成功した経験から脱却するのは難しい。
昨日の記事は、いささか説明不足であったと思うので、少し北朝鮮を軍事面から考えてみたい。北朝鮮の軍隊は、基本的に朝鮮戦争当時の体制を維持している。外部から見れば、朝鮮戦争は北朝鮮の南進の失敗であったと思う。
しかし、北朝鮮の見方は違う。旧ソ連の衛星国家であったはずの北朝鮮は、この朝鮮戦争を機にソ連の支配から逃れ、共産シナにすり寄る形で、政治的な独立を果たした。南朝鮮の直接支配には失敗したが、ソ連と中国のパワーバランスを利用して、事実上独立を果たした。
朝鮮戦争にGOサインを出したソ連首脳部は呆れたが、共産シナと合い構える余裕はなく、むしろ内心はせいせいしていたことが、後に公表されたソ連首脳らの回顧録等から読み取れる。
つまり、朝鮮戦争において勝者であると自ら規定したため、この成功体験から抜けられなくなった。それゆえに通常戦力の近代化(電子化)が出来ず、このことが軍隊の劣化を招いた。だから、湾岸戦争におけるイラクの敗北は、相当な衝撃であった。
なぜなら、イラク軍の兵器は北朝鮮のそれよりも、より近代化されていたからだ。湾岸戦争における多国籍軍の勝利は、電子戦の勝利であった。情報を相互にリンクし、相手の情報を分断し、効率的にシリアの兵器を破壊した。
金正日は、その事実に戦慄し、軍隊の改革を目論んだが、朝鮮戦争の勝利の記憶に固執する軍首脳らを敵に回す訳にはいかなかった。軍隊の近代化、電子戦対応は、やりたくても出来なかった。
だからこそ、核兵器の自主開発に固執した。三代目の正恩の考えも、これを踏襲している。通常兵力の近代化が出来ない以上、思考の硬直化した軍首脳を敵に回さずに、世界に通用する軍事力となれば、それは核兵器しかありえない。
弾道ミサイルにせよ、潜水艦から発射するミサイルにせよ、基礎技術は半世紀前に出来上がったものであり、北朝鮮の技術でも模倣できる。ただ、北朝鮮に出来ないのは、検証実験であろう。
高高度へ到達したミサイルが再び大気圏内に突入した後、目標に到達できるかは、かなりの広範囲にわたる監視が必要となる。この検証は、国土の広いアメリカやロシアでさえ、他の国に監視拠点を設置しないと正確な計測が出来ない。北朝鮮には無理な話だ。
もっとも、北に必要なのは、アメリカが認めてくれるほどの軍事力を持つことであり、真の狙いは貪欲な隣国共産シナに対する警告なので、そのミサイルの実効性は二の次なのだから、この程度でも構わないのだろう。その意味で、現行の北朝鮮執行部の姿勢は正しいと思う。
しかし、日本人ならば、もっとも心配しなくてはならないのは、実は日本自身である。戦後、アメリカ製の憲法を盾に、軍事小国の道を選び、国力をすべて経済建設に投入して経済大国となった日本の成功経験こそが、今の日本にとって、とてつもなく重い枷となっている。
諸外国からみれば、日本は世界屈指の経済大国であるばかりでなく、軍事大国でもある。違和感を感じるのは日本人だけで、世界から見れば日本は優秀な兵器を多数所有する軍事大国に他ならない。
最新でこそないが、今でも第一級の性能を持つF15戦闘機を200機以上保有し、これまた高性能な空飛ぶレーダー機(E3)を20機以上保有する。補助戦闘機もあり、ないのは空中給油機だけ。
また排水量2万トン以上のヘリ空母、イージス戦闘艦を保有するだけでなく、通常動力潜水艦では世界屈指の高性能を誇る、そうりゅう型潜水艦は各国の垂涎の的である。しかも、その稼働率は9割を超える。常に最新のメンテナンスを施しているからこそなのだが、それが出来ない国が圧倒的に多いことはあまり知られていない。
日本人がなんと言おうと、日本が軍事大国である現実に変りはない。それなのに、その軍隊を平和のために使うことをしない奇妙な国。金儲けには熱心だが、紛争地帯で弱い人たちを守ろうとしない卑劣な国、それが日本。世界は、そのように日本をみている。それが現実。
その一方で、この卑怯な国は、戦闘に参加しないことで莫大な富を蓄えてきた。世界中で戦争をしてきたアメリカ軍を物資だけでなく金銭面からも支援してきたくせに、平和国家面している厚かましい国、それが日本。
非武装中立などという夢想に取りつかれた一部の日本人はともかくも、大多数の日本人は、戦闘に参加せずに戦争に加担する事。に馴れてしまい、今さら血を流して正義を守る気概はない。それが日本。
いつまでも、この異常で、異質な、卑劣な自己弁護が通ると思っているのか。永遠に日本の軍隊は、戦争をしないと思い込める厚かましさこそが、実は日本を弱体化させている。
成功経験は、時として有害なことがある。戦後の経済成長と、平和憲法と、軍事小国化路線への固執が、21世紀の日本を危機に追いやるのではないか。私は表題の書を読み、その可能性の高さに怯えています。
成功と言う名の山は高ければ高いほど、その足元に広がる失敗という名の谷底は深いもの。その浮ウを認識している有権者が、果たしてどれだけいるのか。私は心配で仕方ありません。