はっきり言って、黙っているのが辛かった。
かれこれ十数年前のことだが、とある東京郊外の電車内のことである。私は少し遠方の顧客を訪問しての帰り道のことだ。文庫本を読みながらの呑気に時間を潰していた時のことだ。。
ふと気が付くと、私の傍に女子高生が数人坐っており、おしゃべりに夢中であった。特に盗み聞きする気はなかったが、自然と耳に入り、その内容に唖然とした。
「やばいよぅ、昨日、隣の家で生まれた柴犬の子供が死んじまったよぅ」
「え、なんで? 写メに写っていたあの子犬だよね」
「そうなんだよ、あんまり可愛いから一匹だけ親犬に黙って公園に連れて行って遊んでいただけなんだよ。それなのに気が付いたら冷たくなって死んでたんだよ」
「なに、それ。やばいじゃん」
「やばい、やばい。で、やばいから、親犬が水を飲みにいっている隙に、犬小屋に戻しおいて逃げてきたァ~」
「え~、それってやばい、ばれてない?」
「やーねェ、浮「こと言わないでよ。あたし、何も悪いこと、してないよぅ」
聞いていてムカムカしてきて、思わず叱りつけようとしたけど、涙ぐんでいるところからして、それなりに哀しんでいるようなので止めた。
冷静に考えれば、関係者でもない私に叱られる道理はないだろう。第一、それが事実かどうかも分からない。
ただ、その女子高生らは知らないのであろうことは容易に想像が付く。
子犬は可愛い。それは分かる。遊んでくれる相手に懐き、尻尾フリフリ甘えてくる。連れ出したい気持ちも分らないではない。でも、それは実は危険な行為である。
産まれて間もない子犬は、驚くほど体力がない。おまけに加減を知らない。自制できないから、楽しいと感じると体力の限界まで遊んでしまう。その結果、気が付いたら死んでいる子犬が居る。
母犬が傍にいれば、すぐに気が付いて無理やりに休ませる。だが人間にその限度が分るはずもない。だから生まれて間もない子犬は、母犬から離してはいけない。
もちろん死因が他にある場合もある。いずれにせよ、子犬は生後三か月くらいは母犬の傍におくべきものだ。もっとも現実には、子犬はよく売れるので、一月程度で親犬から離されることも珍しくない。
実際、子犬は些細なことで死ぬことは決して珍しくない。だからその前に売り払うペット業者もいたくらいだ。まして個人宅のペット犬が出産した場合、子犬の危険性を知らない人が飼い主であることも少なくない。
多分、あの女子高生も知らなかったのだろう。少なくとも、あの哀しんで流した涙は本物だと信じたい。
本当のところ、人間の子供だって簡単に死ぬ。人類の歴史の大半に於いて、人間の子供の過半は10歳になる前に死んでいたのが実情であった。だからこそ、昔の女性は多産であった。
日本だって、幼児の生存率が上がったのは明治から大正にかけてであり、昭和40年代ごろまでは兄弟が沢山いる家庭が珍しくなかった。経済の高度成長で、栄養が子供たちにも十分に行き渡り、ワクチン接種などが普及してようやく子供の死亡率が下がったほどだ。
今では一人っ子世帯が一般的だし、子供なんて簡単に死ぬという常識が過去のものとなっている。だから子犬が簡単に死んでしまうことも知らなくても不思議ではない。
社会が豊かになればなるほど、かつての常識が忘れ去られてしまうとは、ある意味皮肉なものだと思います。
多分知らなかったのだと思いますが、切ないですね。せめて、その女の子がそれを機会に調べるなどしてくれたらと思います。
電車内での他人の会話だったので、実際どの程度の子犬だったのか分かりませんが、生まれてそれほど経ってないような口ぶりでした。同じことを二度とやらないで欲しいです。