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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

台風一過の夜

2014-10-10 14:20:00 | 旅行

台風一過の晴天は気持ちいい。

強風が汚い大気を吹き飛ばし、抜けるような青空が広がり、上空の薄い雲が飛ぶように流れ去っていく。

たしかに見た目には気持ちいい。だが、台風は南の湿った大気を連れてきて、それを置いていくのでいささか蒸し暑い。これがけっこう不快だったりする。肌がじっとりと湿る感覚と、妙に重い空気が気になって仕方ない。

あれは高校の頃、週末を利用して夜行列車で奥秩父の山を縦走登山した時のことだ。少し遅めの台風が、急に進路を変えて関東地方を直撃したのは金曜日だった。当初、金曜深夜の夜行列車を使うはずが、大雨で運休となったため、止む無く新宿のアルプスの広場で寝袋を広げて仮眠をとり、早朝の臨時便で甲府の駅を降りたのは、土曜日の朝だった。

予定ではもう、登り始めている時間だけに少し焦り気味であった。バスで麓まで行き、大急ぎで峠まで登り始めた。だが、半日の遅れをそう簡単に取り戻せるはずもなく、山小屋に着いたのは夜も8時を過ぎていた。

麓で一応、山小屋に電話を入れておいたので待っていてくれたが、山小屋の親父さんに遅すぎると叱られたのは致し方ない。ヘッドライトを灯しながら山道を夜、歩くのは危ないし、迷う危険性も高いから当然だった。

でも田舎汁を温めなおしてくれ、それをご飯にぶっかけて食べて、ようやく気持ちも落ち着いた。私たち以外に3パーティほどいたが、既に2階の寝室に上がって寝ているようだ。

炉辺で沸かしてくれたお湯で、コーヒーを飲みながら、私たちは山小屋の親父さんと少し話し込んだ。当初の予定では、ここから一気に雲取山を越えて、奥多摩まで踏破するつもりであった。

しかし、疲労の色が濃く残る私たちをみて、親父さんはそのコースはキツイし、台風で道が荒れているから日曜の夕方までに下山するのは無理だろうと話してくれた。

実は昼間、思ったよりも時間がかかった原因は、台風の強風で倒れた木々を跨いだり、迂回したりすることに時間を取られたからだった。たしかに頷ける話ではあったが、では今後のコースはどうするか。

親父さんは、一番安全なのは元来た道を戻ることだが、それではつまらないだろう。では、雲取までは行き、そこから南側へ下山したらどうかと言う。なるほどと思ったが、問題は麓のバスの時間である。下調べの段階では、夕方4時で最終であり、それには間に合うかどうか不安だった。

すると親父さんが、あの村には親戚がいるから、トラックで良ければ運んでもらえるよう頼んでみると言う。無線電話で連絡してもらうと、高校生3人ぐらいなら大丈夫とのこと。安心して、私たちは床に就いた。

山小屋の朝は早い。目が覚めたのは5時だが、既に一パーティは出発するところであり、残り二つも既に朝食を終えている。やはり疲労がきつかったのだろう。私たちも急いで準備をし、朝食を掻き込むと、親父さんに挨拶してから出発した。

ススキの草原が美しい稜線の道は気持ちよかったが、少し樹林帯に入ると強風で倒れた木々が邪魔して、けっこう時間がかかる。目標であった雲取山(ちなみに東京都の最高峰)の山頂に着いたのは、夕方4時半であり、既に夕暮れ時となっていた。

ヘッドライトを着用して、山筋を降り、谷に沿って下るところが一番きつかった。台風で増水したようで、倒木がいたるところにあり、その回避に苦労したからだ。

ようやく谷を降ったのは夜6時過ぎだった。山道が広い林道に変わったので、私たちはホッとした。後はこの林道を小一時間あるけば、麓の村である。

既に空は星空であったが、その夜は満月であり、台風一過の雲一つない明るい夜であった。樹林帯を抜けて、ところどころに畑がちらほら見える辺りまで来た時だ。先頭を歩くKが靴ひもが切れたというので、小休止していた時だ。

私が水筒の水を飲んでいると、後ろでうろうろしていたTの奴が急に変な声を上げた。なんだよと、振り向くとTがなにやら重そうな石を抱えて、なにかやろうとしている。

「おい、ヌマンタ、手伝ってよ」 ん~何だいと見ると、倒れたお地蔵様らしい石像を直そうとしている。仕方ねえなと思いつつも、これも何かの縁とTと一緒にお地蔵様を持ち上げて、元の場所らしきところに戻してあげた。

普段、おっとりしているTは、たまに妙な親切心を発揮することがある。靴ひもを直し終えたKが、「お前ら何やってんの?」と訊いてきたので、事情を説明すると、Kが妙な顔をしている。

なんだよ、と訊くと「いや・・・うん、なんでもない」と口ごもる。その時、私の腹が空腹からキューと鳴ったので、はやく麓へ行こうとなり、その場ではうやむやになった。

少し歩くと集落が見えてきて、山小屋の親父さんに教わったとおり、トラックが留まってある家に挨拶に行くと、待っていたようで、なんと食事まで用意してあった。さすがに断るのも失礼なので、上がって美味しくいただくことにする。

その時だった。その家の方の一人が急に私たちを、いやKを指さして「あんた・・・大丈夫かい」と訊いてきた。見たところかなりの高齢の方なのだが、Kを見つめる顔つきが妙だった。

その老人は、Kの手をとって「こっちに来なさい」と外に連れ出して、庭の奥にある社まで連れて行き、なにやら呪いめいたことをしている。私とTは何事かと唖然としていた。

すると、山小屋の親父さんに少し似た風貌のオジサンが「うちの爺様は、少し霊感が鋭いから、なんか感じたんだろう。なに、心配いらんよ」と慣れた調子で言うので、そんなものなのかと何となく納得してしまった。

すぐにKと爺様は戻ってきて、皆で夕食を共にした。さっきの珍事は気になっていたが、如何せん喰い盛りの御年頃。なによりも空腹が第一優先であり、それは当のKも同じこと。まずは食事に夢中になる。その食後のお茶の時である。

多分、若い人は珍しいのだろう。そのせいか、いろいろと尋ねられたが、話の途中で道中、倒れたお地蔵様を直しておいたことを伝えると、件の爺様が納得顔で、「だからなのか、一人だけだったのは」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。

改めて先ほどの件を問うと、その爺様はKを指さし、物の怪が背中に附いていたのだと言う。当のKは神妙な顔つきで頷いている。「あんたら二人は、お地蔵様が祓ってくれたに違いない」とのこと。

答えに窮した私たちだったが、帰りの電車のなかでKが言うには、谷筋に下っている途中から、妙に体が重かったとのこと。それは私も感じていたが、疲労が蓄積したのだろうと思っていた。ちなみにTはなにも感じていなかったそうだ。

そう、あの谷筋は妙に空気が重かった。清流の流れがあるような谷筋は、空気も軽いことが多いが、なぜかあの谷筋は空気が湿気ている以上に、妙に生暖かく感じて気持ち悪かった。

私はそれを台風が運んできた南の空気だと思っていた。第一、二日続けて厳しい山歩きであったので、疲労から気持ちが沈み勝ちなのだと考えていた。しかし、Kが言うにはあの谷筋に入ってから、急に体が重く感じたとのこと。

呑気なTは「そうなの?」と相変わらずである。疲労なのか憑いたのか、私は知らないが、あのお地蔵様を直したあたりから、その重苦しさが霧散していたのは、私にも感じられた。

もっとも駅で買ったビールの酔いがまわるうちに、他の馬鹿話に浮かれ、新宿に着いた頃にはすっかり忘れていた。ただ、駅で別れ際にKが、「俺もお地蔵様直すの手伝えば良かった」と呟いていたところをみると、かなり気にしていたようだ。

台風一過の晴天は気持ちいい。だが、台風が運んできた温かい空気に触れると、私はあの谷筋の重い空気を思い出す。ちなみに現在はあまり使われない山道であり、地図によっては記載されていない登山道でもある。多分、あの集落も廃村だろう。

でも、あのお地蔵様だけは無事でいて欲しいものです。

コメント (4)
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