心の背筋に一本芯が通ったような人物にお目にかかれることは稀だ。
その生き方にぶれがないことが羨ましくて仕方ない。明るい太陽の下、大通りを背筋を伸ばして堂々歩が如き生き方に、私は憧れていた。憧れたのは、私がそのような生き方から縁遠かったからだ。
どちらかといえば、抜け道を好んで通り抜ける生き方であった。陰に潜んで、通りを覗いながら、興味津々で駆け抜けるような幼少期を送っている。そのせいか、どこか卑屈さを自覚することがあり、それを厭いながらも止められないことに苛立っていた。
堅気として生きることを覚悟してからも、なかなか抜け道を好む性癖は抜けきらなかった。成績優秀な高校生を演じる一方で、酒を呑み、タバコを吹かしていないと、どこか不安であった。
だが大学でようやく私が知らなかった、明るい太陽の下を堂々と歩くような生き方をしている連中と出会えた。正直、この坊ちゃん、お嬢ちゃんたちにはかなり困惑させられたが、今私がこうして堅気の職に就き、堂々生きていられるのは、この連中の影響なしとは言えない。
表題の作品で世に広く知られるようになった石田礼助氏は、まさに心の背筋に一本芯が通った人物であろう。生まれ出でて半世紀、私の半生において悔やむべきことがあるとしたら、このような人物の下で働いた経験がないことだと思う。
せめて、少しでも近づきたい生き方ではあるが、遠いいと痛感せざるを得ないのが悔しいですね。