お金がないと、なぜにこれほど苦しいのだろう。
妙なもので、若いころは確かにお金が乏しかったが、お金に苦労した覚えはない。そりゃ、欲しい登山用品を買う金がないとか、憧れのシティホテル(死語だわな)に二人で泊まるお金がないとかの悩みはあったように思う。
でも、それで苦しんだ覚えはない。当たり前である。私は親がいて、陰に日向に努力して子供たちが金に苦労しないように奮闘してくれていたからだ。それが今にして分かる。
小さいながらも事務所を構えて、スタッフを雇用している私も、事務所を維持するために、相当に苦労している。でも、その苦労を詳細に書く気はない。どうも日本人には、カネにまつわる苦労話をすることを避ける気風があると思う。
それは美徳かもしれないが、反面それでいいのかと思うことも多い。もっと堂々とカネにまつわる労苦や喜びも、人前で堂々曝して、それを活かしてもらったりすることも必要ではないか。
無頼漫画家の西原理恵子も、そう思ったようで、それが動機となって発行されたのが表題の本である。ただし、確信はないが、おそらく口述筆記であろう。西原の漫画、文章を長年読んでいるので、そのくらいは分かる。
でも、その内容は西原ならではのものだ。実体験に裏付けされたカネにまつわる苦労話が、臆面もなく堂々と語られている。それは西原の半生の記であり、かなり読みごたえがある。
印象深かったのは、これだけ金に苦労した西原でもギャンブルの魅惑には抗しきれなかったこと。そのギャンブル地獄から救い出してくれたのが、配偶者となる故・鴨志田氏であったことだ。
アル中であった鴨志田氏は、家で酔って暴れて、それが原因で離婚に至るのだが、必死でアルコール中毒を治療して家に戻った。しかし、その際には癌という不可避の死を覚悟してのものであり、最後の時間を家族と共に過ごすことを望み、その願いを叶えて最後を遂げる。
西原には、カネに換えられないものがあることを分かっていたのだろう。それでも敢えて主張する。働いて、稼いで、家族を幸せにする。それが私の人生だと。
貧困のどん底からスタートした西原には、トップを取る必要はなかったし、目指す気もなかった。皆がトップを目指すなら、自分は皆が目指さない隙間で、しっかりと小銭を稼ぎ、それを蓄え、次につなげる。
カネの大切さを痛感しているからこそ出来る生き方であり、それを実践して今の幸せを築き上げた凄味でもある。誰もが出来る生き方ではないが、ありきたりの人生指南にはない迫力がある。興味がありましたら、是非ご一読のほどを。
堅守速攻、それが新しいサッカー日本代表のサッカーだと考えるのは時期尚早だと思う。
チュニジアとウズベキスタンとの親善試合を終えたわけだが、実はTV観戦はしていない。というか出来なかった。理由は簡単で、家のTVがアナログであり、もはや地上波デジタル放送が見れないからだ。
しかたないので、ネットで後日見たわけだが、画面が小さいので少々不満である。とはいえ、非常に興味深い試合ぶりではあった。基本的に堅守速攻のプレーであるが、驚いたのは中盤でのもたつきが非常に少なかったことだ。
日本は中盤に中心選手を置き、彼らを中心にボール回しをして、機を見て攻め込むスタイルを好んできた。これはラモス、名波、中村俊、そして遠藤といったチームの柱となる選手が、足元にボールを置きたがる傾向が強かったからだ。
だが、今回遠藤を外したチームであり、監督自らがかなり強硬に戦術の変更を選手に求めたことが原因であろう。従来の日本代表はボールの保持率を高め、じわじわと隙を伺うような攻め方をすることが多かった。
この攻め方は綺麗ではあったが、反面泥臭いサッカーには弱かった。まして個人の技量が上のチームに当たると、攻め手に勢いが失われて惨敗することが多かった。
トルシェエはこの戦い方を許さず、俊輔をはずしてまで自分の戦術を強制した。だからこそ、日韓大会で結果を残したが、選手たちはけっこう不満をためこんでいたことが後に分かる。
逆にジーコはその戦術を認める代わりに攻撃を重視した。おかげで失点の多いチームになってしまったが、反面攻守の切り替えの激しい、エキサイティングなチームとなった。誤算は海外組を重視したために国内組が腐ったことだ。
オシムは、当初から日本の中盤のボール保持癖を問題視し、多彩な戦術を仕込むことでチームの変革を目指した。私自身は、この時の代表チームがお気に入りであった。俊輔も遠藤もボールを中盤でこねることを止めて、素早い攻撃に変えていたことが印象深い。かえすがえすもオシムの途中退任は痛かった。
後任の岡田は完全に指導力不足で、大会直前に本田ら中心選手が造反して、堅守速攻の弱者の戦術をとることで成果を上げた。しかし、この戦術では未来に期待をもてないことは、なにより選手ら自身が自覚していた。
そしてザッケローニだが、意外にも中盤重視の日本のサッカーを否定しなかった。むしろ長所と捉えて、その良さを伸ばすサッカーに終始した。守備重視のイタリア人のイメージとは、かけ離れたものだが、残念ながら最後の最後、若手の成長に期待を賭けて、その賭けに負けたことがブラジル大会の最大の敗因だ。
そして、満を期して登場したアギーレだが、私は結構期待していた。少なくてもアジア大会を見た限り、決して悪いサッカーだとは思わなかった。あんな形での退任は残念で仕方ない。
その後任として突如、登場したのがハリルホジッチである。いったいどんなサッカーを見せてくれるのかと思ったが、反面指導する時間が短すぎるので、この二試合は顔見世興行程度にしか考えていなかった。
ところが、見事な二連勝である。親善試合であり、ホームでの試合であることを差し引いて考えなければいけないが、若手の奮闘ぶりが目についた。それは決して不快ではなく、むしろ爽快ですらあった。
二試合の戦い方を見る限り、一見堅守速攻型のサッカーに見えるが、おそらくそうではあるまい。まだチームに合流して日が浅く、自分の戦術をチームに課すのは無理と踏んで、最低限勝てる戦術として、堅守速攻を選んだだけだと思う。
更に付け加えるなら、最大の勝因は戦術ではなく、これまで代表に呼ばれても試合に出れなかった選手たちを全員使ったことだろう。これで選手のモチベーションが格段に上がり、それが勝利につながったと私は見ている。長くエースであった本田や香川といった海外組を特別視しなかったことも大きい。
つまり選手の掌握の上手い監督なのだろう。アギーレの退任は残念だが、この新しい監督も十分期待を持てる人材だと思えた。これから長く厳しいアジア予選が始まる。じっくりと見ていこうと思う。
日本の企業は、その業績を示す決算を3月に設定していることが多い。
それゆえ、この時期は様々な話、噂、情報が駆け巡る。私は守秘義務ゆえに、仕事上知り得たことは基本的に、ここには書けない。だから、あくまで新聞や雑誌など誰にでも目にできる情報に、私がプライベートで実際に見聞したことを元に書かざるを得ない。
別にそのことに不満がある訳ではないが、私は少々怒り気味である。
新聞やTVといった大メディアの報道って、あまりに大企業に偏り過ぎていないか?また大企業のイメージを損なうような報道を、意図的に避けていないか?
もちろん、大企業は知名度も高く、それが視聴者や読者の関心を引く記事の題材として最適であるのは私だって理解している。また多忙を極める記者様たちにとって、広報担当者がいて報道用の資料まで提供してくれる大企業が取材しやすいことだって分かる。
だが、忘れてはいけないのは、日本の企業の7割は中小企業である現実である。いくら大企業や公務員の給与が上がっても、中小企業にお金が回らなければ、日本は決して景気回復したとは言えない。
しかし、大企業中心に経済をみてしまう日本の官庁とマスコミは、一部のうわっつらだけの景気指標をもって景気回復だと報道する。地道な取材をせず、大企業中心の景気指標をもって判断するから、その報道に多数の国民は実感がわかない。
一例を挙げればコンビニ業界がある。低迷する日本経済にあって数少ない成長分野であるコンビニ業界は、今や小売業としては百貨店やスーパーを凌駕する総売り上げを誇る。そう報道するマスコミは多いし、まったくの嘘ではない。
しかし、私の知る限りで近年コンビニ経営者で豊かな財産を築いた人は、極めて稀であるのが実態だ。コンビニ業界で一番の稼ぎ頭は、フランチャイズ本部である。彼らは新規の店舗を出店するたびに膨大な利益を上げる。反面、昔から営業しているコンビニ店舗は、よほどの好立地で売り上げに恵まれているところを別にするば、閉店が相次いでる。
それでもフランチャイズ本部は構わない。むしろ新規店舗の出店のチャンスと捉えている。これでは昔からやっているコンビニ店舗の経営者はたまったものではない。たまに新聞沙汰になるが、コンビニ店舗がフランチャイズ本部を訴えることは、少なくなのが実情だ。
これを一概に非難できないのは、日本人が新しもの好きであるからだ。たとえ清掃の行き届いた店であっても、同じコンビニならば新しい店舗に足を運んでしまうことが多いのが日本人だ。
小売業界では勝ち組であったはずのイオンやイトーヨーカ堂でも事情は同じで、新規出店したモールなどの売り上げは好調だが、20年前の店舗は確実に客足が落ちている。特に80年代に建てられた店舗を数多く持つイオン傘下のダイエーは、いくら魅力的な商品を並べても、老朽化した建物というマイナス要因が足を引っ張っている。
現場、特に地方を回って地道に取材していれば、それらは明白な事実なのだが、それを報じるマスコミは少ない。マイナス情報を殊更報道するよりも、広告主である大企業に受けのいい報道に走りがちな事情も分からないではない。
だが、本当にそれでいいのか。マスコミが報じる一部だけの好景気感は、次第に読者、視聴者の不信感を招いていることをもう少し恐れるべきだと思いますね。
コンピューター・グラフィックスの申し子的映画だと思う。
私は博物館が大好き。恐竜の骨や、古代の史跡から持ち込まれた遺跡を眺めながら、想像の赴くままに過去に思いを馳せる楽しみは、子供の頃から今に至るまで、私の楽しみの一つである。
ただ、表題の映画は一作目で、ちょっと失望したため2作目は見ていない。なのに三作目を見たのは、舞台が大英博物館であったからだ。イギリスには3度ほど訪れているが、実は未だにロンドン市内から出たことがない。
ヒースロー空港からロンドンに着くと、まずは何をさておいても大英博物館である。次がナショナル・ギャラリーであり、テート・ギャラリーである。この二か所の美術館は、なんといっても大好きなターナーの絵の展示が充実している。
再び大英博物館に行き、次は自然史博物館である。暇があったらシャーロック・ホームズの記念館にも行きたいのだが、未だに行ったことがない。理由は簡単で、大英博物館に時間をかけすぎるからだ。
でも後悔なんてしていない。だって、見るところ多すぎるし、まだまだ見たい展示物沢山ある。あり過ぎるのが最大の悩みの種だ。もっとも、ここ数年はロンドンどころか、日本国外にはまったく行けていない。これは不景気が悪いだけだ。
でも、多少ゆとりができたら是非とも大英博物館には行きたいものだ。
その大英博物館が舞台となっているが故に、久々にこの映画を観た次第である。CGを駆使した驚異の映像表現は楽しい。トリケラトプスのダンスとか、ポンペイの展示物を襲う○○○(内緒だよ)とか、楽しい映画である。
ただ、一作目から気になるというか、不快なのが白人のアジア文明に対する偏見というか優越感である。これが気に食わないので、二作目はみていない。はっきり言うが、白人の文明が世界の主流となったのは、19世紀以降であり、たかだか200年足らずである。
地中海のローマ帝国はともかくも、人類の歴史の中心は数千年にわたりアジア、とりわけオリエントにあった。この大事な点を、必要以上に軽視しているように思えてならない。
とはいえ、私のように白人文明に偏見をもっている変人でない普通の人ならば、この映画は十分楽しめると思う。劇場の大画面のほうが迫力があってイイと思うけど、家庭でDVDでも十分楽しめますよ。
身体を動かすのは好きだが、団体競技はあまり好きではない。
その魅力を否定しているわけではない。みんなで力を合わせて勝利を勝ち取る喜びを知らない訳でもない。それでも中学以降、好きだった野球も部に入る気にはなれなかった。誘われた卓球部は、気に食わない奴と揉めて止めている。他の球技系の部にも入る気はなかった。
入部しなかった理由は単純で、レギュラーになる自信がなかったからだ。当たり前の話だが、やはり上手い奴、強い奴こそがレギュラーであり、そうでなければ試合には勝てない。
自慢じゃないが、私は反則なら得意だが、正々堂々たるプレーでレギュラーを勝ち取る自信はなかった。クソまじめに練習するのも苦手だし、身長のように努力ではどうしようもない要素があることも知っていた。
いくら運動が好きでも、試合のたびにベンチでは面白くない。だから運動部には入らなかった。もっとも本音はクソまじめに学校に通うよりも、渋谷や下北の路上や、近所の公園で悪ガキ仲間とだべっている方が面白かったからでもある。
ただ、どこで何をどう間違えたのか、私は真面目に生きる羽目に陥った。もう、元の悪ガキ仲間の輪には入れなくなってしまった。困った私が選択したのが、ワンダーフォーゲル部であった。
寒いのが嫌いなので、冬山登山は勘弁と思っていた私にとって、丁度良かったのがワンゲル部の登山であった。そして登山にはレギュラーも二軍もなかった。全員が一軍であり、レギュラーであり、補欠用のベンチなんてなかった。
とはいえ、少し後悔もある。真面目に地味に練習を積み重ねれば、私だってレギュラーになれる可能性はあったのではないか?自らの怠惰さから、必要な努力をさぼったことは事実であり、それが悔いとなって残っている。
表題の漫画は、週刊少年チャンピオンに連載されている都立のバレー部に入部した一年生が主人公だ。中学時代、一度もレギュラーになれず、高校では必ずと思ったら、新たに着任した名監督に憧れて都中学選抜のメンバーが同学年に3人もいた。
またレギュラーが遠のいたと落ち込んでいたが、実はこの主人公、とんでもない特技の持ち主であった。手首を針金で雁字搦めに固めたイメージで、その右腕から繰り出すサーブは百発百中の驚異のコントロール。
ただ、他の技量が低く、それゆえ中学時代は常にピンチサーバーでしかなかった。しかし、その驚異のテクニックに驚いた同学年の仲間たちから少しずつ学び、先輩からレギュラーの地位を奪えるかもしれないと期待に胸を膨らませている。
しかし、この主人公、他にも欠点があり、まだまだレギュラーの座は遠い。しかし、名監督の誉れ高い先生は、その可能性を見逃すはずもなく、独自の練習を課して、更なる成長を促す。
この漫画、実は私が今、一番楽しみにしている作品でもある。怠け者で、気弱なくせに短気で喧嘩速かった私に欠けていたものが、すべて表現されているような気がして、毎週目を離せずにいる。
十代のあの頃、うんざりするほどの地味な練習の繰り返しをしなかったがゆえに、私は球技から遠ざかってしまった。そのことを後悔しているがゆえに、この手の漫画には、惹きつけられずにはいられないのです。