見つめ合ってはいけない。
山でクマと遭遇したら、絶対にしてはいけないのは背を向けて逃げ出すことだ。これをやると、追いかけられて、突き飛ばされ、噛みつかれ、そのまま空中に何度も投げられて、いたぶるように殺される。
だから、正面切ってクマと落ち着いて対峙する必要がある。ただし、絶対にクマの顔を睨むような真似をしてはいけない。見つめ合うようなことはしてはいけない。それは敵意を示すことであり、野生においては戦いの前哨戦となるからだ。
クマは相手を威嚇するために、立ち上がり、自らの巨躯を見せつけて威圧する。そうなったら、いきなり動いてはいけない。クマの全体を俯瞰するように眺め、そして落ち着いて声をかけろ。
敵意を感じさせるような言葉は避けて、世間話をするように穏やかに語れ。意味は分かるわけもないが、案外とクマはその言葉に耳を傾ける。敵意がないと分かると、周囲を見渡して他の敵を探したりして、目の前の人間から注意をはずす。
そうなれば、こっちのもの。ゆっくりとクマを見ながら、転ばぬように慎重に後ずさる。隙をみせず、ゆっくり後退しながらも、穏やかに話すことは忘れずに。こちらがクマの警戒範囲を超えれば、クマのほうから姿を消す。
そこで油断してはいけない。クマは耳を澄ませて、こちらの動向を探っているはず。だから、ゆっくり確実にその場から立ち去る。絶対に戻ってはいけない。忘れ物があっても諦めろ。それはもう、クマのものだ。
万が一、その忘れ物を取り返せばクマは激怒して襲ってくる。だから諦めろ。
もし、クマが襲ってきたらどうするかって?その時は戦え、石を投げても、ザックを振り回しても、なんでもいいから戦え。絶対に逃げるな。逃げる相手には、本能的に襲ってくる。むしろ激しく抵抗したほうが、クマのやる気を削ぐ。それで助かった人は少なくないぞ。
そう語ってくれたのは、丹沢の山中であった猟師の人だ。沢登を終えて、藪漕ぎをして峠に出たところでお茶を沸かして休憩していた時、突然藪の中から現れて私たちを仰天させた。
連れていた犬たちが、いずれも筋骨逞しく、都会のペット犬とは別種としか思えなかった。お茶を振る舞ったところ、嬉しそうに飲みながら話してくれたのが、クマと遭遇してしまった時の対処法だった。
私はクマと遭遇したことはないが、野生動物を恐れる気持ちは人一倍もっている。可愛いだなんて感傷はありえなかった。夜の山道を、か細いヘッドランプ一つで歩いてみれば分かる。
自分が見つめられていることを。ここでは人間は歓迎されざる侵入者であることを、夜の闇の向うからの敵意から実感せざるを得なかった。クマが怖いのはもちろんだが、クマも人間に遭遇したいとは思っていないらしい。
むしろ怖いのは、人を恐れないサルと野犬だった。それとイノシシが嫌だった。沢登の後の藪漕ぎは、どうしても獣道を通るため、ここでイノシシと遭遇する可能性が高い。私自身、藪漕ぎ中にイノシシの鼻息と思われる音を聞いたことがあり、背筋が凍る思いをした。
以前、書いたが沢沿いでイノシシの子供、つまりウリ坊を見かけたときは、すぐに登れる木を探して、そこに皆を集めて息を潜めてやり過ごしたものだ。ウリ坊はヌイグルミのようにかわいいが、その母イノシシの怒りの牙にかけられるのはまっぴらごめんである。
また私が幼少期を過ごした街は、米軍基地の隣町であり、当時は在日米軍基地に勤務する米兵の家族が多数住んでいた。彼らの大半は数年で転居するのであるが、問題は彼らが飼い犬を放棄することであった。
なにせ飼い犬といってもドーベルマンなどの大型犬が多く、この犬たちが野犬化して群れを作っていることがあった。街中といったが、当時は武蔵野の原生林がかなり残っていたので、森の中に潜んでいるとなかなか発見しずらい。また日本人が入れない広大な米軍基地のなかにも生息していたらしい。
うろ覚えだが、何度か保健所から警告があり、外遊びを我慢した記憶がある。多分、猟友会かMPあたりが野犬を処理したのだと思う。野犬とペットは別の生き物だとの認識は、子供の頃から叩き込まれている。
だからこそ、野生動物を可愛いと平然と口にする無神経さに、いささか苛立つことがある。感性なんて、人それぞれだし、安全なところから無邪気に口にする感傷に過ぎないと分かってはいる。でもなァ~と思ってしまうのはやめられない。
率直に言って、野生で人間に懐くのは犬か猫ぐらいだと思う。捨てられた犬や猫の目線には独特なものがあり、まれに憎しみと不信感を感じることがある。でも、大半の捨て犬、捨て猫には人間に馴染んだ痕跡があり、その潤んだ瞳に見つめられると困ってしまう。本当に、ホントウに困ってしまう。だからこそ言いたい。犬や猫を捨てるな!
表題の作品は、ペットに関する漫画エッセーである。桑田節さく裂の、ほんわか、まったり漫画なのだが、時折鋭い指摘があるのが楽しい。そのなかで興味深かったのは、レッサーパンダに関する記述であった。
そうか、皮がぶよぶよで、爪が鋭いんだ。こりゃ、あぶねぇな、やっぱりクマの仲間なのだなと納得できた。たしかグズリとかも似たような体の構造になっているはず。
適当な予想だけど、遠い将来劇的な環境変化により多くの生物が死滅しても、案外クマの仲間はしぶとく生き残る気がします。クマ、侮りがたしだと思いますよ。