おそらくだけど、ニートを主人公に据えたギャグ・アニメでは、一番の出来かもしれない。
私が子供の頃に流行ったギャグ漫画に「おそ松くん」があった。ギャグの巨匠、赤塚不二夫の代表作であり、六つ子のおそ松兄弟や、イヤミ、ちび太などが登場してのドタバタ劇であったと記憶している。
そのおそ松くんたちが成人した後を描いたのが表題のアニメ作品である。現在、某コンビニ・チェーン店でコラボでの販促をやっているので、見かけた方もあろうかと思います。
日頃、TVをほとんど見ない私は、このアニメをまったく知りませんでした。偶然、深夜に車を走らせていた時、ワンセグを眠気覚ましに付けたら、放送されていたので知った次第です。
休憩のために入ったPAの駐車場で、サンドイッチを食べながら、思わず見入ってしまいました。あの六つ子が、ニートである設定もおかしかったのですが、顔は同じでも、微妙に性格が違っている兄弟たちの関係が興味深く、後日ネットで流されている放送を見たぐらいです。
この十数年、私が公私ともに実感しているのが、いわゆるニートと称される人たちが確実に増えていることです。
仕事柄、遭遇するニートの人たちは、とても一口には言えないぐらい多様化していますが、総じて感じるのは比較的学力が高く、比例してプライドも高いことでしょうか。
そして、その大半が、一応は社会人経験があるのですが、様々な理由で退職し、その後の再就職も上手くいかず、結果的に無職となり、親の稼ぎ、もしくは金融資産を食いつぶして生きている。
私の偏見なのは自覚していますが、生きるための必死さに欠けている人たちばかり。ブラック企業は嫌だと言いながら、その癖必死で働いた経験はない。些細な理由で仕事を辞め、自らの至らなさを悔いることはない。
無職ゆえに、働くストレスがないせいか、つまらぬことに拘り、どうでもいいことに夢中になる。第三者の眼で冷静にみられることを厭い、他人を卑下することで自分のプライドを保とうとする。
生きるために必死であった私の眼には、どうしても否定的に思ってしまうニートと云われる人たち。だが、彼らの言い分も分からなくもない。親に云われたとおりに、真面目に勉強し、社会に出たものの、辛く苦しいことばかりの労働に耐えられない。
耐えられないのは、軟弱な証拠だと言いたいが、反面未来に希望を持てずに、ただ苦しむだけは嫌だとの言い分も分からなくはない。構造改革やグローバリゼーションは、結果的に強者優遇であり、弱者切り捨てであった。
その現実をみてしまった彼らは、年功序列をバカにする一方で、そのほうが楽であった過去を持つ親たちを内心羨む。誰もが優秀なわけでなく、せいぜい並みの能力しかない人たちにとっては、年功序列の給与体系は安心して働ける担保であった。だから、如何に退屈であろうと、仕事に忠実でいられた。
しかし、単なる弱者切り捨てでしかない構造改革は、その安定した雇用体系を破壊し、上位の既得権者のみを温存してしまった。もう年功序列で守られることはないと気が付いた若者たちが、真面目に働く気持ちを喪失したのも、分からなくはない。
だからといって、これまで真面目に勉強してきた実績に裏付けされたプライドまでは失いたくない。だから、泥と誇りにまみれるような汚れ仕事で頑張るのは嫌だ。
やりたいこともないではないが、汗水たらしてやりたいとも思わない。そんなニートたちを描いてギャグ・アニメにしてしまったのが「おそ松さん」であった。若い人たちから支持されるのも分かる気がします。
でもなァ~、高齢者のニートは、どうみても幸せそうには思えない。いるんですよ、それもかなりの数が。みんな、依怙地で、人の話を聞かず、自分勝手に生きている。そして自活できなくなると、平然と誰かにすがろうとする。
幾人か、そんな高齢者のニートを観てきましたが、どうみても幸せな晩年ではなかった。若い時は、どんな生き方もできるし、それが許される。でも、一人で生きられなくなってから後悔しても遅いと思う。
でも、私には彼らを責任もって導く自信はない。だから黙って話を聞くだけだ。高齢化したニートたちが、この先の日本で増えていくことだけは確かです。TVアニメのおそ松さんたちも、まだ若いからこそ、笑いの対象で済む。
でも、高齢化したら、どうするのだろう? なんとなく考え込まされてしまいました。アニメ自体は笑える作品なのですがねぇ。