遂にダイエーの名前が街から消えるらしい。
先日発表されたイオンの社長の会見で、複数ある子会社の名称を統一化すること。その過程で数年後にはダイエーの名称もなくなることを話していた。
ダイエーは、日本のスーパーマーケットの代表的存在であった。私も子供の頃は、近所にダイエーがなかったにも関わらず、その名称は知っていたし、たまに行くことがあると、その広い店内と安い商品に魅惑されたものだ。
しかし、ダイエーは時代の変化に対応しきれなかった。マスコミはあまり触れたがらないが、ダイエーに致命傷を与えたのは、大蔵省である。
ダイエーの躍進の秘訣は、その安売り商法だけではない。ダイエーは新店舗を展開する際、店舗予定地のみならず周辺の土地をも買い漁る。そして店舗を開店して集客し、その地の知名度を上げ、それに伴い上昇する不動産価格の上昇に応じて、余剰の土地を売り払い負債を返済する。
これがダイエー躍進の秘訣であった。しかし、バブル経済の過熱を心配した大蔵省が発した総量規制が、ダイエーに致命傷となった。総量規制は、結果として日本の不動産担保融資の仕組みを破壊した。
高度成長期より、銀行から借り入れして土地を買い、土地の値上がりによる担保価値上昇による新たな借り入れが、日本企業の成長の秘訣であった。土地は値上がりしても、下がることのない安全な財産との認識が常識と化していた。
しかし、大蔵省はバブル景気の過熱を冷やそうとして、やり過ぎた。市場価格を穏やかに下げる心算であったようだが、加熱した市場の過剰反応を読み切れなかった。
バブルの崩壊と、土地神話の崩壊はダイエーに過大な債務負担を強いる結果となった。その結果紆余曲折を経たのちイオン・グループによる子会社化という選択肢しか残っていなかった。
ちなみにイオンは小売だけでなく、映画やブランドショップ、飲食店など他業種を同じ敷地内に入れて、大規模なショッピングモールを作ることで集客に成功した新しい形態のスーパーマーケットとして成功した。
もっともそのイオンでさえ高付加価値商品の開発販売には、セブンイレブンに負けている。戦後の高度成長期からバブルの崩壊、そして少子高齢化社会を迎える今日の日本と、経済環境は凄まじく変貌を遂げている。
この変化の激しい社会情勢に応じて、適切な経営戦略を打ち出し実行せねば生き残るのは難しい。ダイエーの消滅は、まさにその対応を誤った企業の必然の結果でもある。
高度成長の時代の日本の台所を支えてきた大規模スーパーの象徴的存在であったダイエーの消滅は、寂しさはあれど時代の趨勢であろうと思います。