の塹壕戦における泥との戦いの壮絶さも、私には印象的だった。表題の本を読んだのは、高校生の時だと思う。例によって毛語録の読書会で薦められてのもので、戦争の最前線で、怯えて苦しむ若き兵士たちが忘れ難い。泥にまみれて兵士たちが死んでいったとしても、遠く安全な首都にこもる政治指導者たちは、戦線が膠着していることを知り、異状なしと判断するのだろう。その冷淡さに身震いしたものだ。
実はこの本は再読していない。そのかわり、たまたまレンタルビデオ店でみかけた映画「西部戦線異状なし」を30年ぶりで見直した。当時は三茶の名画座で観たはずだが、名画の名に相応しい映画であった。白黒で画像に細かい傷がある、古臭い映像だが、そこに描かれる若き兵士たちの姿には胸を打たれる。
多分、本当の戦場では、もっと埃っぽく、泥まみれ、血まみれだったのだと思う。私は反戦論者ではないし、必要とあらば戦争も必要な手段だと考えている。それでもだ、このような映画を観ると、つくづく平和のありがたみを実感する。
戦後の日本が平和なのは、戦場に武器弾薬食料を供給する兵站拠点としての役割に安住していたからだ。その拠点を守る強力なアメリカ軍の保護下にあったからこそ、日本は平和でいられた。
もし朝鮮戦争時に北朝鮮及び中国軍に海を渡る兵力があったのなら、日本は戦場と化したであろう。もし、北ベトナムに渡海して在日米軍基地を攻撃する力があったのなら、当然に襲われただろう。
太平洋を越えてユーラシア大陸や中東に出向くアメリカ軍にとって、日本は大事な中継地点だ。だからこそ、日本を守ってくれる。それゆえ日本は半世紀にわたり平和を享受できた。ありがたいことに、アメリカの敵は、遠く海を渡ってアメリカの兵站基地を攻撃する余裕はなかった。間違っても憲法9条は、日本の平和とは関係がない。
私は日本が平和であってほしいと思う。だからこそ、憲法9条は改正し、自らの平和は自らの努力で守る意思を明らかにしてほしいものだ。