ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

なぜか笑介 聖日出夫

2016-04-01 13:10:00 | 

ヘラヘラ、笑っているんじゃねぇ!

いきなり怒鳴られた。大学一年のWV部での、放課後のトレーニング時であった。今では信じられないかもしれないが、あの当時は、トレーニング中に笑うのは禁じられていた。

理由?

特に説明もなかったが、要は真面目にやれってことだろう。勝手にそう思っていた。思ってはいたが、必ずしも納得してはいなかった。

トレーニングを真面目にやれば、笑っている余裕などない。そんな思いからきた規則なのだろうが、笑っているからといって不真面目とは限るまい。むしろ、適度な笑いは、心身ともにリラックスさせて、効率、やる気を上昇させる。

私自身の経験からすると、ケンカの時に笑顔をみせる奴は要注意だと思っている。以前にも書いたが、渋谷の裏通りでケンカをふっかけたら、ニコッと笑顔を見せるので拍子抜けして油断した瞬間に、正拳撃ちを腹に喰らって悶絶したことがある。

また、弱って泣いている相手を殴りつけながら笑顔というよりも、狂気の笑いを見せる奴も知っている。こんな危ない奴とはケンカしたくないものだと思っていた。気分が高揚しているからこそ、なのだろうが、笑顔という奴は単純ではなく、むしろ警戒すべきとさえ思っていた。

だから、WV部のトレの時に、笑うなと云われた時、内心分かっちゃいないなと思っていた。ただ、それを口にするほど私は馬鹿ではない。平然と「うぃっす!」と適当な返事をしておいた。

真面目な話、笑いという感情は、高等生物にのみ看られる現象であり、かなり複雑な表現だと考えられる。仲間内での気軽な会話から自然に出てくる笑顔は、誰にでもある普通の現象だ。

しかし、笑うべきでない場面で、何故か笑ってしまうことがある。例えば葬式での参列中とかで、極度の緊張から、何故か笑いが止まらなくなったことがある。また、登山中に危険な場面に遭遇した時、気が付いたら笑っていたこともある。

笑いという感情は、決して単純なものではないと思っている。

ちなみに、上記のトレ中の笑顔禁止は、翌年にはなし崩してきに中止となった。あれは、ストレッチの最中であったが、かなり不器用な新入生のA君、本人は必死でストレッチをやろうとしているのだが、右手と左手がごっちゃになり、みょうちくりんな動きになってしまうのだ。

A君は必死なのは見た目にも分かるのだが、それだけに滑稽で、ついに上級生の一人が我慢できずに笑ってしまい、それにつられて皆爆笑してしまった。主将だけは、必死に笑いを堪えていたが、遂に我慢できずに笑ってしまった。

以来、トレーニングは真面目にやるべきだが、我慢できない時は笑っていいと規則が緩和された。トレの厳しさが変わった訳ではなく、みんな真面目にやっていたので、上級生も仕方ないと容認してしまった。

人の感情は、不自然に抑制するものではないと思っている。

ところで、表題の漫画だが、作者が亡くなったとの報があったのは先月のことだ。その記事を読んで、すぐに思い出した作品がこれである。というか、この作品しか思い出せない。

私の知る限りでは、これが代表作であり、続編あれども、他にヒットした作品はなかったと思う。多分、かなり不器用な人だったのではないかと思うが、それだけに、この作品には愛着があったのだろうと思う。

主人公の大原笑介は、いつも笑顔の明るい青年だが、かなり不器用であるが、反面愚直で真っ正直な生き方をしている。「ヘラヘラと笑うな」と怒られながらも、決して憎まれることのないキャラクターが、ひどく印象深い。

笑顔ですべて、乗り切れる訳ではないが、私は笑顔のない職場で働きたいとは思いません。

コメント (3)
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