ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

石原都政の末路

2011-04-07 13:35:00 | 社会・政治・一般
人生、引き際が肝要。

そして、石原都知事は引き際を見誤ったと思う。元々、国政からの転進は、いくら正論を叫んでも多数派となりえぬ苦悶から生まれたものだ。

国会の場で、石原自身が正しいと思い、それが政治に反映されることを願って勉強会を立ち上げたり、グループを作ったりしたが、いつも少数派に留まった。

ならば、東京都という一国家並みの自治体で自らが理想とする政治を実現してみようと意気込んでの都知事転進であった。青島の下で混乱していた都庁をまとめ、それなりの実績を挙げたことは、私も否定しない。

しかし、その一方で石原都政は都心の繁華街を立ち枯れさせた。子供が安心して遊べる街への転進を謳った新宿歌舞伎町は閑古鳥が鳴き、東洋一といわれた風俗街は明かりを消した。

多くの飲食店が閉店に追い込まれ、多くの失業者を生んだ。風俗嬢は過酷な裏風俗へ潜り、かえって性病を広め、未成年者が裏風俗で悲惨な目にあっている。

かわって大資本をバックにした明るく健全な居酒屋チェーン店が軒を並べたが、ここでは中高年の失業者は敬遠され、若い(つまり人件費の安い)アルバイトだけが雇用された。

たしかに歌舞伎町は明るくなった。だが、大人の遊び場としての魅力はなくなり、かつての活気は失われた。おそらく石原自身は、都庁のお膝元が浄化されたことにご満悦だろう。

だが、一度荒廃した街を復興させるのは難しい。空きテナントに堪えかねた大家たちは、違法を承知で得体の知れぬ輩に部屋を貸して、そこで何が行われているかは知らん顔。

私が聞き及ぶ範囲では、盗人たちの盗品交換市場や、違法ドラッグ売買などが巧妙に行われているらしい。なにせ、外見が普通の事務所、お店に見えるので、警察もなかなか手が出せない。

正直、今の新宿には手を出したいとは思わない。石原都政の元で行われた歌舞伎町浄化作戦は、見かけだけ健全で、腐敗した部分が奥底に潜らせただけで、むしろ自体は深刻化したと思う。

元来、賢明な治世者は、繁栄する街を作るには、明るく健全な部分と、暗く怪しい部分を暗黙の了解のもとに両立させたものだ。人間の欲望に属した部分を法令で、完全に縛れば、却って裏に潜って統治の枠から大きくはずれることを分っていた。

石原という人は、巨大な都庁をほぼ完全に支配できる程度に頭はいい。だが、本人がクソ真面目すぎて、人の愚かさなどを許容するだけの器量がない。

だから、国会でも都庁でも、石原に賛同する真の支援者を得ることが出来ない。優秀な外部スタッフを少なからず採用したが、どの人も歳月が経つにつれて石原から距離を置く。つまるところ、統治者としての器量に欠ける。

そして、よせばいいのに都知事選挙に再び出馬してしまった。既に石原の周囲には、かつての優秀なスタッフは姿を消しており、いるのは媚びて追従するだけで、甘い汁を吸おうとする輩ばかり。

お気の毒なことだが、多分選挙には勝ち抜けると思う。そしてやがて晩節を汚すことになるはずだ。どうも、石原本人は当初、引退も考慮していたようだが、花道がひかれず、未練が残ったらしい。

孤独な独裁者と化した石原の末路は厳しいものになると思う。石原の許容心に欠けた政治が、東京をどれだけ荒廃させたかが、これから次第に明らかになるはずだ。

信じられないなら、都庁の北、大久保周辺の限界集落と化した都営住宅を見てみることだ。かつて、歌舞伎町が繁栄していた頃、そこで働いていた中高年たちの惨めな暮らしを、目の当たりにするだろう。

なにが浄化作戦?だ。要するにセレブな石原の感性に合わない人たちを追いやっただけだろう。仕事を奪われ、未来に希望を失くした貧しい中高年たちの恨み節なんざ、石原の耳には届かないでしょうがね。

私は石原の功(これは確かにある)を認めないわけではないが、それは罪を贖うほどではなく、むしろ恥を知って自ら退くべきであったと確信しています。
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プロレスってさ ローラン・ボック

2011-04-05 12:18:00 | スポーツ

プロレスラーには、リングネームが付けられる。有名なところでは「燃える闘魂」のアントニオ猪木がある。たしかに猪木のイメージに合っていると思う。

他にも「大巨人アンドレ・ザ・ジャイアント」(・・・かぶっているぞ)とか「鉄の爪フリッツ・フォン・エリック」「生傷男ディック・ザ・ブルーザー」など、一度聞いたら忘れられないものがある。

なかでも似合いすぎというか、出来色だったのが「墓堀人ローラン・ボック」だ。墓堀人ですぜ、墓堀人。不気味でしょう、薄気味悪いでしょう。

一体全体、どんな奴かと思ったら、とんでもなかった。アントニオ猪木が世界一を自称していた頃、世界を股にかけて遠征して、各地でプロレスの試合をやっていたことがある。

有名なところではパキスタンで当地の人気レスラーの腕を折ったり、ブラジルで巨人レスラーと戦ったりと、いろいろやっていたらしい。おそらく放送権というか、権利の問題でそれらの試合の映像は、当時ほとんど日本で観ることができなかった。

だからプロレス雑誌に記載された記事で、想像逞しく試合を楽しむしかなかった。その猪木の世界遠征のなかで、もっとも苦戦し、遂に勝利を得れなかったのが当時ヨーロッパ・チャンピオンであったローラン・ボックとの試合であった。

そのボックが日本に来るという。こりゃ観るしかないといきり立ったが、当時大学の部活が忙しく、生で試合を観ることは叶わなかった。でも、TVで観るだけでも十分楽しめた。

なにしろ暗い。雰囲気が暗いのだ。アメリカのプロレスラーが見せる明るさとは無縁であり、リングの上にぬっと立つだけで、不気味な雰囲気が漂っていたのだ。

がっちりとした身体つきだが、決して筋肉隆々といったタイプではない。その動きは素早くもなく、むしろ鈍重な感させるが、それでいて目を引きつけてやまない力強さがある。

プロレスの楽しみの一つは、技の掛け合いにある。しかし、ボックはそれを拒否しているようで、むしろ一方的に攻め立てる。その投げ技がえぐい。

最初に対戦したのはアマレス出身の長州力だったが、その長州に受身を許さない角度で、しかもリングの中央の鉄骨が十字に組まれた部分の上に、スープレッスクを叩き付けた。

あのハンセンのラリアットを何度も受けた強靭な首を持つはずの長州であったが、ボックの受身の取りづらいスープレックス一発でKOだった。試合が終わった後でさえ、真直ぐに歩けず、その後休業してしまったほどだ。

墓堀人とは、よくぞ付けたものだ。事実、ボックはその強さで長年チャンピオンに君臨しているにも関らず、当地でも人気レスラーとは言いがたい存在であったらしい。なにせ、対戦相手を怪我させる悪い癖がある。これでは嫌われる。

シリーズ最終戦での猪木とのシングルマッチは、異様な雰囲気が漂った。本来盛り上がるはずの試合なのに、歓声すらほとんど聞こえない静かな、それでいて落ち着かない、妙な雰囲気であった。

珍しく猪木が緊張しているのが分った。そしてボックは、相変わらず無表情で上目遣いに猪木を睨んでいる。TVで観戦していたが、それでも試合が盛り上がっていないことは感じ取れた。

その代わり、滅多に観られぬ緊張感の漂う不気味な試合であった。猪木もボックも、互いに相手の技を受ける気がないようで、探り合いが続いた。時折、技に入りそうになるが、互いに必死で逃げるせいで、技がまともにかからない。

本来ならば、こんなしょぼい試合はありえない。プロとして失格だと言いたいが、これほど緊張感の漂うプロレスの試合ははじめてだった。時間にして10分に満たなかったと思うが、終わった時TVの前で大きくため息をついたことは、よく覚えている。

猪木という人はとんでもない大法螺吹きであり、人間的にはとても信用できる人ではない。しかし、プロレス界きっての受身の名人であり、試合を盛り上げる名人でもあった。

その猪木をもってしても、盛り上げることが出来なかったのが、墓堀人ローラン・ボックとの試合であった。実際、猪木自身、こりごりしたようだ。

来日回数は極めて少ないが、これほど記憶に刻まれたプロレスラーは珍しいと思う。

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自虐史観もうやめよう! 谷沢永一

2011-04-04 12:12:00 | 

ボクのおじいちゃんやお父さんは、侵略者であり帝国主義者なので悪い人間です!

そのように祖父、父を誹謗する子供がいたとしたら、おかしいと思う方が普通だと思う。父や祖父が兵士として外国に赴き、そこで戦ったことがあれば、そこには敵の死や破壊があったと考えるのが普通だろう。

だが、国家の命令で敵と戦ったのであり、その子供が胸を張って口にするなら分る。しかし、親たちのしたことを、子供が誹謗することには違和感を禁じえない。

たとえ戦争が悪いことであったとしてもだ、身内ならばそれをかばうのが常識だと思う。かばうのが無理なら黙っている、それが人として当然のことだと思う。

立場を変えてみれば、より一層分りやすい。子供が戦争に徴用されて、敵国で人を殺し、破壊行為をしたとしよう。しかし、その戦争は負け戦であり、敗残兵として惨めに帰国してきた。世間は無情にも、敗残兵を罵り、唾を吐きかけて迫害してきたとしよう。

親ならば、どうする?

当然だが、親なら子をかばうはずだ。間違っても世間と同じように罵倒したりしない。それが親子の情というものだ。たとえ法が我が子を罰しようと、親子の情まで裁けるものではない。

たとえ戦争といえども人を殺すのは悪いことかもしれない。破壊行為は褒められたものではないとも思う。しかし、一個人の力では、どうしようもないことは多い。

時代の流れ、組織の論理、抑えようも無い集団的激情などは、一個人の思惑を離れて人々に無理強いを押し付ける。どうして、それを非難できようか。まして身内である。

ところが、それが分らないバカがいる。困ったことに最高学府を出ているばかりでなく、最高学府で教鞭を執るほどの脳みそを持ちながら、人としての情理が分らない。

このバカどもが、戦後の日本に反日自虐史観を押し付けた。表題の本は、谷沢永一が一人一人、反日自虐史観の推進者たちの名を挙げて、具体的に反証したものだ。

代表的な11人が取り上げられているが、驚いたことにその大半が東京帝国大学、つまり現・東大出身者だ。谷沢氏はとくに気にしていないようだが、私には落ちこぼれエリートの復讐に思えて仕方なかった。

現在でこそ東大は、日本における最高学府とされているが、戦前は三番手に過ぎなかった。上位2校は、陸軍中野学校と海軍江田島学校であり、東大はこの二校に入れない程度のエリートの行き落ち着き先に過ぎなかった。

中野か江田島ならば、大臣クラスへの立身出世は当然であったが、東大では難しかった。これが戦前の常識であったが、敗戦により二校が廃止され、落ちこぼれエリートの逆襲が始まった。

作家の源氏鶏太が三等重役と称したように、民間企業にあっては、この落ちこぼれエリートこそが戦後復興の立役者となった。官庁でも、この三等エリートたちが戦後復興の道筋を立てたのは確かだと思う。

しかし、象牙の塔のなかにおいては、この三等エリートたちが既成の価値観をぶち壊し、日本国民及び日本社会そのものを誹謗中傷して、自らを至高の頂点に持ち上げるといった下賎な振る舞いが横行していた。その中味を明らかにしたのが、本書なのだ。

自虐史観を止めたいと思うのならば、まずその自虐史観の主導者たちの経歴を洗い出し、何をどう述べたのかを知ることは、極めて有益だと思います。興味がありましたら、是非ご一読を。

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猫弾きのオルオラネ 夢枕獏

2011-04-01 13:59:00 | 

弾くといっても、猫が楽器を弾く訳ではない。この作品では、猫を楽器として弾くを意味する。察しの良い方はすぐに気づくと思うが、ファンタジー小説だ。ホラーではないので、ご安心を。

作者は伝奇小説の大家でもある夢枕獏だ。まだ彼が新人作家の頃に書いた数少ないファンタジー小説である。私が夢枕氏の小説を読んだのは、朝日ソノラマ文庫で刊行されていた「キマイラ・孔」シリーズからだが、もしかしたら表題の作品を先に読んでいたかもしれない。

というのは、私は当初、夢枕獏をファンタジー小説の書き手だと思い込んでいたからだ。実際、1980年前後の頃から、集英社のコバルト文庫や宇宙塵といった雑誌に掲載されたものは、ほとんどがファンタジー系のものであったからだ。

ところが、80年代後半から突如としてヴァイオレンス伝奇小説を書き出して、それがヒットした。それはそれで面白かったが、少し残念にも思っていた。

元々はSF好きの私だが、元をたどれば世界民話集に夢中になっていただけに、ファンタジーものに対する関心は強い。ところが、当時の日本には大人の鑑賞に堪えうるファンタジー小説の書き手は、ほとんど居なかった。

それだけに、ファンタジー色濃厚な短編を幾つも発表していた夢枕獏には、おおいに期待を寄せていたのだ。しかし、夢枕氏の作品が売れたのは、サイコダイヴァーものや、闇狩師シリーズといた伝奇ものであった。

おかげで、以降ファンタジーものを書くことがほとんど無くなってしまった。実に残念でならない。子供をお持ちの方ならご存知のように、日本は童話のようなファンタジー小説の宝庫だ。

子供向けの作品ならば、良作が数多ある。しかし、大人向けのファンタジー小説となると、いささか寂しい。ライトノベルの分野ならば、無いわけではないが、これは十代の若者を対象としていて、成人が読むには、ちょっと気恥ずかしいものがある。

大人の鑑賞に堪え得る良質なファンタジー小説は、まだまだ多くは無い。宮部みゆきあたりは悪くないと思いますが、夢枕獏にも復帰してもらいたいものです。

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