アニメーションの実写化は難しい。
映画館を出ながら、そう痛感せざるを得なかった。昨今のハリウッド映画の特徴の一つは、かつてパルプ・マガジンと称された粗悪な紙で大量に販売された漫画雑誌のヒーローたちの実写、映画化である。
その漫画に夢中であった少年たちは、今や大人になり、彼らをターゲットにした映画ならば、一定の収入が見込まれる。だが、単なるアニメーションでは、子供向けにしかならない。
日本だと、いい年の大人がアニメーションを観ることは、それほど不自然ではない。しかし、欧米のみならず、世界中の多くの国では、アニメーションは子供の娯楽であり、良識ある大人の娯楽ではないと考えらえている。
だから、必然的に実写化を志向するが、かつては不可能であった。宇宙を駆け巡るヒーローや、怪光線を発射するモンスターの実写化は難しすぎた。しかし、CG技術の向上により、それが可能になってきた。
それゆえに、かつてのアニメーション・ヒーローたちが、実写化されての映画が作られた。そして、映画会社の見込みとおりに、かつてのアニメ・ヒーローのファンたちが、この映画に飛びついた。
ここで、一つの矛盾を抱えることになる。少年たちを読者としていた漫画やアニメのヒーローたちに、小難しい理屈は必要なかった。要は正義のヒーローが、悪役をやっつければ良かったからだ。
しかし、その少年たちも成長し、大人になった。そうなると、アニメのスーパーヒーローたちにも、戦う動機であり、正義の根拠、ヒーローの裏面である人間としての悩みを描かねば、到底大人の鑑賞に堪えうる作品にはならない。
そうなると、必然的に娯楽作品としての魅力が薄れてしまう。大人の理屈と、子供の理屈は同じではない。純粋に悪と戦うヒーローに子供が素直に憧れるのはいい。しかし、大人になると、ヒーローの苦悩が透けて見えてしまう。
子供がいつまでも子供でいられないように、ヒーローも大人の社会の道理に組み込まれてしまう。それは、大なり小なり、誰もが辿る道である。苦悩するヒーローに、娯楽作品の主役は荷が重い。
だから、大人になった社会の一員としてのヒーローに、かつてのヒーロー像を当て込ませると、どこかで矛盾が生じてしまう。一層の事、娯楽作に徹するほうが、まだすがすがしい気がする。
しかし、上手に描けば、深みのあるヒーローがより一層の輝きをもってスクリーンに現れるはずだ。そんな意欲は感じられたが、正直饒舌に過ぎ、また爽快感も減じてしまっている。
二兎を追って、共に逃がした印象は否めない。で、なんでワンダーウーマンが突如出てくるのだ?その必然性が分からない。次回作への布石なのだろうか。
随分と話題になった映画ですが、消化不良の感は否めません。次回作に期待ですかねぇ。