ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

子は親の背をみて育つもの

2016-04-04 12:07:00 | 社会・政治・一般

私の偏見かもしれないことは、予めお断りをしておきます。

仕事柄、会社経営者や個人事業者と会うことが多い。その席で、時折聞かされるのが、若い人の労働意欲の低さである。必然的に、労働スキルも低い。更により正確に云えば、若い人だけではなく、働き盛りの中高年にも散見する。

決して全員ではないが、いろいろ話を聞いているうちに共通点として着目せざるを得ないのが、親の生き方である。この労働意欲が低く、かつ労働技能も低い者たちは、親がろくに仕事をしていないことが多い。

リストラにあったとか、病気持ちで働けないとか、いろいろあるが、なにより生活保護を受けていた家庭が多いのが目立つ。

家が生活保護を受けているほど貧しかったが故に、頑張って働き、会社を興したり、店を持ったりする成功者もいる。貧困からの脱出は、成功への大いなるモチベーションになるのは、数多くの実績に裏付けされた事実である。

ただ、そうでないほうが最近目立つように思えてならない。働かずに、金がもらえて、のらりくらりと暮らす生活に馴れてしまうと、そこから抜け出すのは難しい。

多くの場合、その貰ったお金は酒や賭博に浪費されることが多い。自堕落で、向上心に欠けるが故に、働き出すこともなく、死ぬまでその安楽な暮らしにしがみ付く。

そんな家庭に育った子供は、親と同じ行動をすることが多いように見受けられる。もちろん、最初からではない。一時は、親とは同じ生き方をしないと、前向きに働き出す。

しかし、世の中そうそう甘くはない。学歴であったり、コネであったり、様々な世の中の不合理な仕組みにぶつかり、挫折して、心が挫けてしまう。そうなると、やる気のない低技能の労働者に甘んじることで満足してしまう。

全てそうだとは云わないが、私が見聞きしたなかでは、そのようなケースが目立つのだ。ある意味、当然だと思う。私は親が苦労して働く姿を見て育った。社会に出て働くことは、決して楽ではないことは、子供の頃からなんとなく知っていた。

その厳しい社会のなかで苦労して、私たち兄妹を育ててくれた親の後ろ姿は、頼もしく大きかった。苦しい時、辛い時もきっとあったに違いない。それでも、私たちを育ててくれた。

そう思うからこそ、私も同じ苦しみに耐えられるし、我慢できる。

だが、挫折して、そのまま立ち直れなくなり、生活保護を受けたままで、惨めな境遇をパチンコや酒に逃げて誤魔化した親を見て、育った子供の気持ちはどうなのだろう。

親の真似をするというか、親と同じことをしてしまうケースは多いのだろうと推測している。

暴論なのは承知しているが、そろそろ生活保護の在り方を考え直す時期ではないかと思う。働ける身体なのに、社会に適応できずに挫折してしまうような人を、生活保護で救済するのは、むしろ良くないと思う。

強制労働とまでは云わないが、一定期間生活保護を受けて、なおかつ就労の意思がないものについては、職業訓練の意味も込めて強制的な労働を与えて、給与を支払ったほうが、本人のみならず子孫のためにも良いのではないのか。

気力のない低技能なままの労働者を見ていると、そう思わずにはいられません。

コメント (3)
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