ヌマンタの書斎

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報道ステーション 古館氏の退任

2016-04-11 13:39:00 | 社会・政治・一般

報道に完全な自由はあるのか。

あまりTVを観ない私だが、この番組の最後は観てしまった。ご存じのとおり、久米宏の後を受けて始まったこの番組だが、TV朝日というか朝日新聞の伝統なのか、反日自虐が目立つ番組であった。

久米宏の、おちょくりトークも面白かったが、古館のマシンガン・トークも、そう悪いものではなかった。少なくても、朝日の反自民政権姿勢を好きな人には、そこそこ支持されていたと思う。

ただ、久米のおちょくりは、所詮表面的なものに過ぎなかった。唯一、私が評価しているのは、中曽根・元首相が報道されたくなかったことを報道してしまったあの事件ぐらいだ。

また、プロレス中継では絶好調であった古館のマシンガン・トークも中味のないスカスカ弾ばかりで、迫力には欠けていた。それでも、自民党筋からは相当に嫌われていたようで、解説者の降板事件やら、なんやらで番組の中味とは無関係の部分がよく話題になっていた。

古館の降板も、あくまで自身の意思であり、外部からの圧力によるものではないと、最後に延々と語っていた。しかし、あれだけ執拗に自身の意思だ、圧力はなかったと繰り返すあたり、語るに落ちるとしか言いようがない。

あの最後の語りを観ていた視聴者は、誰しもTV朝日になんらかの圧力があったものだと信じてしまうだろう。それが自民党筋なのか、あるいはスャ塔Tー筋なのかは分からない。

分からないまでも、古館が盛んに「不自由だった」と嘆くことから、視聴者は報道ステーションという番組に、なんらかの圧力があったのだと納得してしまっただろう。それが狙いのように、私には思えた。

だが、敢えて言いたい。TVやラジオのような許認可放送事業に於いて、真の自由なんてあるわけない。あくまで政府の認可あっての放送事業である。その認可を得るために、朝日新聞社を始めとして多くのマスコミが多額の資金を投じている。

地方に開設される新しいラジオ局やTV局の認可を得るために、関係会社に郵政省のOBを顧問に迎えたり、現職官僚を招いての勉強会、その後の豪勢な食事、手土産を支払ったのはどこのどいつだ?

これが公共事業の認可のためにゼネコンが同じことをやれば、新聞、TVは当然のように贈収賄だと大騒ぎする。しかし、電波の割り当てや、新しいTV局の開設のために同じことをやっても、新聞TVは絶対に報じない。

報じたのは、一部の週刊誌だけである。そして、どんなに騒ぎになっても、大手マスコミ様は、それを取り上げたことがない。

それでも、ぬけぬけと古館は「不自由だった」と嘆く。まるでTVが自由に放送していることを前提にしているようだった。自分たちが報道されたくないことを報道されない自由は当然のものと考える。

その一方で、自分たちが自由に報道したい反自民、反日本的な報道に対する批判は、圧力があったと騒ぎ立てる。報道ステーションを退任する最後の放送での、古館の発言は、あまりに傲慢で、自分勝手に過ぎると思います。

コメント
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