夜が明ける前の丑三つ時こそが、街は一番美しく輝く。
深夜の散歩をいつから始めたかは思い出せないが、多分中学生の頃からだと思う。当時は机を玄関の近く、台所の片隅に移して深夜一人で勉強するようになっていた。
風呂場とトイレのはざまにあるスペースに机と椅子を持ち込んであるため、家族が起きている時間はせわしないが、皆が他の部屋で寝入ると、その場所は私の王国となり、好き勝手が出来た。
当時は勉強しつつ、深夜ラジオに耳を傾ける「ながら族」であった。オールナイトニッポンやパックインミュージックが終わる深夜3時までは、ほぼ間違いなく起きていた。
勉強は結構適当で、本を読んでいることも多かった。時折、抑えきれぬ衝動に動かされて、深夜密かに外出することがあった。手早く着替えて、家族を起さぬように静かに玄関を開けて、薄暗い外へ抜け出した。
別に目的があったわけではない。私はこの時間の街の風景が好きだっただけだ。
静かで、本当に静かで、家々の明かりは消えていて、街頭の明かりだけが輝いて暗闇を消している。自分一人が世界を独占している気がする。暗闇はそこにあるはずの汚い現実を隠し、小さな灯火だけが微かな希望を予感させる夜明け前が、街は一番美しい。
繁華街の方へ向かうと、さすがに人影はまばらで、酔漢が寝転んでいたり、水商売の女性がたむろしていたりと、昼間とは異なる街の顔を覗かせてくれる。
目的はないと言ったが、隠れた目的はあったのかもしれない。繁華街から路地を一本入ったある家に行けば、男の子を男にしてくれる女性の部屋があると噂があった。
私は当時、自分の内面に蠢く不思議な衝動を持て余していた。それが性に絡むものであることは、なんとなく分っていた。しかし、当時はまだ性欲を性欲として捉えることが出来なかった。少し晩生だったと思う。
だからその部屋の近くまで行っても、扉を叩くことは出来なかった。近くまで行くと、一度立ち止まってから後に通り過ぎて、その傍のマンションの非常階段を上がり、屋上から下を眺めるだけだった。
高いところから眺める丑三つ時の街は、暗く輝く不思議な光景だった。その風景には私を落ち着かせる効用があった。気持ちが静まったのが分ると、私はそっと家に戻ってベッドに潜り込んだものだ。
誰にも知られぬ私の密かな夜の散歩だった。
数年後、高校を卒業してから、その街を引っ越すことになった。なんとなく感傷的な気持ちで、私は街を歩き回った。歩くたび思い出が甦り、寂しい気持ちにさせられた。
私が入り浸っていたパチンコ屋を見て周り、店長に挨拶してから二階のゲームセンターに向かった。入り口の脇にあるトイレの前で、一人の女性とぶつかってしまった。スイマセンと謝ると、その女性が声を上げた。
「あら、久しぶりね坊や」 え? 知らないぞ、俺は。
「結局、一度も来てくれなかったわね」と怪しく微笑まれた。「待っていたのにね」と恨めしそうに呟くと、立ち去っていった。しばし呆然と佇み、ようやく気がついた。あの部屋の女性なのだと。
顔から火が吹いたように赤面した。
バレていたんだ・・・猛烈に恥ずかしくなった。自分一人の秘密だと思い込んでいたのに、よもや知られているとはね。行くべきだったのか、それとも行かなくて良かったのか、今となっては分らない。
思春期の頃の思い出って、どうしてこんなに恥ずかしいのだろう。あれから30年、もう既に忘れていたのだが、たまたま夜更けのドライブをして、暗く輝く街並みを眺めているうちに思い出してしまった。この時間の街が美しいのは、今も昔も変わらないのにね。
深夜の散歩をいつから始めたかは思い出せないが、多分中学生の頃からだと思う。当時は机を玄関の近く、台所の片隅に移して深夜一人で勉強するようになっていた。
風呂場とトイレのはざまにあるスペースに机と椅子を持ち込んであるため、家族が起きている時間はせわしないが、皆が他の部屋で寝入ると、その場所は私の王国となり、好き勝手が出来た。
当時は勉強しつつ、深夜ラジオに耳を傾ける「ながら族」であった。オールナイトニッポンやパックインミュージックが終わる深夜3時までは、ほぼ間違いなく起きていた。
勉強は結構適当で、本を読んでいることも多かった。時折、抑えきれぬ衝動に動かされて、深夜密かに外出することがあった。手早く着替えて、家族を起さぬように静かに玄関を開けて、薄暗い外へ抜け出した。
別に目的があったわけではない。私はこの時間の街の風景が好きだっただけだ。
静かで、本当に静かで、家々の明かりは消えていて、街頭の明かりだけが輝いて暗闇を消している。自分一人が世界を独占している気がする。暗闇はそこにあるはずの汚い現実を隠し、小さな灯火だけが微かな希望を予感させる夜明け前が、街は一番美しい。
繁華街の方へ向かうと、さすがに人影はまばらで、酔漢が寝転んでいたり、水商売の女性がたむろしていたりと、昼間とは異なる街の顔を覗かせてくれる。
目的はないと言ったが、隠れた目的はあったのかもしれない。繁華街から路地を一本入ったある家に行けば、男の子を男にしてくれる女性の部屋があると噂があった。
私は当時、自分の内面に蠢く不思議な衝動を持て余していた。それが性に絡むものであることは、なんとなく分っていた。しかし、当時はまだ性欲を性欲として捉えることが出来なかった。少し晩生だったと思う。
だからその部屋の近くまで行っても、扉を叩くことは出来なかった。近くまで行くと、一度立ち止まってから後に通り過ぎて、その傍のマンションの非常階段を上がり、屋上から下を眺めるだけだった。
高いところから眺める丑三つ時の街は、暗く輝く不思議な光景だった。その風景には私を落ち着かせる効用があった。気持ちが静まったのが分ると、私はそっと家に戻ってベッドに潜り込んだものだ。
誰にも知られぬ私の密かな夜の散歩だった。
数年後、高校を卒業してから、その街を引っ越すことになった。なんとなく感傷的な気持ちで、私は街を歩き回った。歩くたび思い出が甦り、寂しい気持ちにさせられた。
私が入り浸っていたパチンコ屋を見て周り、店長に挨拶してから二階のゲームセンターに向かった。入り口の脇にあるトイレの前で、一人の女性とぶつかってしまった。スイマセンと謝ると、その女性が声を上げた。
「あら、久しぶりね坊や」 え? 知らないぞ、俺は。
「結局、一度も来てくれなかったわね」と怪しく微笑まれた。「待っていたのにね」と恨めしそうに呟くと、立ち去っていった。しばし呆然と佇み、ようやく気がついた。あの部屋の女性なのだと。
顔から火が吹いたように赤面した。
バレていたんだ・・・猛烈に恥ずかしくなった。自分一人の秘密だと思い込んでいたのに、よもや知られているとはね。行くべきだったのか、それとも行かなくて良かったのか、今となっては分らない。
思春期の頃の思い出って、どうしてこんなに恥ずかしいのだろう。あれから30年、もう既に忘れていたのだが、たまたま夜更けのドライブをして、暗く輝く街並みを眺めているうちに思い出してしまった。この時間の街が美しいのは、今も昔も変わらないのにね。