ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

恐怖の放射能報道

2011-04-14 12:10:00 | 社会・政治・一般

東日本大震災より、早くも一ヶ月が過ぎた。

この間、私が辟易しているものが二つある。一つは繰り返されるACのコマーシャル。もう一つが福島原発の放射能被害報道だ。

マスコミの奴ら、ここぞとばかりに放射能という格好のアイテムを使って不安を煽りたて、賢しげなアドバイスを垂れ流し、あげくに根拠の怪しい風聞までもを取り上げる。

報道の自由とは、不安を煽り、人々の恐怖を商売のネタにすることなのかと言いたくなる。そりゃ、私だって放射能は怖い。怖いは怖いが、必要以上に怯えたくはない。

思いっきり暴論であることを承知で言わせてもらえば、不確かな情報をマスコミはばら撒いてほしくない。

よくよく思い出して欲しい。日本は世界で唯一、原爆の爆撃を受けた国であることを。それゆえに、核爆発の恐怖は国民の心に染み込んでいることは、私とて同じ事。

スリーマイル?チェルノブイリ?たしかに恐ろしい災害だと思うが、核爆弾の投下を受けたほどではあるまい。一瞬にして数万人の国民が、核爆発で死亡し、その後も数十万人が被爆した国だぞ、日本は。

たしかに福島原発の被害は恐ろしい。放射能の被害は今後も続くことも間違いない。原発周辺から逃げ出し、原発の周囲の野菜や魚を食べたくない気持ちだって分る。

だが、もう一度思い出して欲しい。広島はどうだった、長崎はどうなった?

当時の人たちは、放射能の恐怖に無知だったかもしれない。戦後生まれの人々にさえ、放射能の被害は続いていることは、私だって知っている。

広島生まれであることを隠していた人がいることだって知っている。戦後に生まれたにもかかわらず、中年になって白血病を発病した人がいることも知っている。

でも、私は知っている。広島、長崎で生まれ育った人の多くは、普通の人と同じように暮らし、生きて、そして死んでいったことも。おそらく白血病の発症割合は若干高いはずだし、放射能によると思われる奇形などの発症も小さいとは言えないはずだ。

それでも広島は立派な地方都市に再生したし、坂の多い長崎を観光して楽しんだ人は沢山いたはずだ。広島産の牡蠣は今でも危ないのか?長崎のカステラは危なくて食べられないのか?

マスコミが撒き散らす放射能の恐怖になんか負けてはいけない。放射能が危険であるのは確かだが、永遠に続く恐怖はない。

私たちの身体は、有害な紫外線に襲われ、食品に含まれた有害な添加物で汚染されている。そこに新たに微量の放射能が加わることになる。日本、とりわけ関東地方、東北地方は、その被害から完全に逃れることは不可能だ。

で、だから、どうした。

暴論ついでに言わせてもらえば、身体に良いものばかり食べてきた子供は、大人になると案外病弱であることが多い。日本やアメリカなどの先進国が、O157という病原体にあたふたしていたが、発展途上国は平然としていた。あの程度の病原体なら、とっくに免疫が出来ているのだろう。

オゾンホールが拡がって、紫外線による皮膚がんの発症に怯える白人を尻目に、エスキモーたちは元気に雪原を駆け回る。逞しさは清潔で安全な環境だと、かえって育たない。

私が生きていられるのも、あと20年程度だろう。だから、福島産の野菜や魚が店頭に並んだら、真っ先に買って食べてやる。(さすがに幼い子に食べろとは言わないけどね)

それで死ぬなら、それが私の運命ってもんだと思う。

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士道SIDOOH 高橋ツトム

2011-04-13 12:24:00 | 

凛とした空気をまとった人に出会えることは稀だ。

残念ながら、私はこの凛とした気風を身につけるには至っていない。憧れながらも、この年に至るまで縁遠いものとなってしまった。

どうやったら、あの冷たい空気のなかで凛々しくそびえ立つ冬山のような厳しさと美しさをまとえるようになるのだろうか。

おそらくは、全てを投げ打ってしまいたくなるような苦境にあっても、己の矜持を貫き通せるような厳しい経験を積む必要があるのではないか。

そう考えると合点がいく。私は苦しくなるとバタバタともがき、あがいて、最後には何が何でもその場を抜けきることだけを考えてしまう。

たしかに逆境を切り抜けてきたとは思う。だが、そこにはただ、切り抜けただけの不様な自分がいたことに気がつかざる得ない。思い出すと赤面を禁じえないほどの、惨めで不様な生き様であった。

だからこそ、苦境にあっても己の矜持を貫き通せるような、凛とした雰囲気をまとった人に憧れるのであろう。

現在、凛とした風情を持つ人物を描かせたら右に出るものがいないのが、表題の著者だ。週刊少年ジャンプに長く連載された表題の漫画は、幕末の日本にあって凛として己の生きる道を貫いた若者たちを描いている。

西郷や勝、慶喜など歴史上の著名人が数多く登場するが、主人公は無名の雪村兄弟だ。歴史の裏舞台にあって、激動の日本を激しく熱く駆け抜けた若者たちの生き様は胸を打つ。

なかでも百舌の気高く美しい姿には脱帽。今の漫画界で、これほど美しく、しなやかで、それでいて気品のある女性を描ける人はいないのではないかと思わせる。

既に連載を終えているが、単行本買い揃えようか否か、現在真剣に悩んでいます。地震後、本が飛散する我が部屋の片付けは、まだ終わっていない。果たして、この20冊近い単行本を置く場所があるのか?

困ったもんである。

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菅総理のリーダーシップ

2011-04-12 14:29:00 | 社会・政治・一般
遭難時において、リーダーが決してやってはいけないことは、動揺をみせることだ。

ただでさえ緊急の事態なのに、最高責任者が事態に動揺している様子をみせたら、その動揺は全体に波及して、更なる悲劇を巻き起こす可能性がある。

だから、はったりでもいい。緊急時においてリーダーは、泰然自若とした姿を見せ、その落ち着いた言動で周囲を安心させることが必要だ。

これは私が登山をやっている時に、上級生から口をすっぱくして言われ、怒鳴られ、叩き込まれた鉄則だ。

そんな私からすると、今回の東日本大震災における菅総理の立ち振る舞いには怒りさえ覚える。なにを勘違いしたのか、現場に乗り込んで余計な差し出口を叩き、慌てふためく東京電力を怒鳴りつける醜態だ。

駄目なリーダーの悪しき見本としか言いようがない。阪神・淡路大地震の時の村山総理もひどかったが、菅総理も碌なものではない。どうも、左派色濃厚な政権という奴は、緊急時には無能を露呈するものらしい。

よく平時には役立たずだが、緊急時には有能な人というものは確かにいるが、どちらにあってもダメな人も間違いなくいることが良く分る。

今回の大震災で、世界から賞賛されたのは、暴動も略奪も暴行もやらずに整然と行動した市井の市民たちであった。そして、上層部が無能を露呈している間にも、勇気を持って原子力発電所に突入したのは、幹部でもない無名の一般職員であった。

迫り来る津波の恐浮ノ逃げ出すこともなく、最後まで職務を全うした無名の職員や、行政の命令がなくても自主的にまとまった市民たちを思うと、胸が熱くなり、自分も何かしなければとの思いに駆られてしまう。

その一方で、ストレスに耐えかねて逃げ出した東電社長をはじめ、社会の上層部の醜態には恥ずかしさを通り越して、怒りさえ覚える。

もちろん、全員を一かけらにして、非難するようなことはしたくない。きっと個人レベルでは奮闘しているエリートたちもいるはずだからだ。この人たちは表に出てこないので、目立つことがなく、報道もされない。

ただ、報道の対象となるような社会的な地位の高い人たちの醜態、無能ぶりがあまりに目立つ。この期に及んで財政赤字に汲々とする小役人根性を発揮する財務省のお偉いさんが足を引っ張っていることを、マスコミはもっと報道すべきだ。

なにもしないことが仕事だと思っている白川・日銀総裁は、いい加減更迭されてしかるべきだろう。阪神淡路の時にも話題になった東西電力の周波数の違いを変換する施設の増強を、金がかかるからと逃げた当時の判断は正しかったのか?

もし、あの時変電施設の増強を実行していたのなら、これほど電力不足に陥ることはなかっただろう。電力会社という大口スャ塔Tーを慮ったマスコミの配慮は分らなくもないが、いい加減マスコミは非難すべきことは非難すべきだろう。

社会の上にいけばいくほど無能と醜態が目立ち、下に広がるほど世界から賞賛を浴びるような日本の社会構造って、おかしくないか?

これって、詰まるところ教育の問題だろう。学校だけでなく、家庭の教育の在り方も含めて、本格的な再検討と再構築が必要だと思いますね。
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フロスト日和 R・D・ウィングフィールド

2011-04-11 12:49:00 | 

私の知る範囲においても、優秀な人には書類仕事を苦手とする人が多い。

優秀さの定義にもよるが、営業とか職人とか現場の仕事に携わる人たちは、総じて事務仕事を苦手とするようだ。もちろん、両方ともに優秀な人もいるにはいるが少数派だと思う。

かくいう私自身はといえば、どちらかと云えば事務仕事は好きではない。むしろ現場を飛び回りたいタイプだ。もちろん、机に向かって仕事をしている時間は、それ相応に長い。

だが、元々じっとしているのが嫌いな性分なので、頻繁に動き回る。間違っても内勤だけの仕事はしたくないとも思っている。

税理士業界はもちろん、全般的に会計とか経理の仕事は事務系であり、当然に書類仕事が中心だ。そのせいか、必然的に内勤を好むタイプが集まりやすい。もっといえば、外回りが苦手なタイプだ。

仕事は書類の作成、整理が中心なので、書類仕事が出来なければ話にならない。結果的に事務仕事が得意な人が集まりやすい業界でもある。

ところが、仕事をもってくるには、どうしたって顧客の元へ行かねばならない。伝票の郵送やFAX、あるいはEmailなどを使うケースもあるが、基本は顧客に会って、話を聞いて、それから資料を持ち帰る。

この基本なくして、仕事は無い。ところが、ここが分らない人が少なくない。昨今、長く続く不況のせいか、資格をとってこの業界で働こうと意気込む人は少なくない。

何人かに会ってみたことがあるが、皆さんよく勉強をしてきた努力家ばかり。ところが、対人コミュニケーションの技術が稚拙な人を、しばしば見かける。

真面目だし、頭はいいし、やる気もある。しかし、顧客の気持ちを受け止めたり、情報を引き出すことが苦手と思えるケースを散見している。

若いから仕方ないと、こちらで資料を揃え、顧客の意向を伝え、そのうえで書類を作成させると見事な仕事をやってくれる。たしかに良く出来た書類だと思う。

本人も自覚しているようだ。そのせいで、自分は仕事が出来ると思い込み、安易に独立する人もいる。そのやる気は買うぞ。

しかし、しばらくして会うと浮かない顔をしている。どうやら顧客の獲得に苦労しているようだ。そりゃ、そうだろうと思う。

所詮、所長や上司、先輩たちが顧客から引き出してきた情報を、上手にまとめていただけ。肝心の基本の部分が未熟なのだ。要するに、顧客に会計税務の知識を伝えることは出来ても、顧客から情報を引き出す能力に欠けている。

だから、顧客を満足させることが出来ない。勉強が良く出来て、事務仕事が得意なタイプに、しばしば見られるパターンだ。自分が言いたいことを話すことは出来ても、顧客が言いたいことを引き出すのが下手なのだ。

他人事ではない。私はお喋りではあるが、この顧客の本音を引き出す難しさは、若い頃から散々苦労してきた。今でも決して上手いとは言いかねる。ただ、外回りが好きで、顧客の元を頻繁に訪れて、何気ない世間話を積み重ねて、それなりの信用を得たからこそ、顧客の本音を引き出せる。

亡くなられた佐藤所長はそんな私を、下手なりに見込みはあると思ったのだろう。だからこそ、事務所の後継を任せてくれたわけだが、やはり下手なりに苦労しているのが実情だ。

外回りに奔走して仕事をとってきても、事務仕事が遅れ勝ちとなり、今回の確定申告はもの凄く苦労した。怪我の功名ではないが、東日本大震災で申告期限の延長申請がなかったら、連日徹夜を強いられたと思われる。

そんな私以上に、デスクワークが苦手なのが表題の主人公、フロスト警部だ。今日も今日とて、机の上は未処理の書類が山をなす。部下には蔑まれ、上司には煙たがれる。

そんな迫害をものともせずに、現場を駆け回り、徹夜も辞さず、嘘も方便でシモネタ冗句を撒き散らして犯罪捜査に邁進する。

だが、引くときは引く。下品で無神経なフロストが日頃見せない繊細で傷つきやすい心情を示した時、事件は解決へと雪崩打つ。

品行方正な名探偵なら3冊分はある事件を詰め込んだこの本は、ミステリー好きを虜にする魅力がありますぜ。もし未読ならば、是非ともお試しあれ。

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久々の大阪行き

2011-04-08 14:14:00 | 日記
先月の三連休のことだが、急遽大阪へ行くこととなった。仕事の都合上、どうしてもやむを得ぬことであったが、寝耳に水のことであったため、新幹線のチケットは取れず、私が希望する日時の高速バスも満席。

止む無く車を走らせての大阪行きとなった。もっとも翌日には仕事があったため、日帰りでの大阪往復となった。ちなみに片道、休憩一回で8時間。

おまけに都内は、震災によるガソリン不足で、スタンドはどこも車が行列している。私の車は平均燃費17キロ台を誇る低燃費が自慢だが、ガソリンタンクは7割程度。これでは行き着けない。

関東近辺のガソリンスタンドは、どこも不足しているようだが、名古屋まで行けば大丈夫と思い、中央高速を走らせた。山梨のSAは既にスタンドで車の行列が出来ている。

そこで長野まで走らせ、残り3割程度で諏訪南のSAに入ると、スタンドは空いてている。喜んで向かうと、スタンドのスタッフから一台5リットルだと言われてしまう。

それではギリギリだと思い、一度給油してから駐車場をぐるっとまわり、軽い食事をとって一休み。その後、知らん顔して、もう一度スタンドで5リットル給油。これなら大阪まで大丈夫だ。

夕方には大阪で顧客に会い、ハンコを頂いてホテルで近江牛を食べながら、今後のスケジュールを打合せる。ちなみに顧客は、今晩には関空から海外へ飛ぶ。暫くは帰国しないようなので、今回が最後のチャンスだった。

本当は一晩ぐらいゆっくりしたい。大阪に来たのは久しぶりだ。かねて訪れたいと願っている海遊館で凶悪ラッコを観たいし、道頓堀や心斎橋あたりもうろつきたい。新世界あたりの危なげな界隈を、懲りずにふらふらしたいとも思っていた。

しかし、翌日は朝から予定が入っているので断念。このまま東京へ帰ることにする。ところで関東地方のガソリン不足がウソのように、こちらでは普通に販売されている。とりあえず満タンにして、今度は東名経由で東京へ走らせる。

京都の手前で渋滞して時間を食う。ようやく抜けて伊勢湾沿いの高速道を快適に走らせていると、今度は事故渋滞に巻き込まれる。このあたりでSAに入り、ヨーグルトと果物を買っておく。眠眠打破(ミンミンダーハー)も忘れずに。

ここ数年、高速道路を走らせていて、眠気に襲われて車をふらつかせたことがある。その時は同乗者から注意されて、事なきを得たが、今回は一人だ。

普通に食べてしまうと、間違いなく眠気に襲われる。ここは空腹を抑える程度で我慢しておく。ミカンを食べながら、
渋滞を辛抱して豊田ICを抜ける。

このあたりで雨が降ってきた。雨の夜の高速を走らせるのは、けっこう気をつかう。薄暗い高速を慎重に走らせ、駿河湾沿いを抜けて、箱根を過ぎて関東平野にはいる。

ここで気が抜けたのか、眠気に襲われるが、カーステレオのボリュームを上げて、気合で用賀のICを抜けて環八に降りる。既に日付は火曜日だ。20分ほどで自宅にたどり着き、ヘロヘロになって帰宅した。

渋滞に巻き込まれたせいで、帰りは9時間かかった。往復17時間のドライブなんて、若い頃にもやっていない。大阪での滞在はわずかに2時間だから、ずいぶんと無理をしたものだと、自分でも呆れる。

さすがに日帰りの大阪出張は、もう懲り懲り。今度はゆっくりと滞在したいものです。
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