南海の黒豹、それが彼に付けられたリングネームであった。
メ[ランド系アメリカ人の父と、日本人の母の間に生まれたハワイ育ちと紹介されていたが、それはプロレス独特のギミック。実際は東海岸生まれでフロリダ育ち。日本的というか、東洋人の顔つきではあったが、その逞しい体つき同様、意識の上では完全にアメリカ人であったと思う。
全日本プロレスに招聘されての日本デビューであった。肩幅の広い逞しい体つきと、日焼けした東洋的な肌、そして何よりも母から引き継いだ日本風の顔立ちは十分二枚目で、人気レスラーとして期待されていた。
これは私の邪推だが、全日本プロレスの日本人レスラーは、正直二枚目が少なく、そのあたりを補う意味で、日本に定着して欲しいと経営陣は考えていたのではないかと思う。
だが、リッキーはあくまで自分はアメリカ人であると頑なで、日本よりもアメリカを主戦場にしていたため、全日本プロレスの期待には応じられなかった。そのせいか、日本ではそれほど人気が出なかったように思う。
ただし、その温和な顔立ちとは裏腹に、かなり気性は激しかったと思う。全日本プロレスの敷いた路線にこそ乗らなかったが、思わぬところでその実力が認められた。
リッキーはヘビー級ではあったが、超大型ではなく、むしろアメリカ人としては平均的な身長であったことに加えて、ハンサムな典型的なベビーフェイス(善玉)レスラーであったため、その実力が高く評価されることはなかった。
ところが、超大型レスラーであるブロディとハンセンとのタッグ戦で、周囲の期待を大いに裏切る熱戦を繰り広げ、レスラーとしての実力をファンに認めさせた。私はこの試合をTVで観戦したが、あの超獣コンビ相手にリッキーがあれほど戦えるレスラーだとは思わなかった。
その後も、あの重量級のブッチャーをアームドラッグで投げ捨てて、観客を驚愕させたことも印象深い。動きの素早さは知っていたが、技も十分切れる実力派であった。
もし、日本のマットに定着していたら、人気レスラーとして活躍できたであろう。もっとも、彼自身はアメリカを主戦場だと考えていたこと。また全日本プロレスのフロントが、後年彼の売り出しに消極的になったことから、日本ではそれほど有名にはなれなかった。
それが良かったのか、悪かったのかは分からないが、彼自身はあくまで自分はアメリカ人であり、アメリカで戦うことこそ自分のプロレス人生だと考えていたと思う。
今にして思うと、彼が日本的な顔立ちでなかったら、今少し日本でも活躍できた気がします。