悪知恵って必要悪だと思う。
白状すると、私はけっこう悪知恵に長けていた。私は良くも悪くも真面目であり、それが悪いことだと知っていても情熱をもって打ち込んでしまうことが少なくない悪ガキだったからこそである。
だから大人を騙したりするのも平気だし、嘘も方便、ばれなきゃ真実ぐらいに思っていた。ただし、守るべき仁義とか、義理人情はあると確信している。だから無軌道に悪さをすることはなかった。
むしろ良いことをすることだって、私なりに熱心にやっていた。もっとも良かれと思ってしたことが、結果的に良くない結果を生じせしめた苦い経験もある。
世の中、公平でもなく、平等でもなく、理不尽で、残酷だと感じながら生きてきた。おかげで、親の言うことはもちろん、先生の言うことでさえも、それを完全に真に受けることは少なかった。ひねた子供だったと思う。
ところが、どこでどう間違えたのか、十代半ばで真面目に生きることを止む無くされてしまった。正直戸惑ったが、幸い進学した高校は、真面目なだけでなく、悪さもちょっぴりやるぜ、といった同級生が少なくなかったので、それは楽しく過ごせた。
本格的に戸惑ったのは大学である。私の母校は所謂いいとこの御坊ちゃん、お嬢ちゃんが多く通うことで有名であり、入学そうそう私は居場所のない不安感にさい悩まされた。
だからバンからな気風が漂う体育会系のWV部に入部すると、その古臭い気風に染まることで、場違いな大学の雰囲気から距離を置くようになった。でも同じ同級生たちは、これまた上場会社の社長の息子とか、病院の院長先生の御嬢さんだとか真面目っ子ばかり。これには困惑した。
ひねた私からすると、こいつらどうやって生きてきたのだと悩むほどの甘ちゃんばかりであった。しかし、この甘ちゃんたちは筋金入りの真面目っ子であるばかりでなく、世の中の大通りのど真ん中を恥じることなく堂々と歩んできた強者でもあった。
実際、私なんぞすぐに悪知恵を発揮して逃げたり、誤魔化したりするところを、逃げるでもなく避けるでもなく堂々正面からぶつかっていく。そして傷つきながらも正面突破を果たしてしまう。
これには参った。こんな生き方があったのかと目からうろこが落ちる思いであった。悪知恵を発揮するのが恥ずかしくなるような生き方をしている奴らであった。今の私があるのは、こいつらと共に4年間を歩んできたからだと思っている。
それでも私は悪知恵は必要だと思っている。なぜなら、世の中正しいことばかりでなく、悪意や嫉み、貪欲や悪徳がはびこっているからだ。そんな世の中だと、真面目なだけではどこか無理が来ると思っている。
生きてこそ、生き残ってこそ咲く花もある。四面四角の世の中の規則に縛られ過ぎて、却って生きにくいこともある。そんな時にこそ、悪知恵を活かすことで、新たな局面が拓けることもある。
表題の作の著者(多分、口述筆記だと思うな)の西原理恵子といえば、無頼漫画家の筆頭であり、嘘と悪意を売り物にしている困った漫画家である。偽悪的な側面は確かにあるが、私同様世間を信用しすぎることなく生きるために悪知恵を発揮して生きてきた人でもある。
それだけに、その悪知恵には説得力がある。
真面目な人ほど読んで欲しい。西原の生き方を真似するのはどうかと思うが、良識や常識に縛られないその悪知恵は、知っておいても悪くないと思うのです。