ヌマンタの書斎

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「コンクリートの文明史」 小林一輔

2008-06-06 13:13:52 | 
現代の文明は、鉄とコンクリートで築かれたと称しても、そう間違いではないと思う。

コンクリート自体は、ギリシャ時代から存在したが、建築の帝国ローマにおいて、その使用法が飛躍的に伸びた建材だった。古代ローマの壮大な建築物は、このコンクリートという建材なくしてはありえなかった。

古代帝国、屈指の建築土木大国だったローマだが、その築き上げた巨大な建造物の維持管理には相当苦しめられた。優秀な建材であるコンクリートも、やはり人間の手によるメンテナンスが必要不可欠だった。これには巨額の資金が必要となり、さしものローマ帝国もその捻出には難儀したようだ。

西ローマ帝国崩壊後、コンクリートを用いた建造物が激減したのは財政問題も大きな要因だったらしい。経済の規模が大きく縮小した中世ヨーロッパでは、永い間コンクリートは忘れられた建材だった。せいぜい目地止めにモルタルが使われた程度だった。

ところが産業革命が、コンクリートに再び命を吹き込んだ。鉄筋がコンクリートに新たな用法をもたらし、今日の都市文明の基材となった。日本の近代国家建設に、鉄筋とコンクリートは欠かせないものだった。そのコンクリートが危ない。

とりわけ危ないのが、1930年代以降の建築物だという。著者によれば、明治開国からしばらくは、欧米のコンクリート技術をそのままに学び、その通りに施工してきたという。

しかし、日露戦争に勝利し、第一次大戦では戦勝国側に立ち、世界の五大国としての自覚を強めた頃から、旧来の日本人としての意識が高まってきた。地震や台風といった天災に頻繁に襲われた日本では、1500年以上にわたり木造建築が主流だった。

木造建築ではスクラップ&ビルドが当然だった。その意識があろうことか、鉄筋コンクリート施工の世界に芽生えてきた。本来、コンクリートは正しく施工すれば、極めて堅牢な建材となる。鉄のハンマーで何回も叩いても、なかなか壊れないのは、ベルリンの壁の取り壊し時に証明されている。

ところが、いつのまにやら堅牢性に欠ける粗悪な材質のコンクリートが多く使われるようになった。土木技術者自身が、それを指導していたというから驚く。もちろん手抜きコンクリートが産み出す裏金が、ゼネコンはもちろん政治業者、天下り役人らの懐を潤したのは言うまでもない。

戦後40年以上たって、トンネルの天井からコンクリの巨大な破片が落ちてきて、ようやくその危険性に気づくが、時は既に遅し。阪神淡路大震災で露呈した、コンクリート建造物の構造的欠陥は、これからの日本に大きな財政的負担をもたらす。

明治時代のコンクリート建造物が相変わらず堅牢な造りであるにもかかわらず、戦後のコンクリート建造物が次々と欠陥を晒してく醜態。歴史的観点からそれを著述したこの本は、是非とも知っていただきたい。欠陥コンクリート建造物の補修費用を負担するのは、間違いなく我々とその子孫の世代なのだから。
コメント (4)
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